沖虚とは、内実がなく空っぽである状態を指す。また、心のありようとしては、一切の雑念や我執を離れ、清らかで何ものにもとらわれない境地を表す。
事実に基づかないものを、あたかも現実であるかのように作り上げること。また、そのようにして創り出された物語や世界観を指す。
虚弱とは、身体の力が弱く、病気にかかりやすい状態を指す。体力や抵抗力が乏しく、健康な状態を維持することが難しい体質を表す言葉である。
虚心とは、先入観や偏見にとらわれず、素直な心で物事を受け止める態度を指す。心を空にして、ありのままの姿を理解しようとする姿勢であり、他人の意見や忠告にも素直に耳を傾ける様子を表す。
数学において、実数ではない複素数を指す。特に、二乗すると負の数となる数を意味し、実数部分がゼロの純虚数を含む概念である。
実際の実力や自信がないにもかかわらず、外見だけを取り繕って強そうに見せたり、威張ったりする様子を指す。内実の伴わない見せかけの威勢や、弱さを隠すための強がりの態度を意味する。
虚誕とは、事実に基づかない全くのでたらめ、あるいは大げさに脚色された作り事を指す。虚言とほぼ同義で、真実性を欠いた誇張された主張や話を意味する。
虚名とは、実質を伴わずに得られた名声や評判を指す。また、偽りの名や本名ではない名を意味することもある。
虚妄とは、事実に基づかない偽りや、根拠のない迷いを指す。現実を離れた空想や、真実ではない虚偽のことを意味し、また誤った考えや迷信に惑わされる状態も表す。
虚仮とは、真実ではなく偽りのあることを指す。また、思慮分別に欠け愚かな様子を表し、人を馬鹿にしたり軽んじたりする場合にも用いられる。
腎虚とは、漢方医学において腎の機能が衰えた状態を指し、主に精力減退や易疲労感、腰や膝の力の低下、耳鳴り、頻尿などの症状が現れる。
自分を偉いと思わず、控えめで素直な態度をとること。相手を尊重し、自らの能力や立場を過度に誇示しない心構えや振る舞いを指す。
虚貝とは、肉が抜けて空になった貝殻を指す。また、ツメタガイの別称としても用いられ、これは砂地に生息する巻貝で、二枚貝の殻に穴を開けて中身を食べる習性を持つ。ウツボガイとも呼ばれる。
盈虚とは、満ちることと虚ろなことから転じて、物事の盛衰や栄枯を指す。また、月の満ち欠けの様子にも喩えられる。
かつて建物や城郭、街などがあった場所が、戦争や災害、あるいは長い年月の経過によって荒れ果て、その面影を留めない状態になった跡を指す。
普化宗に属する托鉢僧を指す。深編み笠をかぶり、尺八を吹きながら諸国を巡り歩く修行の姿が特徴である。薦僧や梵論子とも呼ばれる。
「一虚一盈」とは、あるときは空虚になり、あるときは満ちるという意味の四字熟語で、物事が一定の形を保たず、常に変化して予測しがたい様子を表します。『晋書』皇甫謐に由来し、月の満ち欠けや人生の盛衰など、移り変わる状態のたとえとして用いられます。
一虚一実とは、虚と実が入り交じり、状況が目まぐるしく変化して先を読むことが難しい様子を指す四字熟語である。
敦篤虚静とは、『近思録』に示された修養の境地を表す四字熟語である。心を虚しくしてわだかまりをなくし、静かな状態を保つことで、真実の道理を受け入れる素地を整えることを意味する。ここでいう「虚静」は、私心や先入観を排した清澄な心のありようを指し、それによって物事の本質を深く観照できるとされる。
「史記」蘇秦伝に由来する四字熟語で、根拠のない脅しや空威張りをして相手を脅かすことを意味する。虚勢を張って相手を疑心暗鬼に陥らせ、ひいては屈服させようとする策略を指す。
朝盈夕虚とは、朝には満ちていたものが夕方には空になることを指し、物事の状態や人の運命が短時間のうちに大きく変動する様子を表す。特に富や権力、繁栄などが長続きせず、儚く移り変わることを喩える表現として用いられる。
清らかで淡泊な心を持ち、物事に執着せず、さっぱりとした境地を表す。清潔で無駄がなく、欲望に捉われない様子を指し、清く澄んだ心持ちと、何ものにもとらわれない虚無の心境を合わせた表現である。
心にわだかまりがなく、物事に執着せず、淡々として穏やかな心境を表す。