舌禍とは、言葉が原因で招く災いを指す。自分の発言によって自らが受ける不利益や災難を意味するほか、他人からの悪口や中傷によって被る損害を含む場合もある。
思いがけずに降りかかる災難や不幸を指す。予期せぬ出来事によって被る災害のことで、偶然の不幸な出来事を意味する。
地震や戦争などによってもたらされる、はなはだしく痛ましい災害を指す。
戦禍とは、戦争によってもたらされる災厄や損害を指す。戦火による破壊や犠牲、人々の生活や社会に及ぶ深刻な被害全般を意味する語である。
禍災とは、天災や人災などによってもたらされる不幸な出来事を指す。特に、予期せぬ災難や苦難を意味し、個人や社会に深刻な被害や混乱を引き起こす事態を表す。
禍難は、思いがけない災いや不幸な出来事を指す言葉であり、禍災と同義である。
輪禍とは、自動車や電車などの車両に轢かれたり、衝突されたりすることによって生じる災難や事故のことを指す。
禍言とは、不吉な出来事や災いを予感させるような言葉を指し、縁起の悪い発言の総称として用いられる。
禍事とは、不運や災いをもたらすような不吉な出来事を指す言葉である。縁起が悪く、人々に不幸や苦難を招く事態を意味し、善事の対義語として用いられる。
思いがけず降りかかる災いや不幸を指す。特に予期せぬ出来事によってもたらされる災難や禍事を意味する。
大禍時とは、日が暮れて薄暗くなる時刻を指す言葉で、逢魔が時とも呼ばれる。災いや魔物が現れやすいとされる時間帯であることに由来する。
吉凶禍福とは、人生における幸運と不運、幸福と災難を総称する四字熟語である。吉と福は喜ばしく恵まれた状態を、凶と禍は不吉で災いをもたらす状態を指し、人の運勢や巡り合わせの良し悪し全般を表す。
「鬼瞰之禍」は、『文選』所収の揚雄「解嘲文」に典拠を持つ四字熟語である。高所に居て栄華を極めている者が、それを狙う者に窺われ、やがて災いを招くという意味を表す。転じて、富や権力の頂点に立つ者は常に危険に晒されているという戒めの意でも用いられる。
禍福無門とは、災いや幸せには定まった門戸があるわけではなく、それらは人の行いによって自ら招き寄せるものであるという意味である。『春秋左氏伝』に由来し、吉凶は天から降るものではなく、人の振る舞いが結果を生むという教えを表す。
禍福得喪とは、人生における幸運と不運、成功と失敗を総称する四字熟語である。災難に遭うこともあれば幸福に巡り合うこともあり、出世して地位を得ることもあれば失うこともあるという、人生の浮き沈みや運命の移り変わりを表す。
禍福倚伏とは、災いと幸せが互いに寄り添い隠れ合っている様子を表す四字熟語である。不幸の中に幸福の兆しが潜み、幸福の裏には災いの芽が宿るというように、両者は表裏一体の関係で絶えず移り変わることを示す。この考え方は古代中国の思想書『老子』に由来し、人生の吉凶が交互に訪れる様を捉えた表現である。
禍棗災梨は、価値の乏しい書物をむやみに出版することを批判する四字熟語である。棗や梨の木は版木の材料とされたことから、つまらない本を出版するために良材が浪費される様子を、木にとっての災いになぞらえて表現したものである。
楽禍幸災とは、他人の不幸や災いを喜ぶことを意味する四字熟語である。『春秋左氏伝』僖公十四年の故事に由来し、他人の禍を自分の楽しみとし、他人の災いを自分の幸せと見なすような、非情で道徳に反する心情や態度を表す。
「毋望之禍」は、予期せず突然訪れる災難を意味する四字熟語である。『史記』春申君伝に典拠を持ち、思いがけず降りかかる不幸や、事前に予測し得なかった禍を指して用いられる。
「包蔵禍心」とは、心の中に災いをもたらそうとする悪意を秘めていることを意味する四字熟語である。「包蔵」は内に抱き隠すこと、「禍心」は害をなそうとする心を指し、表面上は穏やかであっても、裏では悪事を企んでいる様を表す。『春秋左氏伝』に典拠を持ち、一般には「禍心を包蔵す」と訓読される。
福善禍淫は、善行を積む者には幸福が訪れ、悪事を働く者には災いが降りかかるという道理を表す四字熟語である。『書経』の「湯誥」に由来し、天の摂理としての因果応報の観念を示している。