至極とは、これ以上ないほどに程度が高いことを表す語で、極めて、非常に、という意味である。例えば「残念至極」や「至極当然」のように用いられ、物事の状態や心情が最高度に達していることを示す。
対極とは、ある物事や概念と正反対の位置にある極点を指し、互いに相容れない性質や方向性を持つ両端を意味する。例えば、思想や立場において最も遠く離れた関係を表す際に用いられる。
南極とは、地球の自転軸の南端にあたる地点、すなわち南緯九〇度の南極点を指す。また、南極大陸とその周辺の海域を含む南極圏全体を指すこともある。さらに、磁石が南を指す方の磁極、すなわちS極を意味する場合もある。これらの用法は、北極に対応する概念として用いられる。
陰極とは、電池や電気分解装置などにおいて、電位が低く外部回路から電流が流入する電極を指す。一般にマイナス極とも呼ばれ、これに対応する電位の高い電極は陽極と呼ばれる。
極端とは、物事の両端や先端を指すほか、考え方や行動が通常の範囲を大きく外れて偏っている様子を表す。また、程度が非常に甚だしい状態や、普通の限度を超えて極度に達していることを意味する。
地球の中心から最も遠い地域を指し、特に北極や南極を意味する。地理学においては、地球の自転軸の両端に位置する極点周辺の寒冷な地域を総称する。
これ以上ない最高の段階や状態を指し、ある物事が到達し得る究極の境地を表す。
これ以上はあり得ないという限界に達している程度を指し、物事の状態や感情が通常の範囲をはるかに超えて進行している様子を表す。極端な状態や最高度の段階を示す表現として用いられる。
極光は、北極や南極に近い高緯度地域の夜空に現れる発光現象を指す。大気中の酸素や窒素などの原子や分子が、太陽から放出された荷電粒子と衝突して発光するもので、緑や赤、紫など多彩な色の光のカーテンや帯状の輝きとして観測される。
極力とは、可能な限りの力を尽くすことを意味し、ある行為を行うにあたって最大限の努力を払う様を表す。例えば、控えるべき場面ではできるだけ控えるといったように、その範囲内で最善を尽くすことを指す。
極言とは、物事を極端な形で表現する言い方、あるいは極端な立場に立った意見を指す。通常の表現を超えて極限まで推し進めた主張や見解を意味し、極論とほぼ同義で用いられる。
極刑とは、法律で定められた最も重い刑罰を指し、通常は生命を剥奪する死刑を意味する。
極光とは、北極や南極の高緯度地域の夜空に現れる、カーテン状や帯状に揺らめく発光現象を指す。太陽から放出された荷電粒子が地球の磁気圏と相互作用し、大気中の酸素や窒素原子を励起させることで生じる。オーロラとも呼ばれる。
極太とは、通常の太さをはるかに超えて非常に太い状態を指す。特に筆記具や線などの太さを表現する際に用いられ、極細の対義語として位置づけられる。
極書とは、骨董品や美術品の真贋や品質を鑑定した結果を記した証明書のことを指す。鑑定者がその物品の価値や来歴を認証する文書であり、極札とも呼ばれる。
極楽とは、仏教において阿弥陀如来が住まうとされる西方浄土のことで、一切の苦しみがなく安楽に満ちた世界を指す。転じて、現世において心配や苦痛が全くなく、非常に楽しく幸福な状態や場所を喩える表現としても用いられる。
極月は陰暦十二月の異称であり、師走とも呼ばれる。一年の終わりに当たる月であることから「年の極まる月」という意味に由来する。
極暑とは、夏の厳しい暑さを表す語で、気温が非常に高く、耐えがたいほどの暑さを指す。酷暑や猛暑と同義に用いられ、極寒と対をなす表現としても知られる。
品質や程度が最高水準に達している様子を指し、特に商品や体験などが並外れて優れていることを表す。最上級の評価に値する状態を意味する。
極道とは、博打や酒色に耽るなど、道を外れた行いを指す。また、そのような行いにふける者を指すこともある。品行の悪い者を罵る語としても用いられ、例えば「極道息子」などと言う。放蕩の意に近く、「獄道」と表記することもある。
極秘とは、関係者以外への漏洩が厳しく禁じられ、最高度の機密性が要求される事柄を指す。特に公文書や情報などに用いられ、厳重な管理下に置かれるべき秘密を意味する。
電池などの電流を発生する装置において、二つの電極のうち電位が高い方の極を指す。正極とも呼ばれ、外部回路に対して電子が流出する側であり、陰極(負極)と対をなす。
極彩色とは、鮮やかな色彩を多様に用いた様子を指し、特に華やかで豊かな色使いを特徴とする。絵画や装飾などにおいて、多彩で濃厚な色調が目を引く表現を形容する言葉である。
窮極無聊とは、極度に退屈でつまらない状態を指す四字熟語である。物事に全く興味が持てず、心の拠り所を失って、どうにも手持ち無沙汰な様子を表す。
往生極楽とは、仏教において浄土に往生し、迷いのない安楽の境地に至ることを意味する。特に阿弥陀仏の極楽浄土に生まれ変わり、そこで悟りを開くことを指す。転じて、苦しみから解放されて安らかな状態になることや、困難な状況から逃れて楽になることの比喩としても用いられる。
「罔極之恩」とは、父母から受ける限りなく深く果てしない恩恵を指す四字熟語である。「罔」は「無い」を意味し、「極」は「限り」を表す。『詩経』の「小雅・蓼莪」に由来し、子が親の慈愛の広大さを思慕する心情を、計り知れない恩として表現したものである。
布衣之極とは、平民の身分でありながら到達し得る最高の栄誉や地位を指す。『史記』「留候世家」に由来し、特に張良が平民から劉邦の軍師として重用され、留候に封ぜられるまでの出世を形容した表現である。転じて、一般庶民が成し遂げられる最大の成功を意味する。
「直言極諫」は、遠慮せずに思っていることを率直に述べ、相手の過ちを厳しく諫めることを意味する四字熟語である。「直言」は忌憚なく意見を述べることであり、「極諫」は強く忠告することを指す。この語は『漢書』の「文帝紀」に由来する。
世界のあらゆる場所、隅々までを指す語。「四荒」は四方の果てにあるとされる辺境の地、すなわち北方の觚竹、南方の北戸、西方の西王母、東方の日下をいい、「八極」は八方の地の果てを意味する。これらを合わせて、全世界を広く包括する表現となっている。
残念至極とは、これ以上ないほど心残りで、悔やんでも悔やみきれない様子を表す四字熟語である。「残念」は思いが残ることを意味し、「至極」は極みや最上を指す。合わせて、残念の度合いが頂点に達している状態を言い表す。
極楽往生とは、仏教において極楽浄土に往き生まれ変わることを指す。転じて、苦痛なく安らかに世を去ることをも意味する。