法律によって禁じられ、刑罰が定められている行為を指す。また、その行為によって成立した罪そのものを意味する。
罪を犯した者がその罪を認め、刑罰を受けることに服することを意味する。同義の表記として「服罪」も用いられる。
多罪とは、多くの罪を犯している状態を指す。また、手紙文において相手への無礼を詫びる際に用いる語で、「乱筆多罪」などの形で記す。
服罪とは、罪を犯した者が自らの罪を認め、それに相応する刑罰を受けることに従うことを指す。伏罪とも表記される。
キリスト教の教義において、人類の始祖アダムとイブが神の禁令に背いて犯した最初の罪を指す。この罪はその子孫である全人類に継承され、人間が生まれながらに負う罪の性質とされる。『旧約聖書』の創世記に記される出来事に基づく。
流罪とは、古代から近世にかけて行われた刑罰の一つで、罪人を遠隔の地へ追放することを指す。流刑とも呼ばれ、主に政治犯や重罪者に対して適用され、都や故郷から隔離することで社会からの排除を図った。
斬罪とは、刀剣を用いて首を切り落とす刑罰を指す。主に近世以前の日本において行われた死刑執行方法の一つであり、斬首刑とも呼ばれる。
罪を裁き有罪の判決を下すことを指す。また、かつては特に打ち首の刑を言い渡す斬罪を意味した。
無罪とは、罪を犯していない状態を指す。また、法律上では犯罪事実が認められず、刑事責任を問われないこと、あるいはその旨の判決を意味する。対義語は有罪である。
罪科とは、法律や道徳に背き、非難されるべき行為を指す。また、法律に基づいて刑罰を科すこと、すなわち処罰の執行を意味する場合もある。
罪過とは、道徳や法に背き、行ってはならない過ちや罪深い行為を指す。
仏教において、身・口・意の三業によって積み重ねられる罪悪の行為を指し、苦しみの原因となる悪因をなすこと。
仏教において、極楽往生を妨げたり、悟りへの道を阻む原因となる悪行や過ちを指す。
罪を犯した者を指す。法律や道徳に背く行為を行った人に対して用いられ、しばしば裁きや罰の対象となる者を意味する。
冤罪とは、実際には犯していない罪を負わされることを指す。無実の人物が不当に罪に問われる状況を表し、そのような不当な嫌疑や判決を覆すことを「冤罪を晴らす」と表現する。
賄賂を受け取るなど、不正な手段によって金品を取得した行為に対する罪を指す。
贖罪とは、金品を支払うなどして罪の償いを行うことを指す。また、キリスト教においては、イエス・キリストが十字架にかかることで人類の罪をあがなったという教義を意味する。
「懐玉有罪」とは、貴重な宝玉を身に着けているだけで罪を招くという意味で、才能や財宝を隠し持つこと自体が災いの原因となることを喩えた故事成語である。『春秋左氏伝』桓公十年の記述に由来し、価値あるものを所有することがかえって危険を招くという教訓を表す。
越俎之罪とは、自分の職務の範囲を越えて他人の領域に立ち入り、その仕事に干渉する過ちを指す。古代中国の書物『荘子』に由来する表現で、本来は他人の役割を侵すことを戒める喩えとして用いられる。
妄評多罪は、他人の文章などに対して行った無遠慮な批評を深く詫びる際に用いる四字熟語である。「妄評」はでたらめな批評を、「多罪」は手紙文で無礼を謝る言葉をそれぞれ意味し、批評を加えた後に記す謙譲表現として機能する。
暴言多罪は、手紙などの文末に用いる謙譲の表現である。乱暴な言葉を並べて相手を傷つけ、多くの過ちを犯してしまったという意味から、自身の言葉遣いの無礼を詫びる際に使われる四字熟語である。
仏教における概念で、過去に犯した罪深い行い(罪業)が、仏道を修行することによって消滅し、清められるという教えを表す。現世における悪業も、仏法に帰依し実践することで浄化可能であることを示している。
罪悪滔天とは、罪の深さや悪事の甚だしさが天にまで達するほどであることを表す四字熟語で、極めて重大な罪悪を強調する表現である。