犯罪を犯したのではないかという疑いのことで、被疑者や被告人に対して用いられる。
遅疑とは、物事に対して疑念を抱き、決断をためらってぐずぐずする様子を指す。判断がつかずに逡巡し、行動に移せない状態を表す語である。
犯罪や不正行為などが行われたのではないかと疑われること。また、その疑い自体を指す。証拠や状況から不審に思われる点があり、特定の人物や集団に対して向けられることが多い。
疑心とは、物事の真偽や他人の言動に対して抱く疑わしい気持ちを指し、確信が持てずに不安や不審を感じる心理状態を表す。
心の中にわだかまって解けない疑いの塊を指す。長い間胸につかえている疑問や不信感が、氷が解けるようにすっきりと晴れることを「疑団が氷解する」と表現する。
疑わしい点や不確かな部分を指し、特に議論や調査において問題となる箇所を意味する。
疑念とは、物事の真偽や確実性について抱く疑問や不審の気持ちを指す。ある事柄が本当であるかどうか確信が持てず、心に引っかかる思いを抱く状態を表し、疑惑や疑心と同様の意味を持つ。
疑わしく思うことや、はっきりと理解できない事柄を指す。また、そのような事柄について抱く不確かさや不明確な点そのものを意味する。
疑わしいと思うこと。また、その疑いの気持ち。事柄や人物に対して確信が持てず、もしかすると本当ではないか、あるいは何か隠された事情があるのではないかと考える心理状態を指す。
本物と見分けがつかないほど似ている状態を指す。実際には異なるが、外見や性質が非常に類似しているため、区別が困難な場合に用いられる。表記としては「擬似」と書くこともある。
質疑とは、ある事柄について疑問点を問いただしたり、不明確な部分を明確にするために行われる質問や尋問のことを指す。特に会議や審議の場において、提出された議案や報告の内容について行われる公式な質問応答の手続きを意味する場合が多い。
猜疑とは、他人の言動を素直に信じることができず、その裏に悪意や偽りがあるのではないかと疑い、妬むような心理状態を指す。猜疑心が強い人は、常に他人を警戒する目で見がちである。
疑懼とは、物事の真偽や善悪について確信が持てず、それによって生じる不安や恐れを抱くことを指す。
犯罪の嫌疑をかけられ捜査の対象となっているが、未だ公訴を提起されていない者を指す。
疑事無功とは、物事を行う際に疑念や躊躇を抱いたままでは、成功を収めることができないという意味の四字熟語である。一度決断したならば、ためらうことなく断行すべきであるという戒めの言葉として用いられる。『戦国策』に由来し、「疑事ぎじ功こう無なし」と訓読する。
疑雲猜霧とは、周囲の人々に対して抱く疑念や嫉妬の心が、雲や霧が立ち込めたように晴れず、心を覆い隠す状態を表す四字熟語である。
半信半疑とは、ある事柄について、完全には信じきれず、また完全に疑うこともできない状態を指す。真実であるかどうかの判断がつかず、心が確信と疑念の間で揺れ動いている様子を表す。
「恫疑虚喝」とは、相手を疑心暗鬼に陥らせ、空虚な威嚇を加えることで、実際には実力がないにもかかわらず、相手を脅して屈服させようとする策略を指す。『史記』蘇秦伝に由来する四字熟語であり、主に外交や駆け引きの場面で、虚勢を張って相手を揺さぶる手段として用いられる表現である。
遅疑逡巡とは、物事を前にして疑念や迷いが生じ、ためらいがちになり、なかなか決断や行動に移せない様子を指す。二つの熟語「遅疑」と「逡巡」はいずれも躊躇や逡巡する意味を含み、合わせて強くぐずぐずと決行できない状態を表す。
羞渋疑阻とは、心に恥じる思いが生じてためらい、行動を起こすことができなくなる様子を表す四字熟語である。王守仁の文に見られる表現で、羞恥心や内省から生じる躊躇や逡巡の状態を指す。
質問や疑問に対してその場で答えることを指す四字熟語で、討論会や記者会見などで用いられる形式を表します。