カメラなどの光学装置を用いて、物体の像を感光材料や電子センサーに定着させたもの。報道や記録、芸術表現などに広く用いられる。
表現や演技などが真実味を帯び、あたかも現実の出来事であるかのように感じさせる様子を指す。
真仮とは、仏教において絶対不変の真理である真諦と、衆生を導くための方便として説かれる仮の真理である俗諦の二諦を指す概念である。
真葛はモクレン科のつる性の常緑低木で、暖かい地域の山野に自生します。厚みと光沢のある葉を持ち、夏には黄白色の花を咲かせ、後に球状の赤い実を結びます。別名をビナンカズラともいい、その名は目立つ実をつけるつる植物であることに由来します。漢字では「実葛」や「南五味子」と表記することもあります。
本物の刃を持つ刀剣を指す。転じて、物事に本気で取り組み、軽々しい態度を含まない様子を表す。
真言とは、仏や菩薩が説く真実の言葉を指し、陀羅尼とも呼ばれる。また、平安時代に空海が唐から伝えた密教に基づく真言宗の略称としても用いられる。
寄席において最後に出演し、最も芸の巧みな演者を指す。また、落語家などが用いる最高位の資格を表すこともある。「心打」と表記する場合もある。
真影とは、実物を忠実に再現した肖像画、あるいはそのような写真を指す語である。特に、尊い人物の肖像を敬って用いられることが多い。
真珠は、主にアコヤガイなどの貝類の体内で形成される光沢ある球状の生成物である。乳白色を基調とし、時に淡いピンクや青みを帯びることもあり、その滑らかな表面と独特の輝きから、古来より宝飾品として珍重されてきた。パールとも呼ばれる。
真宗とは、鎌倉時代に親鸞によって開かれた浄土真宗の略称であり、阿弥陀仏の本願を信じ、専ら念仏によって往生を期する仏教の一派である。一向宗や門徒宗とも呼ばれる。
偽りのない真実の心持ちを指し、また物事の実際の様子や真実の状態を表す。
真否とは、物事が真実であるか否かという、その真偽のあり方を指す語である。事柄の真相と虚偽、あるいは事実と虚構といった対立する概念を含意し、その確からしさを問う文脈で用いられる。
真風(まじ)とは、南または南西の方角から吹く風を指す語である。特に西日本の太平洋岸や瀬戸内地方において夏季に用いられる呼称で、同義の「まぜ」と関連する。
真実であり偽りや誤りがなく、紛れもなく本物であることを指す。
真筆とは、ある人物が自ら書いたと認められる筆跡のことを指し、その真作としての確かさを表す。偽筆に対置される概念である。
真性とは、生まれつき備わっている本来の性質や天性を指す。また、医学などの分野において、疑う余地のない真実であること、本物であることを意味し、例えば「真性コレラ」のように、偽物や仮性ではない確かな事象を表す際に用いられる。
真跡とは、作者本人が直接手がけたことが確実と認められる書画作品を指す。真筆とも呼ばれ、後世の模写や偽作と区別される、その作家の真なる筆跡を伝えるものである。
真顔とは、冗談や遊びの気配を一切含まない、真剣で厳粛な表情を指す。特に、本来は軽い話題や場面において、あえてそのような表情で発言したり振る舞ったりする場合に用いられる。
真面とは、まっすぐに対面する様子を指し、転じて物事がきちんと整っている状態や、考え方や態度が真剣でしっかりしていることを表します。正面と書くこともあります。
真木とは、マキ科の常緑高木であるイヌマキやコウヤマキを指す名称である。また、広義には杉や檜など良質な木材を総称して「真木」と呼ぶこともあり、その場合は「槙」の字を当てて表記される。
物事の隠されたり歪められたりすることなく、ありのままの姿や実際の内容を指す。事実の核心に迫る真実の状態を表し、調査や究明によって明らかにされるべき対象として用いられる。
飾り気がなく、ありのままの様子を指す。主に人の性格や態度について用いられ、作為や見せかけのない素直な性質を表す。
偽りや飾りのない、ありのままの心。また、誠実な気持ちをもって他者に対して尽くそうとする心のあり方を指す。
夏の最も暑い時期を指し、季節の頂点に達した状態を表す。特に太陽が強く照りつけ、気温が高く、夏の特徴が最も顕著に現れる期間を意味する。
他人の動作や言動をそのまま繰り返すことを指し、模倣の意を表す。また、転じて人の振る舞いや行動そのものを指す場合もある。
事態が予想や期待とは全く反対の方向に展開する様子を表す。ある事柄が起こる可能性を強く否定したり、意外性に驚いたりする際に用いられる表現である。
真帆とは、風を十分に受けて張り詰めた帆の状態を指し、特に順風に乗じて推進力を得る際の帆を意味する。片帆に対し、追い風を最大限に活用する帆の様子を表す語である。
真綿とは、繭を引き伸ばして乾燥させたもので、軽くて保温性に優れている。絹の原料となる繭から作られるため、絹綿とも呼ばれる。
純真とは、心に穢れや邪念がなく、ありのままの清らかな様子を指す。素直で飾り気がなく、私利私欲に捉われない純粋な心の状態を表す。
真具とは、物事が欠けるところなく完全に整っている様子を表す。十分に行き届き、不足や不備のない状態を指す。
真字とは、漢字のことを指す語で、仮名に対して用いられる。また、漢字の書体のうち、楷書体を特に指して真書ともいう。これは正式な文字という意味合いを持つ。
真魚とは、食用とする魚を指す語である。また、生後初めて幼児に魚肉を食べさせる儀式である「真魚の祝い」を略した言い方としても用いられる。
真鶴はツル科の鳥で、アジア北東部で繁殖し、冬季には日本に渡来する。体は大型で全身が灰色を基調とし、頭部から首にかけては白く、額と頬の部分が鮮やかな赤色をしている。鹿児島県出水地方などが主な越冬地として知られる。
真贋とは、物事の真偽や本物か偽物かを指す言葉で、特に美術品や骨董品、文書などの分野において、その真正性を論じる際に用いられる。
真鯛はタイ科の海魚で、日本各地の沿岸に生息する。体色は多くが桜色を帯び、その姿の美しさと「めでたい」という語に通じることから、縁起物として祝いの席などで好んで用いられる。
真鴨はカモ科の水鳥で、家禽であるアヒルの原種とされる。冬鳥として日本各地の池や湖に飛来し、雄は頭部が緑色を帯び、首に白い輪があることから「あおくび」とも呼ばれる。
真蹟とは、本人が直接筆を執って書いた真筆の書画作品を指す。特に歴史上の著名な人物や書家・画家による直筆の作品を意味し、後世の模写や複製とは区別される。
真菰はイネ科の多年草で、沼沢地の周辺に群生する。初秋に茎の上部に雌花穂、下部に雄花穂をつける。夏にその葉を用いて莚(むしろ)を編むことに由来する名である。「蔣」の字を用いて表記することもある。
真鍮は銅と亜鉛を主成分とする合金であり、黄銅とも呼ばれる。金色に近い光沢を持つことから装飾品や工芸品、日用品などに広く用いられる。
真東風は、真東の方角から吹いてくる風を指す語で、特に春の季語として用いられる。表記としては「正東風」と書くこともある。
真面目とは、物事に対して本気で取り組む様子を指し、真剣な態度や誠実な人柄を表す。例えば、学習や仕事に熱心に打ち込む場合や、嘘偽りのない誠実な性格を形容する際に用いられる。ただし、「シンメンモク」と読む場合は異なる意味を持つので注意を要する。
真田虫は条虫の別称であり、その体が平たくひも状で、真田紐に似ていることからこの名で呼ばれる。絛虫とも表記される。
真行草とは、漢字書体の三つの基本様式を指す用語であり、楷書体を真書、行書体を行書、草書体を草書と称して総称するものである。
御真影とは、天皇や皇后など高貴な方々の肖像写真を指す語である。特に明治時代以降、教育勅語とともに宮内省から全国の学校などに下賜された天皇・皇后の写真を指して用いられることが多い。
真魚板は、食材を包丁で切る際に下に敷く台板を指す。漢字表記では「俎」や「俎板」とも書く。語源は「真魚(まな)」、つまり食用の魚を調理する板に由来する。
真魚鰹はマナガツオ科に属する海水魚で、本州中部より南の海域に生息する。体は平たくひし形を呈し、体色は青みがかった灰白色をしている。冬期に漁獲されることが多い。
真桑瓜はウリ科の一年草で、インドを原産とする。夏に黄色い花を咲かせ、俵形の果実を実らせる食用の瓜である。名称はかつて岐阜県本巣市の真桑村で特産として知られたことに由来する。甜瓜とも表記される。
真田紐は、木綿の太い糸を用いて厚く平らに編み上げられた組紐の一種である。その名称は、戦国時代の武将・真田昌幸が刀の柄にこの紐を巻いて用いたという故事に由来する。
白水真人は、銭の異称として用いられる四字熟語である。中国の故事に由来し、前漢を倒した王莽が貨幣の文字を「貨泉」と改めたところ、この二字を分解すると「泉」は白水、「貨」は真人となり、後漢の光武帝が白水郷から興る兆しと解されたことから、銭を指す言葉となった。
天真爛漫とは、飾り気がなく自然のままの姿で、心に偽りのない様子を指す。ありのままの感情や純粋な心が、そのまま言動に表れていることを表す語である。
真剣勝負とは、本物の刀を用いて行う勝負を原義とする。そこから転じて、単なる遊戯や練習ではなく、本気で勝敗を争うこと、あるいは命がけの覚悟で物事に取り組むことを意味する。
真人大観とは、真実の人間の姿を広く深く観察し、その本質を見極めることを意味する四字熟語である。人間の真の姿をありのままに捉え、その奥深い本質を洞察する姿勢を表す。
真実一路とは、一筋に真実を求め、その道をひたすらに歩み続ける生き方を指す。己の信じる真実に誠実に向き合い、それを貫くことに専心する姿勢を表す四字熟語である。
全く偽りがなく、紛れもなく本物であることを表す。物事の真実性や確かさを強調する表現であり、疑いの余地がないことを示す際に用いられる。
純真無垢とは、心が純粋で清らかなさまを表す。いかなる汚れや偽りもなく、人を欺いたり疑ったりする気持ちがまったくない状態を指す。仏教用語に由来する「無垢」は、欲望や執着から離れた清浄な境地を意味し、それに「純真」が加わることで、生まれながらの清らかさや飾り気のない素直な心性を強調した表現となっている。