久遠とは、時間の流れが果てしなく続き、その始まりも終わりも見極めがたいほど長遠な様を表す。過去から未来へと途切れることなく連なり、悠久の時を感じさせる概念である。
時間の経過に影響されず、果てしなく続く様子を表す。過去から未来へと途切れることなく連なり、終わりのない時間の広がりを指す。
疎遠とは、人と人との関係が遠のき、親密さを失うことを指します。かつて親しかった者同士の交流が途絶えがちになり、互いの距離が生じている状態を表し、「疏遠」とも書きます。
遠泳とは、海や川などの水域において、長い距離を連続して泳ぐ行為を指す。また、そのような長距離を泳ぐことを競技として行うことも意味する。
遠景とは、遠くに広がる景色を指す。また、絵画や写真などの構図において、画面の奥に位置する部分を表し、近景と対をなす概念として用いられる。
遠くにある山、あるいは遠くに見える山を指す。また、遠くに霞んで見える山の輪郭を美人の眉にたとえて「遠山の眉」ともいう。
遠称とは、話し手から遠く離れた事物や場所、方向などを指し示す指示代名詞の類を指す。例えば「あれ」「あそこ」「あちら」などがこれに当たり、近称や中称と対をなす体系を形成している。
遠志とはヒメハギ科の多年草イトヒメハギの漢名であり、中国を原産とする。その根は薬用として用いられる。
遠流とは、古代日本の律令制における流罪のうち最も重い刑罰を指す。都から遠く離れた佐渡や伊豆などの辺境の地に罪人を追放し、その地での生活を強いるものであった。
遠くの景色や物事を眺め見ること。また、その眺め。遠見ともいう。
遠方から訪れて来ること。特に、はるばる遠い土地から来た人や、その訪問を指して用いられる。
遠見とは、遠くまで見渡すことを指す。また、高い場所から遠方の敵の動静を監視する軍事上の行為も意味する。演劇や絵画においては、遠景を描いた背景を表す場合もある。
遠慮とは、言動を控え目にして慎むこと、あるいは辞退することを指す。また、将来を見据えて深く考えを巡らせる意味もあり、さらに江戸時代には武士や僧侶に対して科せられた自宅謹慎の刑罰を指す場合もある。
都会から遠く離れた辺境の地を指し、交通の便が悪く人里離れた田舎を意味する。
遠方の地を鎮めて平穏にすること。また、そのようにして遠隔の地域を治めることを指す。
文化や行政の中心地から遠く離れ、交通や情報の便が悪い地域を指す。辺鄙な土地という意味合いを含む。
回転運動を行う物体が、その中心から外側に向かって作用する力のこと。円運動においては、物体が慣性によって直進しようとする性質が、中心に向かう力によって曲げられる結果として生じる見かけの力である。
遠塵離垢とは、仏教において煩悩や迷いの世界から離れ、清浄な悟りの境地に至ることを意味する。文字通り、塵(ちり)や垢(あか)といったけがれから遠ざかり、心身ともに清らかな状態を表す。
遠慮深謀とは、遠い将来を見据えて綿密に計画を練ることを意味する。物事を深く考え、周到に準備を重ねる姿勢を表す四字熟語である。
遠慮近憂とは、将来のことを深く考えずに行動していると、必ず近い将来に思いがけない心配事が生じるという教えである。『論語』に由来し、物事を十分に考えずに行き当たりばったりで行動することを戒める言葉として用いられる。
遠水近火とは、遠くにある水では近くで燃える火を消すことができないという故事に由来する四字熟語で、遠方のものは緊急時には役に立たないことを意味する。また、緩慢な対応では差し迫った問題を解決できないという教訓も含んでいる。
遠くの国とは友好関係を結び、近くの国を攻めるという外交・軍事戦略を指す四字熟語。中国戦国時代、秦の范雎が秦王に進言した故事に由来し、直接国境を接する近隣諸国を抑えつつ、遠方の勢力と手を結ぶことで、自国の勢力拡大を図る方策を意味する。
永遠無窮とは、時間の経過に限りがなく、未来永劫にわたって続く様子を表す四字熟語である。「無窮」は果てしがないことを意味し、この語全体で悠久の時間の広がりを強調している。