乱読とは、特定の分野や系統にこだわらず、手当たり次第に様々な書籍を読むことを指す。知識を広く浅く得るための読書法であり、時に「濫読」とも表記される。
判読とは、不明瞭な文字や文章を、文脈や字形の特徴などから推測して読み解くことを指す。特に筆記が乱れていたり、古い資料などで文字がかすれている場合などに用いられる表現である。
併読とは、同時期に複数の書物や新聞などを並行して読み進めることを指す。例えば、流行のベストセラーと古典作品を同時に読んだり、全国紙と地方紙を併せて読むような場合に用いられる表現である。
奉読とは、敬意を込めて謹んで読み上げることを指す。特に、詔書や重要な文書を厳粛な態度で読む場合に用いられる表現である。
「拝読」は「読む」の謙譲語であり、自分が目上の人から受け取った文書や手紙などを謹んで読むことを意味します。例えば、「お手紙を拝読いたしました」のように用いられ、相手への敬意を表す表現です。同義語に「拝誦」があります。
内容を深く味わいながら、じっくりと読み込むことを指す。文字面を追うだけでなく、その背景や含意を考え、作品の真髄を理解しようとする読書の態度を表す。
音読とは、文字や文章を声に出して読み上げる行為を指します。また、漢字をその字音で読む読み方のことも意味し、訓読と対をなす概念です。
文章や詩などを声に出して読み上げること。特に文学作品を感情を込めて読み上げる表現行為を指し、朗誦とほぼ同義である。
訓読とは、漢字に日本語固有の意味に対応する読み方を当てて読む方法を指します。例えば、「山」を「やまと読むことです。また、漢文を日本語の語順や助詞・助動詞を補いながら読み下す方法も含まれます。
通読とは、書物や文章を最初から最後まで一通り読み通すことを指す。全体を通して読むことで、内容を把握したり、批評を行ったりする際の前提となる行為である。
解読とは、古代文字や暗号など、通常の方法では読み取れない文字や記号を分析し、その意味を明らかにすることを指します。判読とほぼ同義で用いられます。
読点とは、文章の切れ目や区切りを示すために用いられる記号で、「、」の形で表されます。句点とともに文の構造を明確にする役割を果たします。
読経とは、声を出して仏教の経典を読み上げることを指す。主に仏事や修行の場で行われ、本堂などからその声が聞こえてくることもある。同義語として「読誦」や「看経」があり、「どっきょう」と読む場合もある。
書物を読み、その内容を理解する行為を指す。特に本を読むことを意味し、知識の獲得や教養を深めるための活動として捉えられる。
読破とは、通常は難解であったり分量の多い書物を、途中で投げ出すことなく最後まで読み通すことを指す。
読本とは、一般に読むための本を指すが、特に絵本に対して文字を中心とした読み物を意味する。また、旧制の学校において国語の教科書として用いられたものを指す場合もある。さらに、広義には特定の分野の入門書や教科書、例えば「人生読本」「文章読本」といった表現で用いられることもある。
文章を読み、その内容を正しく理解することを指す。特に、書かれた情報や文脈を把握し、意味を汲み取る能力として「読解力」という表現で用いられることが多い。
複数の人が一冊の本を順番に読み進め、その内容について解釈を加えたり議論したりする学習方法を指す。読書会や研究会などで行われる共同研究の形態の一つである。
書物や文書などを、内容を確かめながら注意深く読み調べること。特に文献や記録を丹念に読み込む場合に用いられる。
声に出さずに文章を目で追い、内容を理解しながら読むこと。音読と対比される読書の方法で、主に個人の学習や情報摂取の場面で用いられる。
書物を読み、その内容や意味について解説を加えながら講義を行うこと。特に古典や専門書などを対象とし、受講者に理解を深めさせる教授法を指す。
書物に深く没頭し、読みふけることを指す。特に他のことを忘れるほど熱中して読書に没頭する様子を表す。
手に掲げて謹んで読むことを指し、特に宣命などの重要な文書を恭しく読み上げる際に用いられる表現である。
書物などを声に出して、一定の調子をつけて読むことを指す。特に漢文や仏典などを朗々と唱える際に用いられる表現である。
読経と同義で、経典を声に出して読み上げることを指す。特に仏教の儀式において、経文を一定の節回しで唱える行為をいう。
書物のページを繰りながら読み進めることを指し、特に精読というよりも、内容をざっと把握するために行う読み方を意味する。
句読点とは、文章の切れ目や区切りを示すための符号であり、主に句点「。」と読点「、」を指す。これらを適切に用いることで、文の構造を明確にし、読みやすさを向上させる役割を果たす。
読心術とは、相手の表情や仕草、声の調子などの微細な変化を観察し、そこからその人の心中にある考えや感情を推し量る技術を指す。
読唇術とは、相手の口元の動きを観察し、発話内容を理解する技術を指す。主に聴覚障害者が会話の補助手段として用いることが多く、読話とも呼ばれる。
一読三嘆とは、優れた詩文や書物を読んで深く感銘を受け、何度も感嘆の声を漏らすことを意味する。すぐれた文章に触れ、心を動かされる様子を表す四字熟語である。
読書亡羊とは、他のことに気を取られて本来の大切な仕事をおろそかにすることを意味する四字熟語である。羊の番をしながら読書に夢中になり、羊を逃がしてしまった故事に由来し、本務を忘れて別の事に熱中する愚かさをたとえる。
読書百遍とは、書物を繰り返し熟読することによって、その意味が自然と理解できるようになるという教えを表す四字熟語である。『三国志』魏志の注釈に由来し、学習においては丹念に何度も読み返すことの重要性を説いている。
読書三昧とは、他のことを顧みずに読書だけに没頭する様子を表す四字熟語である。「三昧」は一つのことに夢中になることを意味し、ここでは書物を読むことに全てを注ぎ込む状態を指す。
晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家で読書をするように、自然の移り変わりに身を任せて、世間の煩わしさから離れた悠々自適な生活を送ることを表す。
聖読庸行とは、聖人の書物を読むほどに学識は深いにもかかわらず、実際の行動はごく平凡で、学んだことを実践に活かせない様子を表す四字熟語である。
文章を繰り返し丁寧に読み込み、その内容について何度も深く思索を重ねることを意味する。