仏心とは、仏が衆生を救済しようとする慈悲深い心を指す。また、一切の衆生が本来備えている仏となる可能性、すなわち仏性と同義として用いられることもある。「ほとけごころ」と訓読みされる場合もある。
仏像とは、仏教において信仰の対象として造形された仏の姿を表す彫刻や絵画のことを指す。主に木や石、金属などで制作され、寺院や家庭の仏壇に安置され礼拝される。
仏縁とは、仏教の教えに触れ、仏道に入る契機となる出来事や縁を指す。また、仏の導きによって結ばれる人との出会いや、仏法に縁のある機会を意味する。
仏閣とは、仏教の寺院を指す語であり、特に寺社建築における楼閣や堂塔などの建物を総称する場合にも用いられる。
仏壇とは、仏像や先祖の位牌を安置し、礼拝の対象とするための壇や厨子を指す。家庭や寺院において、花や灯明、供物を捧げて礼拝を行う場として設けられる。
仏教の教義や説法を記録した聖典の総称であり、経典や律典、論蔵などを含む。釈迦の教えを伝える根本文献として、仏教の信仰と研究の基盤をなす書物群を指す。
紀元前5世紀頃、インドの釈迦牟尼(ゴータマ・ブッダ)によって創始された宗教。苦しみの原因を探求し、悟りを開くことで輪廻からの解脱を目指す教えであり、後にアジア全域へ広まった。
仏滅とは釈迦の入滅を指す語であり、転じて陰陽道において万事に凶とされる日を意味する。後者の用法では「仏滅日」の略称として用いられ、六曜の一つに数えられる。
仏師とは、仏像を彫刻し制作する専門の工匠を指す。木彫りや鋳造などの技法を用いて、信仰の対象となる仏像を造形する職人であり、仏教美術において重要な役割を担ってきた。
化仏とは、仏や菩薩が衆生を救済するために仮の姿をとって現れることを指す。また、仏像の光背や天蓋などに表された小さな仏像のことも意味する。
成仏とは、仏教において煩悩を離れ悟りの境地に至ることを指す。また、転じて人が亡くなり仏となること、すなわち死を婉曲に表現する際にも用いられる。
念仏とは、仏の名号を口に出して唱える修行を指し、特に浄土教においては阿弥陀仏の名を称えることを意味する。
持仏とは、常に身近に置いて礼拝するための小型の仏像を指す。また、その仏像を安置する持仏堂を略して呼ぶ場合もある。
神と仏を指す語であり、また神道と仏教の両方を総称する場合にも用いられる。
喉仏とは、頸部の中央付近に位置する甲状軟骨の突出部を指す。特に成人男性において顕著に認められる外観上の特徴であり、俗に喉骨とも呼ばれる。
新仏とは、死後初めて迎えるお盆に供養される故人の霊魂を指す。新精霊や新霊とも呼ばれ、通常「あらぼとけ」と読むが、「しんぼとけ」や「にいぼとけ」と読む場合もある。
懸仏とは、銅板などに神仏の像を彫刻し、柱や壁などに掛けて礼拝した仏具の一種である。鎌倉時代から室町時代にかけて特に盛行し、簡便な形式で信仰対象を身近に置くことを可能にした。
仏陀とは、梵語の音訳で「目覚めた者」を意味し、特に仏教の開祖である釈迦牟尼を指す。また、広義には一切の煩悩を断じ、完全な悟りを開いた者を称する語である。
仏龕とは、仏像や位牌などを安置するための厨子や小さな祠のことを指します。家庭の仏壇や寺院などに設けられ、礼拝の対象を収める神聖な空間を構成します。
仏舎利とは、釈迦の遺骨を指す言葉である。舎利は梵語の音訳で遺骨を意味し、仏の骨として信仰の対象となる。仏塔に納められるなど、仏教において重要な聖遺物とされている。
仏生会は、釈迦の誕生を祝う法会であり、陰暦四月八日に行われる。この行事では、釈迦の像に甘茶をひしゃくで注ぎかけ、その誕生を記念する。花祭りや灌仏会とも呼ばれ、春の風物詩として親しまれている。
仏頂面とは、不機嫌そうに口をとがらせたり、無愛想で険しい表情を浮かべている様子を指す。釈迦の頭上に現れるとされる仏頂尊の厳かな面相に由来し、不満や不服を顔に表している状態をいう。
仏法僧は、仏教において最も尊ばれる仏・法・僧の三宝を指す語である。また、ブッポウソウ科の鳥の名でもあり、夏鳥として森林に生息し、青緑色の体をもつ。かつてはその鳴き声を「ブッポウソウ」と聴きなしたが、実際にそのように鳴くのはコノハズクであることが判明し、本種は「姿の仏法僧」とも呼ばれる。
空念仏とは、心を込めずに口先だけで唱える念仏を指す。転じて、実際の行動を伴わず、言葉だけの主張や約束を意味する。
自然の岩壁や巨石の表面に直接彫刻された仏像を指す。インドや中国をはじめ、仏教が広まった地域で多く見られる造形で、石窟寺院とは異なり、野外の岩肌を彫り込んで制作される点に特徴がある。
仏手柑はミカン科の常緑低木で、インド東部を原産とする。初夏に白い五弁の花を咲かせ、その果実は楕円形で先端が細かく指のように裂け、独特の形状を示す。主に観賞用として栽培され、その名称は漢名に由来する。
アオイ科の常緑低木で、中国を原産地とする。夏から秋にかけて、赤・白・黄色などの鮮やかな色彩をもつ、ラッパ状の大型の五弁花を咲かせる。ハイビスカスの一種として知られ、主に観賞用に栽培される。表記としては「扶桑花」と書くこともある。
御陀仏とは、臨終の際に南無阿弥陀仏を唱えることに由来し、死ぬことを意味する。転じて、物事が完全に失敗に終わる様子も指す。
仏掌薯はヤマノイモ科のつる性多年草で、ナガイモの一品種である。塊根は手でこねて丸めたような独特の形状をしており、食用とされる。別名としてコブシイモやツクイモとも呼ばれる。漢名に由来する「仏掌薯」の表記のほか、「捏ね薯」と書くこともある。
迦葉仏は過去七仏の第六番目に位置し、釈迦牟尼仏の直前に出現した仏陀である。
鬼面仏心とは、外見は鬼のように恐ろしい風貌をしているが、内面には仏のように慈愛深く優しい心を持っていることを指す。また、そのような性質を持つ人を形容する際にも用いられる。
念仏三昧とは、仏教において一心に念仏を唱えることに専心する状態を指す。「念仏」は主に「南無阿弥陀仏」と称える行を、「三昧」はサンスクリット語由来の語で一つの対象に心を集中させる境地を意味し、合わせて他の雑念を交えずにひたすら念仏を続ける様を表す。
即身成仏とは、密教における重要な教義で、生身の肉体のままで仏の境地に至ることを指す。即身は現世の身体を意味し、成仏は悟りを開くことを表す。この概念は、修行によって凡夫でもこの世において仏となる可能性を示している。