万灯とは、神仏への供養として灯される多くの灯火を指す。また、木枠に紙を張った箱型の行灯に火を灯し、長い柄を付けて捧げ持つ祭礼用の灯籠のこともいう。
幻灯とは、写真フィルムや絵画などの画像に光を照射し、凸レンズを通して拡大し、スクリーンに投影する装置を指す。スライド映写機とも呼ばれる。
石油の原油を精製して得られる燃料用の油で、主に石油ストーブや石油ファンヒーターなどの暖房器具、あるいはランプの燃料として用いられる。読みが「ともしあぶら」の場合は灯火用の油を指し、区別される。
灯籠とは、屋外に設置したり軒先に吊るしたりする灯火具のことで、石や木、金属などで作られた火袋の中に灯火を灯す仕組みとなっている。
灯影とは、灯火や電灯などの光源が周囲を照らし出す光、あるいはその光によって生じる陰影のことを指す。
灯下とは灯火の照らす範囲、特に灯りの近くを指す語で、読書や細かい作業を行う場所としても用いられる。
灯心(とうすみ)とは、行灯やランプなどに用いられ、油に浸して火を点けるための芯を指す。灯火の源となる部分であり、「とうしみ」または「とうしん」とも読まれる。
灯台とは、主に港や岬などの沿岸部に設置され、夜間に光を発して船舶の航行を安全に導く塔状の建造物を指す。また、かつては室内で灯火を載せるために用いられた木製の台、すなわち灯明台や燭台のことも意味した。
法灯とは、仏法の教えを灯火にたとえた表現で、迷いの闇を照らし、人々を悟りへと導く智慧の光を意味する。転じて、その教えを体現する高徳の僧や祖師を指すこともあり、また仏前を照らす灯明そのものを示す場合もある。
赤い光を放つ灯火を指し、特に繁華街の夜の灯りを連想させる。また、赤い紙を貼った小さな丸い提灯のことも指し、ほおずき提灯のような形状を思い起こさせる。
電灯やガス灯などの照明器具の火や明かりを消すことを指す。特に学校や寮などで定められた時間に照明を消す習慣や規則を意味する場合もある。
鬼灯はナス科の多年草で、夏に淡黄色の花を咲かせ、後に袋状の萼が赤く膨らみ、中に果実を包む。その提灯のような形状から「鬼灯」の字が当てられ、漢名に由来する。別名を酸漿(ほおずき)ともいう。
舷灯は、船舶が夜間航行時にその進行方向を示すために掲げる灯火である。右舷には緑色、左舷には赤色の灯を点灯し、他の船舶から見た自船の向きと進路を識別させる役割を果たす。
冬の夜にともる灯火で、その光が寒々と寂しげに感じられるものを指す。また、薄暗く物寂しい明かりそのものの様子を表すこともある。
街灯とは、主に公道や歩道の沿道に設置され、夜間の通行の安全を確保するために照明を提供する電灯のことを指す。街路灯とも呼ばれ、都市や集落の公共空間を照らす役割を果たしている。
電気を利用して発光する照明器具の総称。特に白熱電球を用いたものを指すが、広義には蛍光灯やLED照明なども含まれる。
灯火をともすために用いる油を指す。特に「ともしあぶら」と読む場合、灯火用の油を意味し、「とうゆ」と読む場合とは区別される。
灯火とは、灯して明かりとする火のことを指す。古くは松明やろうそく、油を燃やす器具などによる照明を意味し、現代では電灯も含むが、どちらかといえば仄暗く揺らめくような儚い光のイメージを伴うことが多い。
灯火をともす際に油皿を載せる台を指し、灯台や燭台とも呼ばれる。
竿灯は秋田市の七夕祭りで行われる行事であり、長い竹竿に横竹を取り付け、そこに提灯を九段に吊り下げたものを指す。各町内が太鼓の音に合わせて掛け声をかけながらこれを操り、練り歩いて技を競う。
檠灯とは、燭台に立てられた灯火のことを指す。特に、ろうそくや油を用いた照明器具に灯された火の光を意味し、古くは室内を照らす明かりとして用いられた。
龕灯は仏壇に灯す灯火を指し、灯明とも呼ばれる。また、鉄やブリキで釣鐘形に作られた提灯の一種を略してこう呼ぶこともあり、内部に回転する燭台を備え前面を照らす構造を持つ。表記は「強盗」と書く場合もあり、「ガントウ」と読まれることもある。
万灯会とは、懺悔や滅罪を祈願して数多くの灯明を灯し、仏や神を供養する宗教行事である。
白灯油とは、無色透明に精製された灯油の一種であり、燃焼性に優れ、特有の刺激臭が抑えられている。主に家庭用の暖房器具や燃料として使用される。
石灯籠とは、石材を用いて作られた灯籠のことで、主に寺院や神社の境内、あるいは日本庭園などに設置される。夜間には内部に灯りをともし、周囲を照らす役割を果たすとともに、荘厳な雰囲気を醸し出す造形物としても親しまれている。
二本の炭素棒の間に生じるアーク放電を光源とする電灯の一種で、その放電が弓状(アーク)を描くことに由来する名称である。アークライトとも呼ばれる。
夜通し点灯し続ける灯火を指し、常灯や終夜灯とも呼ばれる。主に寺院の仏前や公共の場などで、夜間も消えることなく灯りを保つために用いられる。
夜間に魚が光に集まる習性を利用し、漁を行う際に海上や海中に設置して点灯する灯火のことで、漁火(いさりび)とも呼ばれる。イカ釣り漁船などで用いられ、暗い海面を照らして魚群を誘引する役割を果たす。
神仏を祀る祭壇や仏前に供える灯火を指し、荘厳な儀式や神聖な空間を照らすために用いられる。
走馬灯とは、内部のろうそくに火をともすと内枠が回転し、外枠に描かれた影絵が次々と映し出される仕掛けの灯籠を指す。転じて、記憶や情景が次から次へと連続して心に浮かぶ様子の比喩としても用いられる。
神仏を拝む際に供える灯火のことで、灯明とも呼ばれる。
ヒトリガ科の蛾の一種。全身が白色で、腹部の両側に赤い斑紋が見られる。夏季に灯火に飛来する習性がある。
夜間に灯火でガなどの害虫をおびき寄せ、水に落として駆除する装置。主に夏期に使用される。
愛月撤灯とは、月の光を愛でるあまり、灯りの灯りを消してしまうという故事に由来する四字熟語で、特定の物事に対する偏愛が極めて強い様子を表します。月明かりの美しさに心奪われ、人工の明かりを消すほどにその対象に没頭することを意味し、強い愛着や執着の度合いを示す表現として用いられます。
風前の灯とは、風の吹き付ける場所に置かれた灯火がいつ消えるかわからないように、物事が非常に危うく、はかなく、わずかなことで崩れ去りやすい状態を表す。特に、人の命や地位、あるいは状況が極めて不安定で、危機が目前に迫っていることを喩える表現である。
貧しい者が真心を込めて仏前に捧げる一つの灯明は、富める者の捧げる多くの灯明よりも尊いという意から、真心のこもった行いの尊さを説くたとえ。
灯火可親とは、灯りの下で読書をするのに適した秋の夜長を表す四字熟語である。もとは韓愈の詩「符読書城南」に由来し、秋の涼やかな気候の中で灯火の温もりを感じながら読書に親しむ、穏やかで風雅な情景を指す。
新涼灯火とは、秋の初めに訪れる涼やかな気候の頃を指し、灯りの下で読書に親しむのに最も適した季節であるという意味を表す四字熟語である。新涼は秋口の涼しさを、灯火は「灯火親しむべし」を略した表現で、夜長で過ごしやすい秋には明かりをともして書物を読むのがよいという趣旨を含んでいる。
孤灯一穂とは、一本の灯火がほのかにともる様子を指す。その光はわずか一筋であり、周囲の闇に取り囲まれた孤独で寂寥とした情景を表す。ここで「穂」は炎の形を穂先に見立てた表現である。
「梧前灯火」とは、中国の故事に由来する四字熟語で、梧(あおぎり)の木の前で灯火をともして書物を読むことを意味します。転じて、苦労をいとわずに勉学に励むことや、貧しい環境の中で学問に打ち込む姿勢を表します。
紅灯緑酒は、赤々と灯る灯りと緑の酒が象徴する、夜の歓楽街や繁華街のにぎやかで華やかな様子を表す四字熟語である。