礼儀や作法に縛られず、自らの思いのままに振る舞うことを指す。
世間の慣習や規範にとらわれず、自由に思いのままに振る舞う様子。心の赴くままに行動することを指し、時に大胆で抑制のない態度を含意する。
放射とは、一点を中心として四方八方へ広がり出ることを指す。また、物体から熱や光、電波などのエネルギーが放出される現象も意味し、例えば放射性元素が示す性質などに用いられる。
映画やテレビ番組などの映像作品を、テレビ放送を通じて一般の視聴者に送り出すことを指す。特に、劇場公開された映画をテレビで放送する場合に用いられることが多い。
「放下」は、物を投げ捨てる、あるいは高い所から投げ下ろすことを意味する。また、中世から近世にかけて行われた大道芸の一種を指し、手品や曲芸、小切子(こきりこ)を操りながら小歌を歌うなどの芸能をいう。仏教用語として「ホウゲ」と読む場合は、悟りを開くために世俗の執着を捨て去ることを表す。
放出とは、内部に蓄えられていたものを外へ勢いよく出すことを指す。例えば、間欠泉が水蒸気を噴出するような自然現象や、組織が保有する物資や人材を外部へ解き放つ行為などに用いられる。
捕らえた生き物を自然に逃がして自由にすること。特に、仏教の慈悲の精神に基づき、魚や鳥などを解放する行為を指す。
放棄とは、それまで持っていた権利や資格、あるいは進行中の物事を打ち捨てて、以後それに関わらないようにすることを指す。例えば、選挙における投票権を行使しない場合や、競技の途中で続行を断念する場合などに用いられる。
放心とは、気が抜けてぼんやりとした状態になること、あるいは心配事を解き放って気にかけないことを指す。前者の用法では、意識が散漫になり注意力が低下した様子を表し、後者の用法では安心や放念と同義で、心配を捨てて気楽になることを意味する。また「放神」と表記されることもある。
放吟とは、周囲を気にせずに声を張り上げて詩歌を詠むことを指す。自由闊達な振る舞いで詠唱する様子を表し、放歌と同様に、抑制なく情感を込めて歌うことを意味する。
電波や有線回線などを用いて、音声や映像などの情報を不特定多数の聴取者・視聴者に向けて送信する行為を指す。また、そのようにして送られる番組や情報そのものを指すこともある。
放言とは、思慮を欠いた無責任な発言をすること、あるいはその言葉を指す。特に立場や責任を考慮せずに勝手気ままに述べ立てる様子を表し、時に暴言に近いニュアンスを含む。
思い切りよく大胆なさま。遠慮や躊躇を捨て、思い切った行動をとる様子を表す。
熱や光、香りなどが一点から四方八方へと広がって行くこと。また、そのように広げること。
そのままにしておくこと。手を加えずに、ある状態や場所に置き去りにしておくことを指す。例えば、自動車を道路に放置するといったように用いられる。
放漫とは、物事をきちんと整えずにいい加減に扱い、しまりがない様子を指す。特に、計画性や管理を欠いただらしない状態を表し、経営や生活態度などについて用いられる。
蓄電池などに蓄えられた電気を外部へ放出することを指す。また、空気などの絶縁体を挟んで離れた電極間に電位差が生じ、絶縁が破れて電流が流れる現象もいう。
放流とは、堰き止められていた水を流すことを指し、ダムなどからの放水を意味する。また、養殖や資源保護のために魚類を川や湖など自然の水域に放す行為も含まれ、例えばサケの稚魚を放流するといった用法がある。
排尿行為を指す語で、特に小便を体外に放出することを意味する。
干渉や制限を加えず、相手の行動や物事の成り行きに任せることを指す。特に教育や管理の場面で、自由を尊重するあまり必要な指導や規律を欠く状態をいうこともある。
放念とは、気にかけないことや心配しないことを意味し、主に手紙文において相手の安心を促す表現として用いられる。例えば「どうぞご放念ください」のように、相手に懸念を捨てて安心するよう伝える際に使われる。
放伐とは、古代中国において悪政を行う天子をその地位から追放し、新たな君主を立てることを指す。また、転じて敵を討ち滅ぼすことの意味でも用いられる。
家畜を野原や草地に放し、自由に草を食べさせながら飼育する方法を指す。特に牛や馬などの大型家畜を対象とし、遊牧と区別して一定の地域内で行われる飼育形態を表す。
開放とは、戸や窓を開け放つことを指す。また、制限を設けずに自由な出入りや利用を許す状態を意味し、施設や場所を広く一般に公開する場合にも用いられる。閉鎖の対義語であり、心身の束縛を取り除く「解放」とは漢字も意味も異なる。
解放とは、束縛や制限を取り除き、自由な状態にすることを指す。例えば、抑圧からの自由を求める民族解放運動のように用いられる。なお、「開放」と表記した場合は、門戸を開いて制限を緩めるという意味合いが強くなる。
豪放とは、度量が大きく細かいことにこだわらない性格や様子を指す。物事に動じず、大胆で闊達な振る舞いを示し、特に人柄や行動が雄々しく、小細工のない様を形容する。
放恣とは、わがまま勝手に振る舞い、欲望や感情の赴くままに行動する様を指す。道徳や規範を顧みず、自制心を欠いた態度や行為を表す語である。
放擲とは、投げ捨てるようにして、責任や義務などを顧みずに放棄することを指す。漢字の「放」も「擲」も、ほうり出す意味を持つことから、物事を投げ出して諦める様子を表す。表記としては「擲」の字を用いてもよい。
放埒とは、もともと馬が馬場の囲いの埒を越えて外に出ることを意味し、転じて、規律や道徳に縛られず、勝手気ままに振る舞う様を指す。特に酒や女遊びなどに耽り、身持ちを崩してだらしなく生活することをいう。
放蕩とは、酒や女遊びに耽り、身持ちを正さずに道楽にふけることを指す。品行が乱れ、節度を欠いた生活を送る様を表し、特に若い頃からの習慣として定着している場合に用いられる。
平面上で、定点(焦点)と定直線(準線)からの距離が等しい点の軌跡として定義される曲線。また、物体を斜め上方に投射した際に描く軌道としても知られ、その形状から「物線」の書き換え字として用いられる。
野放図とは、何の制約も受けずに自由勝手に振る舞う様子を指し、特に他人のことを考えずに自分本位に行動する態度を表す。また、物事が際限なく広がり、収拾がつかなくなる状態についても用いられる。
屁放虫は、ミイデラゴミムシやカメムシなど、外敵から身を守るために刺激を受けると悪臭を放つ昆虫の総称を指す。ヘッピリムシやヘコキムシとも呼ばれ、特に秋の季語としても用いられる。
放屁虫(へひりむし)とは、ミイデラゴミムシやオサムシ、カメムシなど、外部からの刺激を受けると悪臭を放つ防御行動を示す昆虫の俗称である。秋の季語としても用いられる。
「豁達豪放」とは、心が広く小さなことにこだわらず、物事に動じない大らかな性格を表す四字熟語である。度量が大きく、細かいことを気にせず、自由闊達で豪快な振る舞いをする様を指す。
漫語放言は、深く考えずに思いつくままに話すこと、あるいはそのような言葉を指す。漫語はとりとめのない言葉、放言は言いたい放題に無責任に発言することを意味し、両者が組み合わさって、軽率で無分別な言動を表す四字熟語である。
深く考えずに思いつくままに口まかせに言い散らすこと。また、そのような軽率な言葉や話を指す。
「摩頂放踵」は、頭の頂から足の踵までがすり減るほど、自らの身を顧みずに他人のために尽力することを意味する四字熟語である。これは孟子が墨子の行動を評した言葉で、「摩」はすり減らすこと、「頂」は頭、「放」は至ることを表し、文字通り「頂を摩して踵に放つ」と訓読される。
奔放不羈とは、あらゆる束縛や制約から解き放たれ、自由闊達に考え、行動する様を表す四字熟語である。「不羈」は縛られないことを意味し、心のままに振る舞う自由さを強調する。順序を逆にした「不羈奔放」も同義として用いられる。
「放虎帰山」は、虎を山に放してしまうという意味から、将来の禍根となるような危険な敵や災いを逃がしてしまう愚かさを表す四字熟語である。『三国志』蜀志の注釈に由来し、敵を甘く見て逃がすことが、後々自らに牙をむく結果を招くという戒めの意を含む。