三里は灸術で用いられる経穴の一つで、膝蓋骨の外側下部にある窪みに位置する。この部位に施灸を行うと、様々な疾患に対する治療効果があると伝えられている。
サトイモ科の多年草で、熱帯アジアを原産とする。野菜として広く栽培されており、大きな卵形の葉と太い葉柄を持つ。地下の球茎と葉柄が食用とされ、ヤツガシラやアカメイモなど多くの品種がある。秋に収穫期を迎える。
里子とは、実の親元を離れて他の家庭に預けられ、養育される子供を指す。また、そのような養育の形態そのものを表すこともある。里親に育てられる子供を意味し、実子と対比される概念である。
里心とは、故郷を離れて暮らす者が、ふとした折に故郷や実家、家族を懐かしく思い慕う心情を指す。旅先や寄宿先など、慣れない土地で過ごすうちに自然と湧き起こる郷愁の気持ちであり、いわゆるホームシックの状態をいう。
里程とは、陸路における道のりの長さを指し、特に里数を単位として測られる距離を意味する。道路標識などに示される「里程標」という語に用いられるように、起点からの経過距離を示す場合が多い。
里謡とは、古くから地方の民衆の間に伝承されてきた歌謡を指す。特定の地域に根ざし、口承によって伝えられてきた素朴な歌であり、俚謡や鄙歌とも呼ばれる。
ヤード・ポンド法における距離の単位で、一マイルは約一・六キロメートルに相当する。漢字では「哩」と表記することもある。
生まれ育った土地を指し、個人の原風景や帰属意識と深く結びついた場所を意味する。
遊里とは、遊女屋が集まって営業している地域を指す言葉で、遊郭や廓とも呼ばれる。主に江戸時代以降、公許の遊興地として発展した町を意味し、色町や色里といった表現も同義として用いられる。
計里はチドリ科の鳥で、「ケリリ、ケリリ」と聞こえる鳴き声がその名の由来とされる。別名を鳧(けり)ともいう。
里曲とは、人里のあたりや里の内側を指す語である。平安時代以降に「さとわ」と誤読されることもあったが、本来は「さとみ」と読む。
中国において死者の魂が集まるとされる山を指し、転じて墓地の意として用いられる。また、庶民の葬送の際に歌われる挽歌の名称でもあり、『薤露』と対をなすものとされる。
千里眼とは、遠く離れた場所の出来事や未来の事象を見通す能力、あるいは他人の心の内を感じ取る能力を指す。また、そのような能力を持つ人物を指すこともある。
道路や鉄道の沿線に設置され、起点からの距離を表示する標識を指す。
「薤露蒿里」は、中国の古い葬送歌である「薤露」と「蒿里」の二つの挽歌の名を合わせた四字熟語である。薤(にら)の葉に宿る露がすぐに乾くように、また人の魂が集まるとされた蒿里の地に喩えて、人の命のはかなさを表す。秦末の田横の故事に由来し、転じて人生の短さや無常を詠う比喩として用いられる。
「階前万里」とは、天子が遠方の出来事を宮殿の階段の前で起こっているかのように明らかに知っており、臣下が隠し立てや欺くことができないことを表す四字熟語である。『十八史略』に登場する故事に基づき、君主が広大な領土の隅々までその実情を掌握している優れた統治のあり方を示す。
雲烟万里とは、はるか遠くまで続く雲や霞のたなびく様子を表し、広大で果てしない風景を指す。また、遠く離れた場所や、はるか彼方にあるものごとを喩える表現としても用いられる。
一瀉千里とは、物事の進み方が極めて速やかな様子、あるいは弁舌や文章が淀みなく流れるように滑らかな様子を表す四字熟語である。由来は、一旦流れ出した川の水が瞬く間に千里もの遠方まで流れ下るというイメージに基づいており、「瀉」は水が流れ出ることを意味する。
一里撓椎とは、『淮南子』「説山訓」に見える四字熟語で、一里(約四キロメートル)もの長さの椎(つち、槌)が曲がってしまうほどに、物事が長く続くと、わずかな誤りや欠点が積み重なって大きな過ちに至ることを喩えた表現である。
一日千里とは、優れた馬が一日に千里もの距離を走ることに由来し、物事の進歩や発展が非常に速いこと、また才能が抜きん出て優れていることをたとえる四字熟語である。『荘子』「秋水篇」を典拠とし、転じて水の流れが極めて急な様子を表すこともある。
悪事千里とは、悪い行いはたとえ隠そうとしても、たちまち遠くまで広まり、世間に知れ渡ってしまうことを意味する四字熟語である。「千里」は遠方まで及ぶ意で、広く世間を指す。この語は「悪事千里を行く」「悪事千里を走る」などの形で用いられ、悪い評判の広まりの速さを表す。
沃野千里とは、肥沃な平野が広大な範囲にわたって広がっている様子を表す四字熟語である。「沃野」は豊かな土地を指し、「千里」は遠くまで続く広大な面積を意味する。主に農業に適した豊かな大地が果てしなく続く景観を形容する際に用いられる。