道徳に反する悪い行いや、人としての道理に外れた振る舞いを指す。特に、小人が独りでいる時に陥りやすい不適切な行為をいうことが多い。
悪いところや不十分な点を改め、より良い状態にすること。生活態度や業務プロセスなど、様々な面において向上を図る行為を指す。
自分だけが正しいと思い込み、他人の意見や立場を顧みない態度を指す。自己の判断や価値観を絶対視する傾向があり、しばしば視野の狭さや柔軟性の欠如を伴う。
死者の冥福を祈り、その功徳を死者に回向するために行われる仏事や善行を指す。追福ともいい、供養や興行などの形をとることがある。
善根とは、仏教において将来に善い果報をもたらす原因となる善い行いを指し、善因や善業とも呼ばれる。主に仏道修行の基礎を築く功徳として捉えられ、他者への施しや信仰実践などがこれに当たる。
善処とは、状況に応じて適切かつ良好な方法で物事を処理することを指す。また、仏教用語として極楽浄土を意味し、この場合は「善所」と表記されることもある。
善戦とは、相手の実力が上回る状況においても、自らの力を尽くして立派に戦うことを指す。戦いの結果が敗北に終わった場合でも、その奮闘ぶりを評価する意味合いを含むことが多い。
善玉とは、善良な人物や良い人柄を指す言葉である。江戸時代の草双紙などでは、円形に描いた人の顔に「善」の字を書き添えて善人を表現したことに由来し、対義語として「悪玉」が用いられる。
善導とは、人を教え諭すことによって正しい道へと導くことを指す。特に、誤った方向に進んでいる者を、適切な指導によって良い方向へと導き改心させる行為をいう。
善否とは、物事の良し悪しや優劣を指す言葉で、善と不善の両面を含む概念である。
隣国や隣家同士が互いに親しく交わり、良好な関係を保つことを指す。特に外交政策において、近隣諸国との友好関係を重視する姿勢を表す際に用いられる。
最善とは、考えられる範囲内で最も優れている状態や、最も良いことを指す。また、可能な限りの努力を尽くすという意味でも用いられ、ある物事に対して成し得る最高の結果や対応を表す。
善哉は、関西地方ではつぶしあんを用いた汁粉を指し、関東地方では粟や白玉餅に濃いあんをかけた菓子を意味する。また、感嘆や賞賛を表す「善きかな」と同じく、喜びや称賛の意を込めて用いられることもある。
善哉は「よいかな」と読み、感嘆や賞賛の意を表す古風な表現である。物事を褒め称えたり、その良さを深く感じ取ったりする際に用いられ、「まことによいことだ」「すばらしいなあ」といった心情を伝える。また、「ぜんざい」と読む場合もある。
善後策とは、問題や事件が発生した後に、その影響を最小限に抑え、事態を円滑に収束させるために講じる方策を指す。
嘉言善行とは、立派な言葉と模範となる行いを指す四字熟語である。人を感化し導くに足る優れた言動のあり方を示し、特に徳の高い人物の言行を称える際に用いられる。
隠悪揚善とは、他人の欠点や悪い面を隠し、良い面や美点を褒め称えることを指す。この言葉は、『中庸』に由来し、人を扱う際の寛容な態度や、他者の長所を尊重する姿勢を表している。
悪を抑え善を広めることを意味する四字熟語で、『易経』の「大有」に由来する。社会秩序を維持するために悪事を取り締まり、善行を奨励するという、為政者や指導者に求められる姿勢を示す。
福善禍淫は、善行には福が、悪行には禍が報いられるという因果応報の道理を表す四字熟語である。『書経』の「湯誥」に由来し、天の道は善を福で報い、淫らな行いを禍で罰するという意味を伝えている。
追善供養とは、故人の年忌法要などに際して行われる仏教儀式を指し、その功徳を死者に回向することで冥福を祈ることを意味する。
長袖善舞とは、長い袖の着物を着ていると舞いやすく見えることから転じて、財力や権力、あるいは優れた条件を備えている者は、物事を成し遂げるのが容易であるという喩えである。『韓非子』五蠅篇に由来する四字熟語で、「長袖」は身分の高い者や舞姫を指し、「善舞」は巧みに舞うことを意味する。
多謀善断とは、様々な方策を巡らせて深く考え、その中から最適な判断を下し、物事を巧みに処理する能力に優れている様子を表す四字熟語である。
「断悪修善」とは、仏教において悪行を断ち切り善行を修めることを意味する四字熟語で、『原人論』に典拠を持つ。
多銭善賈とは、資金が豊富であれば商売をうまく展開できるという意味で、転じて、物事を成し遂げるには十分な準備や条件が整っていることが重要であるというたとえである。