多寡とは、数量の多いことと少ないこと、すなわち数量の大小や多少を指す語である。主に金額や数量について、その多少を問題にしない場合などに用いられる。
配偶者を失った者が、再婚せずに一人で生活する状態を指す。
寡言とは、言葉数が少なく、口数の少ない様子を指す。物事を多く語らず、沈黙を保つ傾向があることを表し、時に「寡黙」と同義で用いられる。
作家や芸術家などが作品をあまり多く作らないことを指す。創作活動の量が少ない様子を表し、しばしばその作家の特徴として用いられる。
寡占とは、特定の商品やサービスの市場において、少数の企業が生産や販売の大部分を支配している状態を指す。これらの企業は市場における大きな影響力を持ち、価格や供給量などを事実上決定できる場合が多い。
寡夫とは、配偶者である妻を亡くし、その後再婚していない男性を指す。男やもめとも呼ばれ、同義語として寡男(やもお)や鰥夫(やもお)がある。
寡婦とは、夫を亡くし再婚していない女性を指す語で、「やもめ」と同義である。
寡聞とは、自分自身の知識や見聞が狭く、物事をよく知らないことを意味する。主に謙遜の意を込めて用いられる表現である。
寡黙とは、言葉数が少なく、必要以上に話さない様子を指す。口数が少ないことを意味し、多くはその人の性格や態度を表す際に用いられる。
寡男とは、妻を亡くした男性を指す語である。男やもめともいい、寡婦(やもめ)に対応する男性側の表現として用いられる。漢字では「鰥夫」と表記することもある。
夫を亡くした女性を指す語で、未亡人や後家(ごけ)ともいう。男性の場合は「鰥(やもお)」や「鰥夫(かんぷ)」と書き分けることがある。「寡婦」は「かふ」とも読み、「孀」の字を用いて表記することもある。
鰥寡とは、配偶者を失った男女を指す語である。鰥は妻に先立たれた男性を、寡は夫に先立たれた女性をそれぞれ意味し、両者を合わせて用いることで、孤独な境遇にある人々を総称する。
「寡廉鮮恥」は、心が清らかでなく恥を知らない様子を表す四字熟語である。「廉」は心が清く正しいこと、「恥」は羞恥心を意味し、「寡」と「鮮」はともに少ない意を表す。つまり、清廉さが乏しく恥じる心も薄い、節操のない態度や人格を指す。出典は『史記』司馬相如伝に遡る。
見聞が狭く、学識が十分に深まっていない状態を指す四字熟語。知識や経験の範囲が限られており、学問の修養が浅いことを意味する。
寡聞少見とは、見聞きしたことが少なく、世間の事情に疎いことを指す四字熟語である。知識や経験が乏しく、見識が狭い様子を表し、自らの未熟さを謙遜して述べる際にも用いられる。
「寡二少双」は、並ぶ者がいないほど優れていること、世に二つとないことを意味する四字熟語である。「寡二」も「少双」もともに二つとない意を重ねて強調した表現で、『漢書』吾丘寿王伝に「天下に双少なく、海内に二寡し」とある故事に由来する。
寡言沈黙とは、言葉数が少なく、静かに黙っている様子を表す四字熟語である。口数が極めて少なく、物静かで、必要以上に話そうとしない性格や態度を指す。
寡見少聞とは、見聞きすることが少なく、知識や経験が乏しい様子を表す四字熟語である。『漢書』匡衡伝に典拠を持ち、世間知らずで見識が狭いことを意味する。
優柔寡断とは、物事の決断を下す際にぐずぐずと迷いがちで、はっきりとした態度を示すことができない性格や様子を指す四字熟語である。決断力に欠け、ためらいがちな態度を表す。