二世とは、現世と来世、すなわちこの世とあの世を指す語である。親子の縁は現世のみであるのに対し、夫婦の縁は来世にまで続くという考え方を示す「親子は一世、夫婦は二世」という言い回しで用いられることが多い。なお、「にせい」と読む場合は別の意味となる。
二世とは、移民先の国で生まれ、その国の市民権を持つ者を指す。また、同じ名前や家系、地位を継いだ二代目を意味することもある。さらに、ある人の子供、特に息子を指して用いられる場合もある。読み方は「ニセイ」であり、「ニセ」と読む場合は別の意味となる。
万世とは、限りなく長く続く年月、すなわち永遠や永久を意味する語である。非常に長い時代、果てしない未来を指し、「万世不易」などの表現で、永久に変わらないことの喩えとして用いられる。
中世とは、歴史の時代区分において古代と近世の間に位置する時期を指す。日本史では一般に鎌倉時代から室町時代までをさし、西洋史においては西ローマ帝国の滅亡後からルネサンスや大航海時代に至る前の、おおよそ5世紀から15世紀後半までの期間を意味する。
西暦において百年を単位とする区切りの年代を指す。また、「世紀の大発見」のように、百年に一度あるかないかの稀な出来事や、非常に重大な事象を形容する表現としても用いられる。
諸侯や大名などの貴人の家督を継ぐ子を指す語で、嗣子や嫡子と同義である。
世故とは、世の中の事柄や事情、特に人々の間で行われる習慣や付き合いの仕方などを指す。世の中の機微に通じ、処世に長けている様子を表す際にも用いられる。
世襲とは、財産や地位、職業などを子孫が代々受け継ぐことを指す。特に家柄や身分に基づく継承制度を指して用いられることが多い。
世の中や世間一般を指す語で、巷間に広がる話題や風潮、人々の生活の場を意味する。
世の中の状況や動向、また世間一般の人々の心情や考え方を指す語。社会のありさまや風潮、人々の間に流れる感情や価値観を含む広い概念であり、「世情に疎い」などの表現で用いられる。なお「せいじょう」とも読む。
世話とは、他者のために労力を惜しまず面倒を見ることを指す。特に病人や子供など、手助けを必要とする人に対して行われる。また、何かを実現させるために仲介や斡旋を行う意味もあり、例えば縁談を取り持つ場合などに用いられる。さらに、手間がかかる物事や、世間の話題となるような出来事を指すこともある。
世間一般の風俗や習慣を指すとともに、俗世間やそこに生きる人々をも意味する語。
社会の中で生活し、人々との関わりを円滑に進めていくことを指す。世の中を渡って生きるための方法や心構えを含む概念である。
末世とは、道徳が廃れ秩序が乱れた時代のことで、世の終わりを指す。また仏教においては、釈迦の教えが衰微した末法の世を意味する。「まっせい」と読むこともある。
永世とは、限りなく続く長い年月を指し、永久に変わらない状態や地位を表す。例えば「永世中立国」のように、将来にわたって変わることのない性質や称号に用いられる。
早世とは、本来ならばまだ人生を全うすべき年齢に達していない者が、若くしてこの世を去ることを指す。夭折や夭逝と同義であり、早逝とも表記される。
来世とは、人がこの世での生命を終えた後に赴くとされる世界を指す。現世に対する概念であり、前世と対をなす輪廻思想における一環として捉えられることもある。
見世とは、商品を陳列して客に見せ、販売する場所を指す。商店や店舗を意味し、商売そのものを表す場合もある。表記としては「店」の字を用いることもある。
季世とは、世の末を指す語で、道徳や風俗が衰え、世の中が乱れた時代を意味する。末世と同義に用いられる。
世の中の人々が一様に、あるいは全世界がこぞってという意味を表す。
時世とは、移り変わる世の中の様相や、ある特定の時代の状況を指す。また、「ときよ」と読む場合には、その時代に特有の風潮や気風を意味することもある。
常世とは、永久に変わらない状態を指し、永遠を意味する。また、神々が住むとされる理想郷「常世の国」を略した表現としても用いられる。
世の中の人々を苦難から救い、安寧をもたらすことを指す。特に仏教においては衆生を迷いから解脱させる教えを意味し、この場合の読みは「くせ」となる。
現世は、私たちが生きているこの世界を指す語であり、隠り世(あの世)に対する概念として用いられる。古くは「うつしよ」と読み、現実の世やこの世を意味する。現代では「げんせ」や「げんぜ」と読まれることも多い。
神が天地万物を初めて創造すること。また、そのようにして世界が始まること。
渡世とは、この世を生きていくこと、またそのための生活の営みを指す。特に、生計を立てるための職業や稼業を意味し、特定の仕事をして暮らしを立てることを表す。
世の中に並ぶものがないほど優れていること。特に、容姿や才能などが他を圧倒するほどに傑出している様子を指す。
世の中の状態や風潮を嘆き、憂えることを指す。社会のあり方に対して深い悲しみや心配の念を抱く様子を表す。
世の中を覆いつくすほどに気力が盛んで、並外れて優れているさま。特に、その力や勢いが天下に並ぶものがないほどであることを表す。
歴世とは、幾つもの世代にわたって続いている様子を指し、特に家柄や伝統などが長い年月を経て受け継がれてきたことを表す。
世継とは、家督を継承する行為、あるいはその継承者のことを指す。特に皇室においては、天皇の位を継ぐことを意味し、また歴代天皇の事績を語り伝え、記録した書物(『大鏡』など)を指す場合もある。同義語に「世嗣」があり、これは「セイシ」とも読まれる。
濁世とは、人々の心が濁り穢れた時代を指し、道徳が乱れ世の中が荒廃した末世の様相を表す。
世の中を渡って生きていくための才覚や知恵を指し、処世術や人付き合いを円滑に行う能力を意味する。
奕世とは、同じ家系が何代にもわたって続くことを指す。代々連綿と受け継がれる様を表し、特に家柄や伝統が長く続いている状態をいう。
俗世間を離れ、仏門に入ることを指す。また、より広く世間から隠れて静かに暮らす隠遁の意味も含む。
世に並ぶものがないほど優れていること。非常に珍しく、他に類を見ないことを指す。
下世話とは、世間一般で広く交わされる卑俗な話題や言葉遣いを指し、時に品のない内容を含むこともある。
世にめったに現れないほど優れた人物や事物を指す。特に、並外れた才能や業績を持つ人物について用いられる。
世間体とは、社会一般の人々から見たときの体裁や評判のことを指し、個人や家族が周囲に対してどのように見られているかという外聞を意味する。
神社や寺院の境内に設けられた、参拝者向けの土産物や飲食などを売る店舗が並ぶ通路や街並みを指す。特に浅草寺のものが著名である。
日常の世界とは異なる特殊な環境や空間を指し、山荘での生活のように現実から隔絶された場所を意味する。また、自分が属する社会とは全く異なる文化や境遇で育った人々の背景を表すこともある。
見世物とは、入場料を徴収して曲芸や奇術、珍しい事物などを公に展示・上演する行為、またその興行そのものを指す。転じて、多くの人々の好奇や興味の対象として眺められ、時に軽んじられた扱いを受ける状況をも意味する。
降三世は、密教における五大明王の一尊である降三世明王の略称である。東方を守護し、三界(欲界・色界・無色界)を降伏させる力を持つとされる忿怒の尊格を指す。
江戸時代に発達した風俗画の様式で、主に版画により制作され、美人や役者、風景などを題材とする。肉筆画も含まれ、喜多川歌麿や葛飾北斎、安藤広重らの作品が広く知られる。
一面の雪に覆われて、すべてが白銀に輝く光景を指す。特に冬の情景を形容する表現として用いられ、雪化粧した山野や街並みが、まるで銀でできた別世界のように見える様子を表す。
顔見世とは、新しく結成された一座の役者が観客に初めて顔を見せることを指し、特に劇場において役者総出で挨拶し演目を披露する興行を意味する。この慣習は主に冬の時期に行われ、一座の顔触れを披露する機会として定着している。
世迷言とは、筋道の通らない愚痴や不平を指し、聞くに値しないたわごとを意味する。
世間を欺いて名声を盗み取ることを意味する。悪事を働きながら、巧みに人目を誤魔化して名誉を得るたとえ。『荀子』不苟篇に由来する四字熟語である。
華冑家世とは、由緒正しい家柄や名門の家系を指す四字熟語である。華やかな家柄と長く続く家系を意味する「華冑」と「家世」を組み合わせ、格式高く栄えた家の血筋や伝統を強調した表現となっている。
蓋世不抜とは、世の中に並ぶ者のないほど優れており、その才能や力量が他を圧倒している様子を表す四字熟語である。
蓋世之才とは、世の中を覆い尽くすほどの卓越した才能や気力を備えていることを指す。蘇軾の「留侯論」にも見えるように、並外れた知恵と気概によって一世を圧倒する人物やその資質を形容する四字熟語である。
永世中立とは、国家が将来にわたって戦争や軍事同盟に加わらず、いかなる紛争においても中立の立場を維持することを宣言した状態を指す。国際法上の地位として認められ、国家の安全保障政策の一形態である。
仏教用語で、特に『倶舎論』において、生命を持つもの(有情)が住む世界を指す。迷いや苦しみに満ちた現実の世の中を意味し、無情の器世間と対比される概念である。