巧言とは、口先だけの巧みな言葉で、実際には誠意や実質を伴わないものを指す。表面上は巧みに飾られているが、心からの真実が欠如しており、人を欺いたり誤った方向へ導いたりする危険性を孕んでいる。
巧みな言葉や策略を用いて人を欺くことを指し、表面を取り繕い本心を隠す偽りの行為を意味する。
巧者とは、ある物事を巧みにこなす様子、あるいはそのような技量を持つ人を指す。特に競技や試合などにおいて優れた手腕を発揮する者をいう。
巧緻とは、細部に至るまで精巧で繊細な様を指し、特に手仕事や技術において緻密な配慮が行き届いていることを表す。
物事のやり方が非常に上手で、しかも見事であるさまを表す。特に、人を欺いたり騙したりするような策略や手段が優れている場合に用いられることが多い。
弁巧とは、言葉遣いが巧みで、話しぶりが上手な様子を指す。口先が達者で、相手を巧みに説得したり、その気にさせたりするような話術に長けていることを表す。
老巧とは、長年の経験を積み重ねることによって、物事の扱いに熟達し、巧みである様を指す。老練さと技術の冴えが結びついた状態を表す。
細部に至るまで入念に仕上げられ、巧妙な技術や構造が施されている様子を指す。特に工芸品や機械装置などにおいて、細やかで優れた出来栄えを形容する際に用いられる。
巧妙な仕掛けや細工を指すとともに、様々な知恵や工夫を巡らす行為そのものをも意味する。
智巧とは、物事を処理する際に発揮される鋭い才知と巧妙な手腕を指す。状況に応じて適切な方法を考え出し、巧みに事を運ぶ能力を表す。また、「知巧」と表記されることもある。
巧婦鳥はミソサザイ科の小型の鳥を指す。漢名に由来し、その名は精巧な巣を作る習性にちなむとされる。別称として鷦鷯(みそさざい)とも呼ばれる。
芝居や芸能などの見物において、鑑賞眼に優れ、その良し悪しや細かな技巧を見極めることに長けている様子。また、そのような能力を持つ人を指す。
乞巧奠とは、陰暦七月七日の夜に牽牛星と織女星を祭り、女子の裁縫や手芸の技芸上達を祈願する行事を指す。後に七夕の行事として広く親しまれるようになった。「奠」は供え物を捧げて祭る意味であり、「キッコウデン」とも読まれる。
奇技淫巧とは、人を惑わすような奇妙な技芸や、度を越した精巧さを指す。本来は人々の実用に資するものではなく、むしろ道徳を損ない人心を乱すような技巧や工芸を批判する際に用いられる表現である。
外見は巧みに取り繕って飾り立てているが、内心では深く嫉み憎む様子を表す。表面上は如才なく振る舞いながら、内面には強い妬みや怨念を秘めている人間の二面性を指す。
艶麗繊巧とは、華やかで美しく、細やかで巧みなさまを表す。主に女性の容姿や芸術作品の趣などが、艶やかで繊細な美しさに優れている様子を指す。
ろうこうせいせつとは、巧みにやろうとしてかえってまずい結果を招くことを意味する四字熟語である。黄庭堅の「拙軒頌」に由来し、過度な技巧や小細工が、かえって物事を台無しにしてしまう愚かな行為を指して用いられる。
大巧若拙とは、真に優れた技量を持つ者は、その才能を誇示せず、むしろ素朴で拙いように見えることを意味する。『老子』に由来するこの言葉は、外見よりも本質を重んじる思想を表しており、最高の境地に達した者はあえて技巧を隠すという深い哲理を示している。
絶巧棄利は、人の手による精巧な機械や便利な道具を捨て去り、自然に即した素朴な生活へと回帰することを意味する四字熟語である。『老子』第十九章に由来し、「巧を絶ち利を棄つ」と訓読される。
善巧方便とは、仏教において衆生を導くために、その者の能力や境遇に応じて巧みに用いられる手段や方法を指す。真実の教えに至らせるための、臨機応変で慈悲に満ちたはかりごとである。
巧遅拙速とは、物事を完璧に仕上げようとして時間をかけ過ぎるよりも、たとえ出来栄えが多少粗くとも迅速に成し遂げる方が良いという意味の四字熟語である。これは『孫子』に由来する兵法の考え方で、「巧遅は拙速に如かず」を略したものである。