一端とは、物の片側の端や先端を指す。また、全体の中の一部分や、物事の一側面を表す際にも用いられる。
「八端」は「八端織り」の略称であり、縦横に黄色と褐色の縞模様を配した厚手の絹織物を指す。主に布団の地などに用いられる。
下端(さがりは)は、能や狂言において演者の登場に用いられる囃子の一つであり、また歌舞伎においては貴人の出入りなどの場面で演奏される囃子を指す。なお、「さがりば」と読む場合は、平安時代以降に女性の額の髪を肩のあたりで切りそろえた髪型を意味する。
万端とは、物事のすべての方面や細部に至るまでを指す語である。準備や手配などが完全に行き届いている状態を表すほか、あらゆる手段や方法を尽くすという意味でも用いられる。
川の流れに沿った縁の部分を指し、水際の土地や岸辺を意味する。川のほとりや水辺を表す語で、散歩や憩いの場として親しまれる地形を示す。
「半端」とは、物事が完全ではなく中途半端な状態を指す。数量や程度が揃わず、端数が生じている様子を表すほか、態度や立場が曖昧で決断力に欠けることや、一人前の能力や品格に達していないことを意味する。
末端とは、物の先端や端の部分を指す。また、組織や機構において中心から最も遠い位置にある部分を意味し、例えば神経の末端や末端価格といった用法がある。
目端とは、目の端の部分を指すが、転じて物事を素早く察知し、状況に応じて適切に対応する機転の利きを意味する。例えば「目端が利く」という表現は、その人が状況を瞬時に判断して柔軟な行動が取れることを表す。
争いやもめごとが起こるきっかけとなる出来事や状況を指し、紛争の発端となる事柄を意味する。
先端とは、長いものや鋭く尖ったものの最も先の部分を指す。また、時代や流行、技術などの分野において最も進んだ最先端の位置や状態を表す際にも用いられる。
多端とは、物事の端緒が多く、様々な事柄が次々と起こる様子を指す。特に国事や業務などにおいて、処理すべき事柄が多く、忙しい状態を表す際に用いられる。
年齢、特に若い年頃を指す語。主に年少者について用いられ、その年齢に相応しい程度や様子を含意する場合もある。
突端とは、物の先が突き出している部分を指す。特に岬や半島などの地形において、陸地が海や湖に突き出した先端部を表す際に用いられる。
物事の起こり始めを指す語で、特に事件や出来事の最初のきっかけや起源を意味する。事態の始まりを探る際に用いられ、終末に対置される概念である。
軒端とは、屋根の軒の先端部分、あるいは軒の周辺一帯を指す語である。冬には寒さで軒端に氷柱が下がり、七夕には笹が軒端に揺れるなど、季節の風物と結びついて用いられることが多い。
ある社会や時代において正統と認められる思想・学説・宗教などから外れていること。また、そのような説や立場を指す。正統派からは逸脱したものとして排斥されることもあるが、時に新たな潮流を生み出す源泉となることもある。
船端とは、船体の縁や側面の部分を指す言葉で、特に船のへりや舷側を意味します。船べりとも呼ばれ、船の構造において外側の縁取りをなす部分を表します。また、「舷」の字を用いて表記されることもあります。
極端とは、物事の両端や先端を指すほか、考え方や行動が通常の範囲を大きく外れて偏っている様子を表す。また、程度が非常に甚だしい状態や、普通の限度を超えて極度に達していることを意味する。
筆の先端を指すとともに、そこから生み出される書画や文章の筆の運びや趣向、表現の一端をも意味する。
道の両側に沿った部分を指し、歩道や車道の外側に位置する空間を表す。舗装された路面から外れた、土や草が生えているような場所を指すことが多く、路傍とも言う。
戦端とは、戦争が始まるきっかけや端緒を指す語である。戦闘や武力衝突に至る最初の段階を意味し、開戦の契機となる事象や状況を表す。
端月とは陰暦の正月を指す異称である。中国の秦の時代、始皇帝の諱である「政」と「正月」の「正」が同音であったため、これを避けて「端」の字を用いて正月を表したことに由来する。
端厳とは、姿や態度が整っていて厳かな様子を指す。端正で厳格な立ち居振る舞いや雰囲気を表し、威厳がありながらも整然とした美しさを備えていることをいう。
端午は五節句の一つで、五月五日に行われる男子の節句である。この日は、男子の健やかな成長を願って武者人形を飾り、鯉のぼりを立てて祝う習わしがある。「端」は物事の始まりを意味し、「午」は数字の五に通じることから、五月最初の五日のことを指す。別称として重五とも呼ばれる。
端座とは、姿勢を正してきちんと座ることを指し、特に行儀よく整然とした座り方を意味する。正座と同義であり、「端坐」の書き換え字として用いられる。
端白とは、物の縁や端の部分が白くなっている状態を指す。特に動物においては、四肢の先端が白色を呈している様子、あるいはそのような特徴を持つ動物そのものを表す言葉として用いられる。
物事の細部や隅々までを指す語で、特に些細な事柄や細かい点を一つ一つ取り上げて語る際に用いられる。
端緒とは、物事の始まりの部分、あるいはそれを探り当てるための手がかりを指す。問題解決や調査などにおいて、最初の糸口を見出すことを「端緒をつかむ」と表現する。
顔立ちが整っていて美しい様子を指す。特に目鼻立ちの釣り合いが良く、清潔感のある整った容貌を形容する際に用いられる。
端株とは、商法上は一株に満たない株式を指し、株式配当や株式併合などの手続きによって生じることがある。また、証券取引法の文脈では、売買取引の単位に満たない数の株式を意味する。
姿勢や態度が整っていて、礼儀にかなっている様子。特に座り方や立ち居振る舞いがきちんとしていて、心の落ち着きや品格が感じられるさまを表す。
家屋の縁側など、建物の端近くに出て腰を下ろしている様子を指す。特に夏の情景を連想させる言葉である。
端艇とは、大型の船舶に搭載される小型の補助船を指す。また、広く一般の小舟を指して用いられることもある。「短艇」とも表記する。
家屋内部において、上がり口や縁側など、建物の端部に位置し、外に近い場所を指す。
端末とは、物事の終わりの部分を指す語である。また、特にコンピュータシステムにおいて、利用者が直接操作する入出力装置、すなわち端末装置を略した呼称としても用いられる。
姿や容貌が整っていて美しいさまを表す。主に容姿や顔立ちが均整のとれた優雅な美しさを備えている様子を指し、端整とほぼ同義で用いられる。
端数とは、ある単位や基準となる数値に満たない部分の数値を指す。例えば、金額や数量を計算する際に生じる、整数以外のわずかな数値のことをいう。
端本とは、全集や揃い物の書籍において、一部の巻が欠落している状態を指す。完全なセットから数冊が抜けている不完全な蔵書のことで、零本とも呼ばれる。
端物とは、一揃いのものに対して一部が欠けている不完全な状態を指す。また、芸能の分野では、浄瑠璃などにおいて長編の作品に対し、独立した短編の演目を意味する。
演劇や映画などにおいて、主要な役柄ではなく物語の背景を彩る程度の重要性の低い役を指す。また、そのような役を演じる俳優のこともいう。
人里に近い山を指す語で、外山(とやま)とも呼ばれる。深山や奥山に対し、集落から眺められるような手前の山を意味する。
薄端とは、口が大きく開いた金属製の花器を指す。また、転じて、杯など口が広く底の浅い器の形状を表す語としても用いられる。
出端(でばな)は、何かを始めようとする瞬間や物事の最初の段階を指す。例えば、出かけようとした時に誰かが訪ねてくるような折や、物事が始まって調子が出始めたばかりの時期を意味する。「出端を挫く」という表現は、そのような始まりの機会を妨げることを表す。なお、山や岬の突き出た部分を指す「出鼻」とは異なる語義を持つ。
「突端」は「突端(とったん)」と同義で、物の突き出た先端部分を指す。また、物事の最初の部分や始まりを意味し、特に会話や行事などの開始時を表す際に用いられる。
煮端とは、茶を煎じたばかりの香り高く味わい深い状態を指し、特に最初に淹れた茶の最も風味が良い瞬間を表す。出花とも呼ばれる。
端色とは、襲の色目の一つで、表裏ともに薄紫色、あるいは表が薄紫で裏が白を指す。また、染色において薄く染めた色を意味し、「半色」とも表記される。
端倪とは、物事の始まりと終わりを指す言葉であり、転じて事の成り行きを推し量ることを意味する。語源には諸説あり、「端」を山の頂き、「倪」を水辺とする解釈や、「端」を糸口、「倪」を田の境界とする解釈などが伝えられる。
詭計多端とは、様々な悪だくみや策略をめぐらす様を表す四字熟語である。悪知恵に長け、狡猾で抜け目なく、人を欺くようなずる賢さを指す。『三国志演義』などに登場する人物の描写にも用いられる表現である。
影迹無端とは、物事の痕跡や経緯が全く見当たらず、由来や根拠がまったく不明である様子を表す四字熟語である。『宋書』謝霊運伝に典拠を持ち、跡形もなく曖昧で捉えどころのない状態を指して用いられる。
正統とされる教えや学説から外れた、道理に背く誤った思想や説を指す。特に儒教において聖人の道に反する学説を意味し、『宋史』程顥伝にも見える表現である。
顔立ちや体つきが整っていて美しい様子を指す四字熟語。主に女性の外見の美しさを形容する際に用いられ、「端麗」は整然として麗しいことを意味する。
「用意万端」とは、必要な準備がすべて整っている状態を指す四字熟語である。「万端」はあらゆる事柄や全ての面を意味し、これに「用意」が組み合わさることで、周到に準備がなされ、何一つ不足がない様子を表す。
百端待挙とは、やるべき事柄や解決すべき問題が数多く残されており、それらを一つひとつ片付けていかなければならない状態を指す。
中途半端とは、物事が完成に至らず、中途で止まっている状態を指す。また、どちらにも属さず、はっきりしない曖昧な様子や、完全でない不完全さを表す際にも用いられる。
「端木辞金」は、納得のいかない金銭は受け取らないという潔白な姿勢を表す四字熟語である。孔子の弟子である子貢(姓は端木)が、魯国の公金を用いて他国で囚われの身となった国人を買い戻す制度に対し、私財を以てこれを行い、公金の受取りを辞退した故事に由来する。『蒙求』に典拠を持つ。
多事多端とは、仕事や処理すべき事柄が多く、非常に忙しい状態を指す四字熟語である。「多事」は物事が多いことを意味し、「端」は物事の始まりや端緒を表すことから、「多端」は様々な事柄が次々と起こり、対応に追われる様子を言い表している。