朽索とは腐り切った縄のことで、もはや用をなさない綱や縄を指す。特に「朽索を以て六馬を馭するが如し」という成句で用いられ、腐った縄で六頭の馬を御するように、極めて危険で不安定な状態や、困難なことを行う喩えとして使われる。この表現は『書経』に由来する。
麦索は、小麦粉と米粉を練り合わせて縄状に細長くねじり、油で揚げた菓子を指し、索餅(さくべい)とも呼ばれる。また、うどんやひやむぎを指す場合もある。
索条とは、鋼鉄製の針金を数本より合わせて作られた丈夫な綱のことを指し、ワイヤロープとも呼ばれる。主に重量物の吊り上げや牽引など、強度が要求される場面で用いられる。
索然とは、物事に対する興味や関心が失われ、つまらなく感じられる様子を表す。また、散り散りになってまとまりのない状態を指すこともある。
空中に張り渡した鋼鉄製のケーブルに搬器を吊るし、山岳地帯や河川などを横断して人や貨物を輸送する設備を指す。ロープウェイや空中ケーブルとも呼ばれる。
索麺は、小麦粉と塩水を練り合わせて作った生地に植物油を塗り、極めて細く線状に伸ばして乾燥させた麺類である。漢字表記としては「素麺」とも書かれる。
必要な情報を書籍や電子媒体などの中から探し出す行為を指す。図書館の蔵書やインターネット上のデータベースなど、様々な媒体において特定の項目を見つけ出す際に用いられる。
詮索とは、事柄の細部に至るまで探り調べることを指す。特に、他人の私事や些末な点を必要以上に追究する行為をいう。
手がかりのない状況で、あれこれと試行錯誤しながら物事のあり方や解決策を探り求めることを指す。暗中模索という表現に代表されるように、不確かな中を手探りで進む様子を表す。
鋼索とは、鋼鉄製の針金を複数本より合わせて作られた丈夫な綱のことで、ワイヤロープとも呼ばれる。主に起重機やエレベーターなど、重量物の吊り上げや牽引に用いられる。
索漠とは、景色や雰囲気が味気なく、もの寂しく感じられる様子を表す。また、そのような光景や状況に接して、心が沈み、気持ちが晴れない状態をも指す。
手探りで物事の様子や方法を探り求めること。また、暗中模索のように、手がかりのない状態で試行錯誤しながら進むことを指す。
もの寂しくひっそりとした様子を表す。特に風景や雰囲気が活気を失い、わびしい趣を帯びているさまをいう。
羂索とは、元来は鳥や獣を捕らえるための罠を指す語である。転じて仏教用語では、仏や菩薩が衆生を迷いから救い取るための象徴として、五色の糸を撚り合わせて作った縄を意味する。
海索麺は、軟体動物のアメフラシやウミウシなどの卵塊を指す俗称である。また、紅藻類ベニモズク科の海藻を指し、通常は塩漬けや乾燥させたものを三杯酢などで食用とする。
ケシ科に属する多年草の総称で、山野に自生する。地下に塊茎を持ち、春には紅紫色の横向きの花を咲かせる。塊茎は漢方において鎮痛剤として用いられ、ヤブエンゴサクやジロボウエンゴサクなどの種類がある。
暗中摸索とは、暗闇の中で手探りで物を探す様子から転じて、手がかりもなく試行錯誤を重ねながら物事の真相や解決策を探し求めることを意味する。
「按図索驥」は、書物や図面に描かれた理想像に固執し、現実の状況や変化を顧みずに物事を進めようとするたとえです。転じて、理論や形式にこだわりすぎて融通がきかず、実際の対応を誤る愚かさを指します。
「離群索居」とは、人々の集団から離れ、一人寂しく暮らすことを意味する四字熟語である。特に世間との交わりを絶ち、山里などに隠遁して孤独な生活を送る様子を指す。語源は『礼記』檀弓篇にあり、「群」は仲間や集団を、「索」は寂しく離れることを表し、「索居」は孤独に暮らすことを意味する。
秋風索莫とは、夏が過ぎて秋風が吹き始めると、自然界の活気が失われ、寂寥とした光景が広がる様子を表す四字熟語である。かつて繁栄していたものが衰え、もの寂しい雰囲気に包まれるさまをいう。「索莫」は、気持ちがふさぎ、わびしい感じを意味し、同義語として「秋風索漠」「秋風索寞」の表記も用いられる。
思索生知は、物事の道理や筋道を深く考え巡らすことによって、新たな知識や知恵が生まれてくるという意味の四字熟語である。『管子』「内業」に由来し、「思索しさく、知ちを生しょうず」と訓読される。