その人の生まれや経歴、また物事の起源や来歴を指す語。特に、人の身元や背景について言及する際に用いられる。
各自とは、複数の人や物がそれぞれ個別に何かを行うことを指す。集団の中の一人ひとりが別々に行動したり、責任を負ったりする様子を表す。
自愛とは、自分自身の身体や健康を大切にすること、また自分自身の利益を図ることを指す。手紙の結びなどで「ご自愛ください」と用いられる場合は、相手の健康を気遣う表現として定着している。一方で、自己の利益のみを追求する意味合いでは、他者への配慮に欠ける態度を表すこともある。
自らの資金や労力によって事業を経営することを指す。特に、雇用主に依存せず独立して生計を立てる形態をいう。
自分自身の力で作り上げることを指し、そのようにして生み出された作品を意味する。また、所有する土地で自ら農業を営むこと、あるいはそのような農家を略して指す場合もある。
外部からの攻撃や危害に対して、自らの力で身を守る行為を指す。
自給とは、生活に必要な物資や食料などを外部との交換に頼らず、自らの手で生産し、自らの需要を満たすことを指す。例えば、家庭菜園で野菜を育てて消費するような場合に用いられる表現である。
自家とは、自分の家や家庭を指す言葉であり、そこから転じて自分自身を意味する場合もある。例えば自家製の食品は家庭で作られたものを表し、自家中毒は自己の体内で生じた毒物による中毒症状を指す。
自供とは、犯罪を犯した者が自らの意思でその罪を認め、その内容を述べることを指す。また、その行為自体や述べられた内容も意味する。
自我とは、自己に対する執着や自意識を指す。また哲学においては、認識や行為の主体として他者から区別される自己、すなわちエゴを意味する。
あまりの驚きや感動、あるいは強い衝撃を受けて、我を忘れてぼうっとした状態になること。
自ら内部から崩壊すること。外部からの力ではなく、組織や構造の内部に生じた矛盾や分裂によって、自然に壊れてしまう状態を指す。
自若とは、何かが起こっても動揺せず、落ち着きを保っている様子を表す。心にゆとりがあり、平静さを失わない態度を指す。
自ら刃物などで身体を傷つけ、自らの命を絶つことを指す。自殺や自決、自尽と同義である。
自首とは、犯罪者が捜査機関に発覚する前に自らの意思で罪を告白し、出頭することを指す。
自ら筆を執り、自身の姓名を書き記す行為、またその書き記された署名そのものを指す。
自分自身の事柄や経験を自ら書き記すことを指す。特に、自らの生涯や思い出を文章としてまとめる行為を意味する。
自分自身の言動や心の内を振り返り、過ちや至らぬ点を省みること。内省とほぼ同義で用いられるが、特に自身の過失や欠点を顧みるという含意が強い。
自称とは、自らをある身分や資格を持つ者として名乗ることを指す。また、文法においては話し手が自分自身を指し示す一人称代名詞を意味する。
数学において、同じ数あるいは式を二度掛け合わせる演算を指す。平方とも呼ばれ、「二乗」と表記されることもある。
自責とは、自身の過ちや失敗を自分自身で責め、その責任を感じることを指す。
自分自身の考えや意見を指す言葉で、特に他者の見解とは異なる独自の主張や立場を表します。
自浄とは、外部からの力を借りずに、自らの働きによって汚れを清める作用を指す。特に自然環境において、河川や土壌などが持つ汚染物質を分解・除去する能力をいうことが多い。
自身とは、話し手や話題の人物を指して用いられる一人称の表現であり、自己を強調する場合に使われる。また、ある物事の本質や核心そのものを指すこともあり、その対象から離れた属性ではなく、まさにそのもの自体を表す際にも用いられる。
自分自身の能力や価値、あるいは考え方の正しさなどを確信し、揺るぎない気持ちを持つこと。
自ら刃物を用いて命を絶つことを指す。特に刀剣などで自らの体を刺し、自殺する行為をいう。
自尊とは、自らを尊び品位を保つことを指す。また、自らを誇り高く思う気持ちや、そのような態度を表すこともある。
自らの意思によって生命を絶つ行為を指す。自殺や自害と同義であるが、特に古風な表現として用いられる。
「自他」とは、自分自身と自分以外の他者を指す語であり、また文法用語として自動詞と他動詞の総称としても用いられる。
自分で食事の用意をすること。特に、外食や出来合いのものを利用せず、自ら調理して食事を整えることを指す。
自治とは、自らが所属する集団や組織の運営を自らの手で行うことを指す。個人のレベルでは自己管理を意味し、より広くは地方公共団体や学校などの組織が、外部からの干渉を受けずに内部の事務や行政を処理することを表す。
自発とは、外部からの強制や指示によらず、自らの意思によって進んで行うことを指す。また、文法においては、動作が自然に生じることを表す助動詞の用法をいう。
自滅とは、自らの行為や選択が原因となって、自らを破滅に導くことを指す。また、自然の成り行きとして滅びるという意味も持つ。
自重とは、自身の言動を慎み、軽率な行動を控えることを指す。また、自己の身体や健康を大切にすること、あるいは品位や品格を保ち重んじることを意味する。
自由とは、他者からの干渉や束縛を受けず、自らの意思に基づいて行動や判断を行うことのできる状態を指す。また、物事に制限や拘束がなく、思いのままに振る舞える様子も表す。
自嘲とは、自分自身を皮肉や嘲笑の対象として捉え、それを言葉や態度で表現することを指します。自らを卑下したり、失敗や欠点をあえて笑いの種にすることで、一種の防衛機制や、諦観に基づくユーモアとして現れることがあります。
自力とは、他者の力を借りずに自らの力のみで物事を成し遂げることを指す。また、仏教用語としては、自己の修行によって悟りを開こうとする立場を意味し、他力による救済と対比される概念である。
自立とは、他者に依存せず自らの力で物事を行い、生活や活動を維持していく状態を指す。特に経済面において一人で生計を立てることを意味し、独立と同義で用いられることが多い。
自転とは、物体が自らの中心を通る軸を中心として回転することを指す。特に天文学においては、惑星や衛星などの天体が自らの重心を中心に回転する運動を意味し、これに対して他の天体の周囲を回る運動は公転と呼ばれる。
自弁とは、自分自身で費用を負担することを指す。特に、食事や交通費など、通常他者が用意する可能性のある経費を個人が支払う場合に用いられる表現である。
自棄(やけ)とは、物事が思い通りに進まず、どうにもならない状況に陥った末に、投げやりになったり、無茶な行動をとったりする心理状態を指す。自暴自棄の略であり、「焼け」と表記することもある。
自得とは、自らの行いによって相応の結果を得ることを指し、自業自得の形で用いられる。また、自ら体験を通じて物事を会得する意味もあり、新たな方法を身につける際などにいう。さらに、自分自身に満足し、うぬぼれる様子を表す場合もある。
自前とは、費用を自ら負担することを指し、例えば自前の衣装などと用いられる。また、芸者が独立して営業する状態、あるいはそのような芸者を指す場合もある。
自任とは、自ら進んでその役割や任務を引き受けることを指す。また、自分がそれに相応しい能力や資格を備えていると自負する気持ちも含まれる。
自認とは、自らの行為や状態を自覚し、それを認めることを指す。特に、過ちや責任を進んで引き受ける際に用いられる表現である。
自分自身や自分に関わる物事を、誇らしげに語ったり示したりすることを指す。しばしば過度に自己を顕示する態度を含意し、他者からは嫌悪感を抱かれる場合もある。
自白とは、自ら進んで事実を打ち明けることを指す。特に法律用語としては、容疑者が自己に不利益な事実を認め、自身の犯罪行為を肯定する供述を意味し、自供と同義に用いられる。
他に依存せず、自分一人で行うことを指す。また、他には見られないそのもの特有の性質や様子を表す。
刀自とは、家事を司る女性、すなわち一家の主婦を指す語である。また、年配の女性に対して敬意を込めて呼ぶ際にも用いられる。その語源は「とぬし(戸主)」にあり、「刀自」の表記は当て字によるものである。
自賛とは、自ら描いた絵画に自分で賛(絵に添える詩文)を記すことを指す。通常は他人に依頼する賛を自作することから転じて、自己の行為や能力を自ら称揚する意味でも用いられる。
自ら進んで努力を重ね、怠ることなく励むことを意味する。
自らを頼りとし、己の能力や考えに自信を持つことを指す。自己に対する信頼や誇りを内に抱く心の状態を表す。
自らの首を刃物で切り、自害することを指す。特に武士などが責任を取る際や恥を忍ぶために行う行為をいう。自刎(じふん)と同義である。
自刎とは、自ら刃物を用いて首を切り、自害することを指す。自剄と同義であり、自らの命を絶つ手段の一つとして古くから知られる行為である。
自儘とは、他人の都合や周囲の状況を顧みず、自分自身の思い通りに振る舞う様を指す。わがままに近いが、特に自分の欲求や気分に従って行動する自由気ままな態度を表す。
自分自身を対象として認識する意識のことで、自己を他者や外界から区別して捉える心の働きを指す。自己認識や自己評価の基盤となるもので、過度に働くと自意識過剰と呼ばれる状態になる。
自堕落とは、自らの意志を律することができず、生活態度や行動に節度を欠き、だらしなくなる様子を指す。
自然薯はヤマノイモの別称である。その名は「自然生(ジネンジョウ)」が転じたものとされ、畑で栽培されるナガイモと区別して、山野に自生する芋を指す。一般に山の芋とも呼ばれる。
鷹揚自若とは、ゆったりと落ち着き払い、いかなる状況にも動揺せず平常心を保つ様子を表す。鷹揚は大らかで余裕のある態度を、自若は何事にも動じない冷静さを意味し、両者が合わさって重厚な落ち着きを強調する四字熟語である。
「引決自裁」は、自らの命を絶つことを意味する四字熟語である。司馬遷の『報任少卿書』に由来し、主に自害や自殺を指して用いられる。
「怡然自得」とは、心が穏やかで満ち足りて、何ものにもとらわれず、自らの境地を楽しんでいる様子を表す四字熟語である。『列子』の「黄帝」篇に由来し、悟りを開いた者が世俗の煩わしさから解放され、心静かに自適の境地に遊ぶさまを指す。