入寂とは、仏教において高僧や聖者がこの世での修行を終え、静かに安らかに世を去ることを指す。特に悟りを開いた者が涅槃に入る様を表し、入滅や入定と同義である。
奥深くひっそりと静まりかえった様子を表す。人里離れた場所や、時間の流れさえも感じられないような静けさの中に、どこか深遠で物寂しい趣が感じられる境地を指す。
寂然とは、静寂に包まれて物寂しさを感じさせる様子を表す。特に人気のない場所や、厳かな雰囲気の中で深い静けさが漂っている状態を指し、寺院や夜更けの情景などに用いられる。
寂声とは、枯れたような渋みを帯びた声を指し、長年の経験を経て熟成された味わい深い声質を形容する。主に老練な人物の声に用いられ、表記としては「錆声」と書くこともある。
物音一つなくひっそりと静まり返っている様子を指す。また仏教用語として、煩悩の騒ぎが鎮まり、心が澄み切って安らかな涅槃の境地に至った状態を表す。
寂滅とは、仏教において煩悩の炎が消え去り、静寂の境地に至ることを指す。涅槃と同義であり、一切の苦しみから解放された悟りの状態を表す。また、転じて生命の終焉、すなわち死を意味する場合もある。
静かで落ち着いた趣があり、物寂しさを感じさせる様子。特に自然や住まいなどの環境がひっそりとしていて、深みのある寂しさを伴う美しさを表す。
「静寂(しじま)」は、音が全くなく、ひっそりと静まり返っている状態を指す。特に、夜や森の中などで感じられる深く重い静けさを表し、時に厳粛な雰囲気を伴う。
静寂とは、音がなくひっそりと静まり返っている状態を指す。特に、夜間や人里離れた場所などで感じられる深い静けさを表し、時として厳粛な雰囲気を伴うことがある。
「寂寞」は、ひっそりと静まり返った様子を表し、また心に満たされない寂しさを感じる心情を指す。主に「セキバク」と読み、漢字「寂」を含む。「ジャクマク」と読む場合もある。
寂寥とは、人気がなく静まり返っており、もの寂しい雰囲気が漂っている様子を表す。主に場所や風景について用いられ、人の気配がほとんど感じられず、ひっそりとしていて、そこはかとない悲しみや孤独感を伴う静けさを指す。
寂として心が満たされず、もの寂しい様子を指す。また、人里離れてひっそりと静まり返っているさまを表す。
闃寂とは、あらゆる物音が途絶え、人の気配すら感じられないほどに深く静まり返っている様子を表す。ただの静けさではなく、時に寂寥感を伴うような、ひっそりとした沈黙が広がっている状態を指す。
畢竟寂滅とは、仏教において一切の煩悩がついに滅び去り、完全な寂静の境地に至ることを指す。『維摩経』に説かれる究極の悟りの状態を表す四字熟語である。
涅槃寂静とは、仏教の根本思想を示す三法印・四法印の一つであり、煩悩の炎が完全に消え去った悟りの境地である涅槃が、一切の動揺や騒がしさを離れた静寂で安らかな状態であることを表す。
清浄寂滅とは、清浄無為を理想とする老子の道教と、寂滅を以て楽となす仏教の教えを併せて指す語である。両者の思想を総称する表現として用いられる。
寂光浄土とは、仏教において仏が常住する清浄な世界を指す。一切の煩悩や穢れがなく、寂静の真理と智慧の光明に満ちた安らぎの境地であり、仏の悟りの境地そのものが国土として顕現したものとされる。
寂滅為楽は、仏教において涅槃の境地を指す四字熟語である。一切の煩悩が消滅し、生死の束縛を離れた寂静の状態こそが真の安楽であるという、『大般涅槃経』に説かれる究極の理想を表す。
この世のすべての事物は実体がなく、静かに落ち着いているという仏教の思想に基づく。転じて、何ものにもとらわれない無心の境地や、ひっそりと物寂しい様子を表す。