待避とは、災害や危険を避けつつ、それが過ぎ去るのを待つことを指す。特に、鉄道において列車が他の列車の通過を待つために側線に入る場合などに用いられる。
待望とは、ある物事の実現や到来を心から期待し、待ち焦がれることを指す。長い間望んでいたことが叶う時を指して用いられることが多い。
命令が下されるのを待つことを指す。特に公務員などが職務や任地が確定せず、正式な指示があるまで待機する状態をいう。
待合とは、人と人が約束して出会うこと、あるいはその場所を指す。特に男女が密かに会うことを意味する場合もある。茶道においては、客が茶席に入る前に待機する場所を指す。また、芸者などを呼んで遊興する飲食店である待合茶屋の略称としても用いられる。
待宵とは、翌日の満月を待つ夜を指し、特に陰暦十四日の夜を意味する。秋の八月十四日の夜を指すことが多く、また来訪者を待つ夕方の情景を表すこともある。
客をもてなすことを指し、特に食事や飲み物を提供するなどして歓待する行為をいう。また、そのために要する費用を接待費と称することもある。
ある事柄が実現することを望み、それが叶うと信じて待ち受けること。将来の良い結果や望ましい状態を心待ちにする気持ちを指す。
客を心から親切に、手厚くもてなすことを意味する。同様の意味で「歓待」と表記されることもある。
歓待とは、心から喜んで客を手厚くもてなすことを指す。特に、予期せぬ訪問者や特別な客人に対して、喜びと敬意を込めて待遇する様子を表す。漢字では「款待」と書くこともある。
優待とは、通常の扱いよりも格別に手厚く待遇することを指す。特に、来客や顧客に対して特別な配慮を示したり、特定の条件で有利な取扱いをすることである。
立待月とは陰暦十七日の夜に出る月を指し、特に陰暦八月十七日の月をいう。夕方に立ったまま待つほどの短い時間で昇ることからこの名がある。
陰暦八月二十日の夜の月を指す語で、秋の季語としても用いられる。待宵(八月十九日の月)の翌夜にあたり、秋の深まりを感じさせる月夜を表す。
居待月とは陰暦十八日の月を指し、特に八月十八日の月をいう。月の出が遅くなるため座って待つという意味からこの名があり、立待月や寝待月とともに月齢による月の呼び名の一つである。
待宵草はアカバナ科の二年草で、南アメリカ原産である。川原や空地などに自生し、夏の夕方に黄色い四弁の花を開く。その花は翌朝にはしぼみ、赤みを帯びるようになる。ヨイマチグサとも呼ばれる。
宵待草はマツヨイグサの別称であり、夕暮れを待つようにして咲く草花を意味する。その名の通り、日が暮れるのを待って黄色い花を開く習性を持つ。
臥待月とは陰暦八月十九日の夜の月を指し、立待月や居待月と並ぶ秋の月の呼称である。この時期の月は昇る時刻が遅いため、寝床に臥して待つことからこの名が生まれた。寝待月とも呼ばれる。
刮目相待とは、目をこすってよく見るように、人の著しい進歩や成長を期待し、それに相応しい敬意をもって接することを意味する。『三国志』の故事に由来し、従来の評価を改めて、新たな目で見るべき変化が生じた場合に用いられる表現である。
百端待挙とは、やるべき事柄や解決すべき問題が非常に多く、すべてが手つかずの状態で始まるのを待っている様子を表す。
「守株待兎」は、偶然の幸運を繰り返し期待して、状況に応じた行動を取らない愚かさを表す四字熟語である。古い習慣に固執し、柔軟性を欠く態度の喩えとしても用いられる。故事は、宋の農夫が兎が切り株に衝突して死ぬのを見て、同じことが再び起こるのを待ち続け、農作業を怠り笑い物になったという『韓非子』の記述に由来する。
歳月不待とは、時間が人の都合を待ってはくれないという意味の四字熟語である。陶潜の詩に由来し、過ぎゆく歳月は一刻も留まることがないことから、今という時を大切にし、日々怠ることなく努め励むべきであるという戒めの意として用いられる。
嗷嗷待哺とは、雛鳥が飢えて鳴きながら親鳥の餌を待つ様子を表す四字熟語である。転じて、幼い子供が飢えに苦しみ、食べ物を切実に待ち望む状況や、困窮して援助を必要とする状態を指して用いられる。