凶悪とは、性質や行為が極めて残忍で、道理に外れた悪さを指す。特に、凶悪事件のように、人を傷つけ社会に深刻な害を及ぼすような事態や、そのような性質を持つ人物を形容する際に用いられる。「兇悪」と書くこともある。
以前に犯した悪事や過ちを指す言葉で、過去の行いの中でも特に道徳に反する行為を意味します。
物事の質や状態が非常に悪く、水準を著しく下回っている様子を指す。特に環境や条件などが極めて不十分で、好ましくない状況を形容する際に用いられる。
好悪とは、物事や人物に対して抱く好き嫌いの感情を指す。特に、憎み嫌うという「悪」の字義を含み、単なる嗜好の違いを超えて、強い拒否反応や嫌悪感を伴う場合がある。
邪悪とは、道徳に反する悪意に満ちた性質や、人としてあるべき正しい心を歪ませるような状態を指す。他者に害を及ぼそうとする意図や、不正な行いを引き起こすような内面のあり方を表す言葉である。
技巧が未熟で出来栄えが悪く、粗雑な様子を指す。特に芸術作品や文章などにおいて、その質が低く劣っていることを表す表現である。
毒悪とは、極めて悪質で有害な性質や状態を指し、人や社会に深刻な害をもたらすような悪しきあり方をいう。
わざと悪人のように振る舞ったり、悪意のある人物を装ったりすることを指す。本来の性質とは異なる悪を表面に示す点で、「偽善」の対義として構成された語である。
悪食とは、普通は食用とされないようなものを好んで食べることを指す。また、粗末な食事や質素な食生活を意味することもある。
悪態とは、他人に対して憎しみや悪意を込めて言う悪口や罵りの言葉を指す。忠告や批判に対し、逆恨みのような形で吐き捨てられる憎まれ口もこれに含まれる。
悪事を働く者や、そのような者たちの集団を指す。特に、社会の秩序を乱すような不正な行いをする者に対して用いられる。
不快で鼻を刺すような嫌なにおいを指す。特に腐敗したものや化学物質などから発生する強い不快臭を意味し、生活環境や健康に悪影響を及ぼすことがある。
いたずらを好み、周囲に迷惑をかける子供を指す。特に、悪ふざけが過ぎて大人の手を焼かせるような子供をいう。
悪所とは、山道などで険しく危険な難所を指す。また、遊郭を意味する場合もある。
悪疫とは、猛威を振るい多くの人命を奪うような、毒性の強い伝染病を指す。特に集団感染を引き起こし、社会に深刻な被害をもたらす疫病をいう。
悪罵とは、激しい言葉で相手をののしり、罵倒することを指す。
字を書くのが下手であること、あるいはそのような下手な字そのものを指す。また、転じて、筆の作りが粗悪であることや、そのような筆を意味することもある。
悪縁とは、人に不幸をもたらすような良くない縁や関係を指す。特に、互いに害を及ぼし合うような結びつきや、離れがたい不健全な男女関係を意味する場合もある。
病気などが急速に進行し、治療が困難で予後が悪い性質を指す。特に腫瘍においては、周囲の組織に浸潤したり転移したりする危険性の高いものを「悪性」と称し、良性と対比される。
悪行とは、道徳や法律に反する良くない行為を指す。悪事や不正な行いを意味し、「悪行無道」のように用いられる。対義語は「善行」である。また、「あっこう」と読む場合もある。
民衆の福祉を顧みず、社会に苦しみや混乱をもたらすような、道理に反した政治のあり方を指す。善政の対義語として用いられる。
悪銭とは、本来は品質の劣る貨幣を指すが、転じて不正な手段によって得た金銭、すなわち不労所得やあぶく銭の意味でも用いられる。
悪風とは、社会において望ましくない風俗や習慣を指す言葉である。良風美風の対義語として用いられ、人々がそれに染まり、道を誤るような良くない気風や習わしを意味する。
悪事とは、道徳や法律に反する良くない行いを指す。また、不吉な出来事や災難といった意味も含まれる。
悪弊とは、社会や組織などにおいて長く続き、改善すべき悪い習慣や風習を指す。特に制度や慣行の中に根付いた弊害を意味し、改革や刷新の対象となることが多い。
悪相とは、顔つきや表情に表れる凶悪な印象を指す。また、物事の兆しとして不吉な前触れが現れることも意味する。
悪癖とは、個人の習慣のうち特に好ましくないものを指し、健康や社会生活に悪影響を及ぼすような癖や習性をいう。
悪鬼とは、人に災いをもたらす恐ろしい鬼や魔物を指し、怨霊としての性質を持つこともある。また、仏道修行を妨げ、人を悪の道へと導く悪神としての側面も有している。
悪戯とは、他人を困らせるようなふざけた行為を指す。また、自分の行いを謙遜して言う場合にも用いられる。
悪寒とは、発熱時に感じる突然の寒気や震えを指し、風邪などの感染症の初期症状として現れることが多い。背筋がぞくぞくとするような不快な感覚を伴い、体が冷え切ったように感じられる状態をいう。
悪役とは、芝居や映画などで悪人を演じる役柄、あるいはその役を担う俳優を指す。転じて、現実の社会や人間関係において、人々から憎まれ役や非難を一身に受ける立場や役割を担うことも意味する。
悪辣とは、手段や方法が極めて悪質で、ずる賢くたちの悪いさまを指す。人を欺いたり陥れたりするような、道義に反する巧妙な悪意が感じられる行為や性質に用いられる。
状態や状況が以前よりも悪い方向へと変化することを指す。特に病気や経済情勢、人間関係などがより深刻な状況に陥る場合に用いられる。
悪貨とは、含有される金属の純度や品位が低く、素材としての価値が名目額面よりも劣る貨幣を指す。経済学においては、良貨と対比される概念で、グレシャムの法則に基づき市場から駆逐される傾向を持つ。
他人や物事を貶したり罵ったりするような、良からぬ言葉を指す。また、そのような言葉を口にする行為そのものも意味する。「わるぐち」や「アッコウ」と読む場合もある。
粗悪とは、製品や物の作りが雑で、品質が劣っていることを指す。安価な商品に多く見られるが、必ずしも価格だけが要因ではなく、素材や製造工程の不備によって生じる耐久性や機能性の欠如を含む。
羞悪とは、自らの過ちや悪事を恥じるとともに、他者の不善を憎む心の働きを指す。
険悪とは、状況や雰囲気が緊迫し、今にも争いや危険が生じそうな状態を指す。また、人の表情や態度が敵意や不快感を露わにし、とげとげしい様子を表す際にも用いられる。
道徳や宗教の規範に反する悪い行いや、そのような行為を犯したという意識を指す。
憎悪とは、人や物事に対して強い嫌悪感や敵意を抱き、心から憎む感情を指す。この語は「憎」と「悪」の二字から成り、いずれも憎む意味を持つ漢字であり、両者が組み合わさることで、激しい憎しみの感情を強調している。
積悪とは、長年にわたって重ねられた悪行のことで、積み重なった悪事を指す。善行を積むという意味の「積善」と対照をなす概念である。また、「シャクアク」と読む場合もある。
悪を戒め、懲らしめることを意味する。特に勧善懲悪という成語において、善行を勧め悪事を罰するという道徳観を表す際に用いられる。
露悪とは、自身の欠点や悪い面を、わざと隠さずにさらけ出すことを指す。特に、そうした態度を一種の趣味や美意識として捉える場合に用いられる表現である。
悪尉は能楽で用いられる面の一種で、恐ろしい形相をした老人の顔を表している。
心がねじけていて悪意に満ちているさま。また、そのような性質を持つ人を指す。表記は「姦悪」ともする。
心根がねじけて悪事を働く性質を指し、またそのような人物を指す語。「奸悪」とも表記する。
悪太郎とは、悪戯や乱暴な振る舞いに及ぶ子供や男性を、人名風に呼んで非難する語である。
他人に対してわざと不親切な態度をとったり、相手を不快にさせるような言動をしたりすることを指す。また、そのような性質を持つ人を指す場合もある。
隠悪揚善とは、他人の欠点や悪い面を隠し、良い面や美点を褒め称えることを指す。この言葉は、人を評価する際に寛容な態度を示し、人間関係を円滑にするための配慮を表している。
悪口雑言とは、口にまかせてあれこれと悪口を言い散らすことを指す。様々な罵りの言葉を並べ立てる行為や、その言葉そのものを表す。
悪を抑え善を広めることを意味する四字熟語で、『易経』の「大有」に由来する。悪事を抑制し、善行を褒め称えて世に広めるという、社会秩序や道徳を重んじる理念を表している。
悪木盗泉は、いかに苦境に陥っても不正や悪事に手を染めてはならないという戒めを表す四字熟語である。故事によれば、孔子が旅の途中で「盗泉」という名の泉の水を、その名が穢れているとして飲まなかったという逸話に由来し、道義を重んじる姿勢を象徴する。
浄土真宗の教義で、阿弥陀仏の本願に頼る者は誰でも救われるという思想。特に自らを罪深い悪人と自覚する者こそ、かえって他力本願による救いの正しい対象となるという意味。親鸞が『歎異抄』で示した根本理念の一つ。
非常に困難な状況の中で、苦しみながらも懸命に戦い努力すること。
悪酔強酒とは、酒に酔うことを悪いと知りながら、無理に飲酒を続けることを指す四字熟語である。本来は『孟子』に見える表現で、心の中で望むことと実際の行動とが矛盾する状態を表し、転じて道理に反した行為や自己矛盾の喩えとして用いられる。