大観とは、広い視野で全体を見渡し、物事の大局を捉えることを指す。また、広大な景色や眺望を意味することもある。
規模が大きく、見事な眺めや景色を指す。特に自然の景観や建造物などが雄大で、人を圧倒するような美しさや迫力を持つ様子を表す。
実際にその場所を訪れ、様子や状況を直接見て回ること。特に学校や工場などの施設において、授業や作業の様子を見学する場合に用いられる。
普通では見られない珍しい眺めや、他に類を見ないほど素晴らしい景色を指す。天下の奇観などと用いられ、奇勝とほぼ同義である。
神社や寺院、またそこに納められた宝物などを、敬意を込めて見ること。単に「見る」という行為をへりくだって言う謙譲語としても用いられる。
展観とは、書画や宝物などの品々を広げ並べて、人々に公開し鑑賞させることを指す。特に普段は非公開の貴重な物品を一般に披露する場合に用いられる表現である。
普通とは異なる珍しい眺めや景色を指し、日常では見られないような特異な情景を呈する様子を表す。
盛大で壮麗な眺めや光景を指し、特に規模が大きく見応えのある景色や催し物などを形容する言葉である。
達観とは、物事を広い視野から見渡して全体の状況を把握することを指す。また、人生や事象の本質を深く見極め、些細なことに心を動かされない境地に至る心境をも意味する。
物事の成り行きを良い方向に解釈し、将来に対して明るい見通しを持つこと。また、そのような態度や考え方。悲観と対をなす概念である。
楼観とは、高い建物や物見台を指す語である。特に、見晴らしを良くするために設けられた高殿や展望のための構造物を意味する。構成する「楼」も「観」もそれぞれ高い建物を表す漢字であり、同義の字を重ねて強調した表現となっている。
物事の全体を大まかに見渡すこと。また、そのようにして捉えられた大まかな様子やありさまを指す。
静かに事態の推移を見守ること。自らは手を出さず、落ち着いた態度で成り行きを観察する様子を指す。
物事の本質を冷静に見極め、悟りに至る心境を指す。仏教においては真理を洞察する智慧を意味し、転じて、現実をあるがままに受け止め達観する態度を表す。
観衆とは、演劇やスポーツ競技などの見物に集まった人々の集団を指す。特に、一定の規模を有する観客の群衆を意味する。
観賞とは、美しいものや趣のあるものを目で見て楽しむ行為を指す。特に芸術作品や自然の風景など、鑑賞に値する対象を味わいながら見ることを意味する。
スポーツの試合や競技などの様子を直接見ること。特に野球や相撲などの競技を観客席から見ることを指す。
桜の花を眺めて楽しむ春の行楽を指す。特に花見の風情を鑑賞することを意味し、春の風物詩として親しまれている。
観相とは、人の顔つきや手の線などの特徴を観察し、そこからその人の性格や将来の運勢などを読み解くことを指す。このような観察と解釈に基づく学問を観相学という。
観想とは、精神を一点に集中させて深く思いをめぐらす観法の実践を指す。また転じて、静かな心で対象を眺め、思索を深める行為をも意味する。
観測とは、天体や気象などの自然現象を注意深く観察し、その変化や推移を測定することを指す。また、転じて、物事の成り行きや状況を推し量る意味でも用いられる。
演劇を鑑賞することを指す。特に劇場に出向いて舞台で演じられる芝居を見る行為をいう。
観月とは、月を眺めてその美しさを愛でることを指す。特に秋の名月を鑑賞する風流な行いを意味し、宴を催して楽しむこともある。
観点とは、物事を観察し考察する際の立場や見方のことを指し、特定の角度から対象を捉える思考の枠組みを意味する。議論や分析において、どのような視座に立つかを示す際に用いられる。
観念とは、物事に対する考え方や捉え方を指す。また、哲学においては意識に現れる内容や理念を意味し、仏教の用語としては真理を心に思い描くことを表す。さらに、諦めて受け入れる覚悟という意味でも用いられる。
観望とは、遠くの景色や広い範囲を見渡すことを指す。また、物事の成り行きや状況を静かに見守り、動向をうかがうという意味でも用いられる。
観法とは、仏教において心に真理を思い描き、深く念じる修行の方法を指す。また、転じて人相を観察し、その運勢を判断する方法をも意味する。
観楓とは、秋に紅葉した楓の木々を鑑賞することを指す。特に美しく色づいたもみじを愛でる行楽や風流な遊びを意味し、日本の秋の風物詩として親しまれている。
観感興起とは、眼前の光景や出来事を目にし、心に深く感じ入ることで奮い立ち、行動を起こそうとする気持ちが湧き上がる様を表す四字熟語である。
隔岸観火とは、対岸で起こる火事を眺めるように、他人の災難や苦境を自分とは無関係なこととして、救いの手を差し伸べることなく傍観する態度を表す四字熟語である。
伝観播弄とは、他人の観察や判断を巧みに操り、意のままに操ることを意味する四字熟語である。特に、権謀術数を巡らせて他者を翻弄する様を指し、歴史書『日本外史』の「徳川氏前記」に見られる表現である。
朝観夕覧とは、朝な夕なに絵画などの芸術作品を鑑賞して愛でることを指す四字熟語である。『歴代名画記』に見える表現で、作品を手元に置き、折に触れて親しむような鑑賞態度を表している。
絶観忘守とは、禅宗における修行の境地を表す四字熟語で、牛頭法融の「心銘」に由来する。観念や執着を捨て去り、守ろうとする意識すらも忘れ去ることで、真の悟りの状態に至ることを意味する。