満ち足りて不足のない状態を表す。必要とされる量や程度に達しており、それ以上を求める必要がないさま。生活や条件などが満足できる水準にあることを示す場合に用いられる。「充分」と表記することもある。
子分とは、主に親分と呼ばれる者に従属し、その支配下にあって使える者を指す。また、他人の子を自分の子として引き取り、養育する関係にある者を指す場合もある。
内分とは、物事を外部に知られないように処理することを指し、内密に済ませる場合などに用いられる。また、数学においては、一つの線分をその上の一点で二つの部分に分けることを意味する。なお、「内聞」と表記する場合もある。
分割とは、一つのものを複数の部分に分けて区別することを指す。例えば、植民地を分割統治する場合や、東西に分かれていた国などに用いられる。また、代金を何回かに分けて支払う分割払いの略称としても使われる。
分岐とは、一本の道や流れが途中から複数の方向に枝分かれすることを指す。また、物事の展開や議論が本筋から派生して別の方向へ向かう様子にも用いられる。
分家とは、家族の一部が本家から独立して新たな家を構えることを指し、またそのようにして成立した一家を指す。本家との関係を保ちつつ、独自の家計や生活を営む形態である。
権力や権限を中央に集中させるのではなく、地方や下位の組織などに分散させることを指す。特に政治や行政の分野において、中央集権に対置される概念として用いられる。
分限とは、身分や境遇に応じた当然のあり方、すなわち分際を指す。また、転じて、そのような身分や財産を有する者、特に富裕な階層の人を意味し、金持ちや富豪を表す言葉としても用いられる。「ぶんげん」と読む場合もある。
分際とは、その人の身分や立場に応じて当然あるべき程度や範囲を指す。自らの立場をわきまえた言動の基準となる分限や身の程を意味し、分相応の振る舞いを求める文脈で用いられる。
分化とは、元来均質であったものが異なる性質を持つ部分に分かれることを指す。また、生物学においては、発生過程で細胞や組織が特定の形態や機能を獲得していく現象を意味する。
分科とは、学問や業務などの分野を細分化すること、またそのようにして分けられた個々の部門を指す。
一冊の書物を複数の冊に分割すること。また、そのようにして分けられた個々の冊子を指す。全体を構成する一部分としての冊を意味し、通常は「第一分冊」のように用いられる。
分解とは、一つのまとまったものを構成する部分や要素に分ける行為、あるいはそのように分かれる状態を指す。また化学の分野では、化合物が二種類以上の異なる物質に分かれる化学変化を意味する。
分掌とは、組織や集団において、業務や職務を分担し、それぞれの担当範囲について責任と権限を持って受け持つことを指す。
分泌とは、生物の体内において、腺や細胞が特定の物質を生成し、それを血液中や体外へと放出する作用を指す。汗や消化液、ホルモンなどがその例であり、生体の機能維持に重要な役割を果たす。
分秒とは、一分や一秒といった極めて短い時間の単位を指し、転じてほんのわずかな時間、瞬時を意味する。時間を惜しんで急ぐ様子を表す「分秒を争う」などの表現で用いられる。
一つの集団が複数の乗り物に分かれて乗ること。例えば、大人数の団体がバスや自動車など複数の車両に分散して移動する場合を指す。
広い土地や大規模な建物を区画や区切りごとに分割し、それぞれを個別に売却することを指す。特に、一棟の集合住宅を複数の住戸に分けて販売する方式を指して用いられることが多い。
分析とは、複雑な事物を構成する要素や成分に分け、その構造や性質を明らかにすることを指します。また、化学や物理学などの手法を用いて物質の組成を調べることも意味します。
分別とは、世の中の道理を理解し、物事を適切に考え判断する能力を指す。年齢を重ねてもこの分別が備わらない様子を「分別がつかない」などと表現する。読みは「フンベツ」であり、「ブンベツ」と読む場合は異なる意味となる。
負担すべき仕事や費用などを複数の者で分け合って受け持つことを指す。役割や責任を配分する際に用いられ、集団で物事を処理する際の協働のあり方を示す。
分別とは、物事をその種類や性質に応じて区別し分けることを指す。例えば、リサイクル可能なものとそうでないものとを分けてゴミを出す際に用いられる。なお、「ふんべつ」と読む場合は、道理をわきまえた行動を意味する別の語となる。
分銅とは、天秤やはかりにおいて重さを測定する際に基準となる、一定の質量を持った金属製のおもりのことである。
物事がはっきりとしている様子や、明らかに知ることを指す。結論などが疑いの余地なく明確である場合に用いられ、明白と同義に近い。古くは「フンミョウ」とも読まれた。
分派とは、学問や芸術、政治などの分野において、主流をなす集団や勢力から離脱し、独自の主張や方向性を掲げて新たな一派を形成することを指す。また、そのようにして成立した集団そのものを指す場合もある。
分量とは、物の重さや体積、数量などの程度や多寡を指す言葉で、特に何かを加えたり配ったりする際の適切な度合いを表します。
分かれた列を成すこと。また、いくつかの列に分かれて並ぶことを指す。例えば、参加者が複数のコースに分かれて行進するような場合に用いられる。
分裂とは、一つのまとまったものが二つ以上の部分に分かれることを指す。特に組織や団体が内部対立などによって複数のグループに分かれる場合に用いられ、また生物学においては細胞や核が分かれて増殖する現象を意味する。
ある範囲や領域を区切り分けることを指し、土地などを分割する際に用いられる。また、性質や種類、テーマなどに基づいて分類し、まとまりごとに分けるという意味も持つ。
山から流れ出る水が分岐する地点を指す。分水嶺と同義で、語源は「水配り」の意に由来する。
必要とされる量や程度が満たされている状態を表す。不足がなく、それ以上を求めない様子。「充分な準備」「もう充分だ」などと用いられる。漢字では「十分」と書くこともある。
処分とは、物事を適切に取り扱い処理することを指す。特に不要な物を始末したり廃棄したりする場合に用いられる。また、規則や法令に違反した者に対して制裁を加え罰するという意味もあり、懲戒や処罰の行為を含む。
本分とは、その人の立場や身分に応じて本来果たすべき義務や役割を指す。学生として学業に励むことや、社会人として職責を全うすることなど、各人が自らの置かれた状況において当然行うべきことを意味する。
多分は、数量や程度が多く豊かな様子を表す。また、確実ではないが推測される事柄について、可能性が高いと判断する際に用いられる。さらに、多くの事例の中でも例外なく当てはまることを示す場合にも使われる。
存分とは、物事を思いのままに行い、満足のいくまで十分に楽しむ様子を表す。制約や不足を感じることなく、心ゆくまで堪能することを意味する。
成分とは、あるものを構成している個々の物質や要素を指します。例えば、食品の栄養素などがこれに当たります。また、文法においては、文を形作っている主語や述語、修飾語などの各部分を意味します。
ある数量を百等分すること、またその一つ分を指す。全体に対する割合を示す際に用いられ、特に「百分率」の形で頻出する。
「何分」は、副詞として用いられ、いくつかの異なる意味合いを持つ。一つは、ある程度の数量や分量を漠然と指し、「いくらか」「多少」といった意味で、協力や理解を求める場面などで使われる。また、後続する事柄の理由や状況を強調し、「何といっても」「どうしても」という意味で、言い訳や事情説明の文脈で用いられることが多い。さらに、依頼や願いを丁寧に述べる際の「どうぞ」「なにとぞ」という意味でも使われる。
均分とは、物や権利などを平等に分けることを指す。特に相続や分配において、各人が等しい分量を受け取る状態を表し、等分と同義に用いられる。
身分や能力、経済状況などにふさわしい程度や範囲のことを指す。分相応であるさまを表し、多くは寄付や負担などについて用いられる。
実際に現地に赴き、状況や状態を直接確認して調べることを指す。
夜分とは、日の暮れた後の時間帯、すなわち夜を指す語である。特に、夜遅い時間や夜中を意味する場合があり、挨拶や謝罪の文脈で用いられることが多い。
生まれつき備わっている性質や気質を指し、その人の行動や態度の根底にある固有の傾向を表す。
株主が会社に対して有する権利の割合を指し、特に法律用語として用いられる。
二十四節気の一つで、太陽が春分点を通過する時を指す。この日は昼夜の長さがほぼ等しくなり、以降は昼が次第に長くなる。暦の上では春の折り返し点とされ、陽暦では三月二十一日頃にあたる。
秋分は二十四節気の一つで、太陽が天球上の秋分点を通過する時を指す。暦の上では新暦九月二十三日頃にあたり、この日は昼夜の長さがほぼ等しくなる。春分と対をなす節気である。
分数または分数式において、分母と分子を共通の約数で割り、より簡単な形にすること。
追分とは、街道が二つに分岐する地点を指す語である。また、信州の追分宿に由来する民謡の名称としても用いられ、哀愁を帯びた旋律が特徴で、各地に伝わる追分節の総称ともなる。
時分とは、おおよその時や時期を指し、過去の状況を漠然と回想する際に用いられる。また、適切な機会や頃合いを意味し、行動を起こすのにふさわしいタイミングを表す場合もある。
ある基準となる数量に比例して、物や金額などを割り振って配分することを指す。「按分」の代わりに用いられる表記である。
親分に仕え、その支配下にある者を指す。特に、博徒やヤクザの世界において、親分に従属する部下や手下を意味する。表記は「子分」と書くこともある。
細分とは、ある物事や概念をより小さな単位やカテゴリーに分けることを指す。全体を構成する要素に着目し、それらを詳細に区分けする行為やその結果を表す。
全体を構成するいくつかの区分の一つを指し、物事の全部ではなく一部であることを表します。
野分とは、秋の初めに吹き荒れる暴風を指し、現代でいう台風に相当する古い呼称である。野の草を分けるように吹きすさぶ風の意から、「のわけ」とも読まれる。
いくらかの程度を表し、全体の中の一部分を指す場合もある。物事の程度や数量が完全ではなく、ある範囲内に留まる様子を示す。
程度が普通をはるかに超えている様子を表す。また、相手の言動がひどいと非難する際にも用いられる。別れの挨拶などで「くれぐれも」の意を込めて用いる古風な表現もある。
数学において、関数の微小変化の割合を極限として求める操作を指す。また、微分学の略称として、関数の微分に関する性質を研究する解析学の一分野を意味する。積分と対をなす概念である。
数学において、直線上の二つの点によって区切られた有限の部分を指す。両端の点を含み、その間のすべての点から構成される直線の一部である。
生物が成長し、生命活動を維持するために必要な物質の総称。特に植物や動物が摂取する栄養素を指し、生育や発育に欠かせない成分として機能する。
数学において、ある関数を導関数とする元の関数を求める操作、またはその計算方法を指す。微分の逆演算に相当する。
分蘖とは、イネやムギなどの植物が、地際の茎の節から新しい茎を分岐して増えることを指す。この現象は、株の増殖や収量に関わる重要な生育過程である。
分毫とは、極めて僅かな量や程度を表す語である。「毫」は細い毛の意であり、文字通り毛筋ほどのわずかさを指し、ほんの少し、僅かなことを意味する。
「分留」とは、液体の混合物を加熱して蒸留する際に、沸点の異なる各成分を沸点の低い順に分離して取り出す操作を指し、「分別蒸留」の略称として用いられる。
分葱はユリ科の多年草で、シベリア原産とされるネギの変種である。葉は細く、香りが控えめで食用に供される。春に株分けして増やす習性からこの名があり、フユネギやフユギとも呼ばれる。
「十二分」とは、十分であることをさらに強めて表現する語で、必要とされる程度を超えて満たされている状態を指す。十分すぎるほどに充足しているさまを表し、物事が過剰なまでに満ち足りていることを示す際に用いられる。
必要な程度や量に達しておらず、満足できる状態ではないさま。また、内容や質が十分でなく、物足りなさが感じられる場合にも用いられる。
六分儀は、天球上の二点間の角度を測定するための携帯型の測角器であり、主に航海や航空において天体観測から位置を決定する際に用いられる。セクスタントとも呼ばれる。
角度を測定するための器具で、半円形または円形の薄い板の周囲に角度の目盛りが刻まれており、主に図形の角度を計測したり描画したりする際に用いられる。
全体を百とした場合における、ある数量の割合を表す数値表現であり、パーセンテージに相当する。
奈良時代に聖武天皇が発した詔により、国家の安泰と五穀豊穣を祈願して、全国の諸国に建立された官寺を指す。
核分裂とは、細胞分裂の過程において核が二つに分かれる現象を指す。また、物理学においてはウランなどの重い原子核が中性子と衝突して二つ以上の軽い原子核に分裂する過程を意味し、この際に膨大なエネルギーが放出される。後者は原子力発電や核兵器の原理として知られる。
瓜剖豆分とは、国土や勢力が瓜や豆のように細かく分割されることを意味する。特に戦国時代や動乱期に、国が分裂して群雄が割拠する状態を喩えた表現である。
恩讐分明とは、恩義と恨みをはっきりと区別し、恩には報い、恨みに対しては断固とした態度をとることを意味する四字熟語である。『呂氏童蒙訓』に由来し、人としての節義や明確な判断を示す表現として用いられる。
「一体分身」は、一つの本体から複数の姿に分かれることを指す。仏教においては、諸仏や菩薩が衆生を救済するために様々な形で現れる化身の意味を持ち、この場合は「いったいふんじん」とも読まれる。転じて、一つの事柄が複数の要素に分岐する様子も表す。
「一分一厘」は、ごくわずかな量や程度を表す四字熟語である。分や厘は非常に小さな単位であることから、ほんの少しの違いや僅かな数量を強調する際に用いられる。
君主の憂いを分かち合い、その信頼に応えること。主君の心配事を共に担い、期待に応えて尽力することを意味する。『本朝文粋』に典拠を持つ四字熟語である。
分合集散とは、人や物事が集まったり離れたりすることを指す四字熟語で、特に人間関係や組織の状態が変動する様子を表します。