可変とは、状況や条件に応じて変化させることが可能であること、また自ら変化しうる性質を指す。固定されずに調整や変更ができる状態を表し、不変の対義語として用いられる。
可成(なるべく)は、可能な限りそのようにすることを表す副詞である。実現が望ましい事柄について、その実現に向けて最大限の努力を払う様子、あるいはそうすることが好ましいという意向を示す際に用いられる。例えば、「可成早くお越しください」などと使う。漢字では「成る可く」と書くこともある。
「あたら」は、貴重なものが無駄になることを惜しみ、残念に思う気持ちを表す語である。時間や労力など、価値のあるものが浪費された際に用いられ、「もったいない」「残念だ」という意味合いを持つ。漢字「可」の意味に基づく当て字として用いられることもある。
可坊(べらぼう)は、道理に合わない様子や度を越しているさまを表し、常識外れな値段などに用いられる。また、人をののしる語として、愚か者や馬鹿を意味する。江戸時代、見世物にされた奇人の呼び名に由来するとされ、「便乱坊」「篦坊」とも書く。
可汗は、突厥や回鶻、鮮卑といった北方の遊牧民族において、君主を指して用いられる称号である。ハンとも呼ばれ、場合によっては「コクカン」と読まれることもある。
議案や提案などに対して、審議の結果、承認することを決定すること。特に議会などの審議機関において、多数決などの手続きを経て正式に認めることを指す。
燃焼する性質を有すること。特に、火をつけると容易に燃える状態や、燃やすことが可能なものを指す。対義語は「不燃」であり、「可燃物」「可燃ごみ」などの複合語で用いられる。
可否とは、物事の良し悪しを判断することを指し、また賛成と反対の意見を問う場合にも用いられる。さらに、ある事柄が可能か不可能かを確認する際にも使われる表現である。
允可とは、相手の願いや申請を聞き入れ、それを認めて許すことを指す。特に上位の者が下位の者の申し出を認める場合に用いられ、許可や允許と同義である。
可憐とは、小さく愛らしく、心を打つような美しさを備えている様子を指す。特に、そのはかなげで守ってあげたくなるような、いじらしい魅力を感じさせる場合に用いられる。
物事の内容や理由が複雑で、理解することが困難な様子を指す。
欠くことができないさま。ある物事が成り立つためにどうしても必要な要素であることを表す。
避けることができない状態や、必ず起こる事態を指す。
半可通とは、物事について十分な理解がないにもかかわらず、通ぶって知っているかのように振る舞うことを指し、またそのような人物を指す言葉である。
ある事柄を実現するために、可能な限りの努力を払う様子を表す。実現が望まれる事態に対して、最大限の接近を図る意図を含む。
物事が中途半端で、十分に熟達していない状態を指す。また、そのような態度や行為を形容する際にも用いられ、徹底性を欠き、いい加減な様子を表す。
可哀相とは、見る者に哀れみや同情の情を抱かせるような状態を指す。特に、弱い立場にあり、その状況が痛ましく感じられる様子を表す。
「奇貨可居」とは、珍しい品物は今のうちに手に入れておけば、将来大きな利益をもたらすという意味から、得難い機会を逃さず捉えて活用すべきだという教えを表す故事成語である。中国戦国時代、豪商の呂不韋が人質の子楚を見出し、将来の投資対象として支援した故事に由来する。
慧可断臂は、禅宗第二祖とされる慧可が、達磨大師に師事する決意を示すため、自らの左腕を切り落とした故事に由来する四字熟語である。強い決意や求道の心の固さを表し、後世には絵画の題材としても広く知られるようになった。
「可惜身命」とは、自らの身体や生命を貴重なものとして大切に扱うことを意味する四字熟語である。
不可思議とは、人の理解や想像を超えた様子を指し、通常の思考では捉えきれないほど奇妙で、その理由や成り立ちがはかり知れないことを表す。
人の力ではどうにもならない事態や、天変地異など、いかに注意を払っても避けられない災害や偶然の出来事を指す。
灯火可親とは、灯火が親しみやすいほどに穏やかで、読書や思索に適した夜の静けさを表す四字熟語である。唐代の文人・韓愈の詩「符読書城南」に由来し、秋の夜長に灯りをともして書物を読む、心落ち着く情景を詠んだものである。転じて、落ち着いた環境の中で学問に励むことの愉しみや、静寂な時間の大切さを意味する。
純真可憐とは、心が清らかで飾り気がなく、その無垢な様子が痛々しいほどに愛らしいさまを表す四字熟語である。主に若い女性や子供の、汚れを知らない純粋さと、それに伴う可憐な印象を言い表す際に用いられる。