「あらの」と読む場合、荒れ果てて人気のない寂しい野原を指す。広々とした野原を意味する「こうや」とは区別され、表記としては「荒野」とも書かれる。
曠古とは、古来例を見ないほどに並外れた事態を指す。過去を顧みてもこれほど大規模な出来事はなく、まさに未曾有の事態であることを表す。
広々として果てしなく広がっている様子を表す。空間や景色が限りなく遠くまで続き、見渡す限り開けているさまを指す。
「曠劫」は、仏教用語で計り知れないほど長大な時間を指す。無限に広がる時間の広がりを表し、通常の時間概念をはるかに超えた悠久の歳月を意味する。「広劫」とも表記される。
世に比類のないほど優れていること。また、そのような様子を指す。非常に珍しく、他に例を見ないほど傑出していることを表す。
心が広く小さなことにこだわらず、物事を大らかに受け止める様子。また、そのような性質を指す。
広々と果てしなく広がる野原を指す。特に人の手が加わらず、自然のままの広大な土地をいう。
怨女曠夫とは、配偶者を得られずに嘆き悲しむ男女を指す四字熟語である。特に、結婚適齢期を迎えながらも伴侶に恵まれず、不満や寂しさを抱える女性と男性の様子を表し、『孟子』梁恵王篇に由来する。
無始曠劫とは、仏教において時間の始まりがなく、限りなく長い過去を指す語である。無始は始まりのないこと、曠劫は広大で計り知れないほどの長い時間を意味し、衆生の迷いの根源が遠い過去にまで遡ることを表す。
随縁放曠とは、物事の成り行きに逆らわず、自然のままに身を任せて、心にわだかまりを持たず自由に振る舞う境地を指す。
師曠之聡とは、古代中国の晋に仕えた盲目の楽師である師曠が、聴覚が極めて鋭敏であったという故事に基づく四字熟語で、並外れて聡明な耳や、物事の本質を聴き分ける優れた洞察力を喩える表現である。『孟子』の「離婁・上」にその由来が見られる。
世にも稀な優れた才能や、並外れた能力を持つ人物を指す表現である。
この世に並ぶものがないと感じられるような、稀有で卓越した印象を指す。世にも稀な出来事や人物に接した際に抱く、比類なき感覚を表す四字熟語である。
「曠日弥久」とは、多くの月日を無駄に過ごし、物事が長引くことを指す四字熟語である。「曠日」は無益に時間を費やすこと、「弥久」は長い期間にわたることを意味し、合わせて成果もなく長い時間を空費する様を表す。『戦国策』に由来し、「日を曠うつろにして久しきに弥る」と訓読される。
長い年月を費やして物事を長引かせること。特に戦争や交渉などが無益に長期間にわたり、決着がつかない状態を指す。『戦国策』に由来し、徒に時日を空費する様にも用いられる。
阮簡曠達とは、中国晋代の人物である阮簡の、世俗の礼法にこだわらない、おおらかで度量の大きい性格を表す四字熟語である。『蒙求』に典拠を持ち、彼の自由闊達な人柄を伝えている。