山鶏とはキジ科の鳥類の一種で、台湾に固有の種である。山地や森林地帯に生息し、その名の通り山岳地域でよく見られる。
水鶏はクイナ科の鳥の総称で、水辺に生息する。古くはその鳴き声を「たたく」と表現し、詩歌に詠まれた。漢名に由来し、水辺に住み、鶏のように夜明けを告げる鳥という意味を持つ。「秧鶏」とも書く。
アトリ科の小鳥で、シベリアなど北方地域で繁殖し、秋に日本へ渡来する渡り鳥である。スズメよりもやや大きく、頭部と背中は黒色、腹部は白色を呈する。
野鶏とはキジの別称であり、特に山野に生息する雉(きじ)を指す語である。
黄鶏とは、羽毛が茶色がかった色をした鶏のことを指す。また、その肉や、広く鶏肉一般を指す場合にも用いられ、例えば雑煮の具として用いられる鶏肉をこう呼ぶことがある。
闘鶏とは、鶏同士を戦わせてその勝敗を競う遊戯を指し、蹴り合いや鶏合わせとも呼ばれる。また、そのために飼育・訓練された鶏のことも意味し、多くはシャモ種が用いられる。春の季語としても知られている。
イサキ科の海魚で、本州中部以南の沿岸に分布する。体色は暗緑褐色を呈し、幼魚には黄褐色の縦線が三本見られる。釣りの対象として人気が高く、夏が旬で美味とされる。漢名に由来する「鶏魚」の表記のほか、「伊佐木」とも書く。「いさぎ」と読まれることもある。
ヒユ科の一年草で、熱帯アジアが原産地である。夏から秋にかけて、紅色や黄色などの小さな花が密集して咲く。その花の色と形状がニワトリのとさかに似ていることから、漢名の「鶏冠」に由来する名を持つ。
鶏鳴とは、鶏が鳴くことやその声を指す。また、夜が明けようとする時刻、特に午前二時頃を表し、これは昔の時刻の呼び方で丑の刻に当たる。転じて、夜明けや明け方の時分を意味することもある。
鶏冠(とさか)とは、主にニワトリやキジなどの鳥類の頭部に見られる、肉質で赤く、冠状に発達した突起を指す。また、「けいとう」と読む場合は、その形状が鶏冠に似た植物(ケイトウ)を意味する。
矮鶏はニワトリの一品種であり、尾羽が直立し脚が非常に短いのが特徴である。主に愛玩用として飼育され、その原種はインドシナ半島にあったチャンパ国から渡来したことに由来するとされる。
鶏黍とは、客人を手厚くもてなすことを意味する。その由来は、『論語』に記されるように、鶏を料理し、黍(きび)を炊いて供するという、心を込めた饗応のあり方に基づいている。
鶏肋とは、鶏の肋骨のように取るに足らないが捨てるには惜しい物事を指す。転じて、自らの作品や労作を謙遜して言う場合にも用いられる。また、身体が弱々しい様子を表すこともある。
鶤鶏はニワトリの一品種であり、体が大きく羽毛は黒色をしている。その特徴として良く響く声で長く鳴くことが挙げられ、新潟県で改良された。表記としては「唐丸」と書くこともある。
食火鶏はヒクイドリ科の鳥類で、オーストラリアに生息する。ダチョウに似た飛べない鳥であるが、体はやや小型で、頭部には冠状の突起があり、喉には赤い肉垂れが見られる。走行速度が速いことが特徴である。漢名に由来する語で、「火食鳥」と表記することもある。
葉鶏頭はヒユ科の一年草で、秋に茎の先端の葉が鮮やかな紅色に染まることからこの名がある。雁来紅(がんらいこう)とも呼ばれる観賞植物である。
鶏冠木はカエデ科の落葉高木の総称で、楓(かえで)とも呼ばれる。その名は、葉の形状がニワトリの鶏冠(とさか)に似ていることに由来する。
鶏眼草はマメ科に属する一年草で、漢名に由来する名称である。同種の植物を指す「矢筈草」と同一視されることもある。
鶏児腸はキク科の多年草で、嫁菜(よめな)とも呼ばれる植物を指す。
尾長鶏は日本固有の鶏の品種で、特に雄の尾羽が極めて長く伸びる特徴を持つ。その尾は時に八メートルに達することもあり、優雅な姿から特別天然記念物に指定されている。別名をチョウビケイやナガオドリとも呼ばれる。
風見鶏は、屋根の上などに設置され、風向きを示すために用いられる鶏の形をした器具を指す。また、転じて、自身の確固たる信念を持たず、時流や周囲の状況に応じて態度や意見を容易に変える人の喩えとしても用いられる。
キジ科の鳥で、中国を原産とする。狩猟用に放鳥された個体が日本各地の山林に生息している。外見はウズラに似るがやや大きく、背面は褐色にこげ茶色の斑紋があり、腹は黄褐色を帯びる。
烏骨鶏はニワトリの一品種で、東アジアを原産地とする。羽毛は白あるいは黒色を呈し、その質感は絹糸のように柔らかである。特徴として、皮膚や肉、骨格までが暗紫色を帯びていることが挙げられ、国の天然記念物に指定されている。主に観賞用として飼育される。
鶏冠菜は紅藻類ミリン科に属する海藻で、太平洋沿岸の岩場に生育する。鮮やかな紅色を呈し、柔らかな質感が特徴で、食用とされる。その名は漢名に由来し、色と形状がニワトリの鶏冠(とさか)に似ていることから付けられた。
小事を処理するのに大掛かりな手段を用いることの愚かしさを喩えた表現。鶏を屠るのに牛刀を用いるようなもので、些細な事柄に対して不相応な労力を費やすことを戒める。また、取るに足らない問題を解決するために、わざわざ優れた人物の力を借りる必要はないという意味も含む。『論語』陽貨篇に由来する。
家鶏野鶩は、身近にあるありふれたものや優れたものを軽んじて、遠くにある新奇なものや劣るものをありがたがることを喩えた四字熟語である。家で飼う鶏よりも野生の鴨を好む意から。特に、書道においては、自分(家鶏)の書風を捨てて他人(野鶩)の書風を尊ぶ風潮を批判する故事に由来する。
家鶏野雉とは、身近にある貴重なものを軽んじて、遠くにあるつまらないものを珍重するたとえである。自分の家で飼っている鶏を疎んじ、野山にいる雉をありがたがる意から。
瓦鶏陶犬とは、瓦で作られた鶏と陶器で作られた犬のことで、外見は本物に似ているが実用性のないものを指す。転じて、見かけは立派だが実際には役に立たない人物や物事を喩える表現である。
嫁鶏随鶏は、雌鶏が雄鶏に従う様子に由来し、妻が夫に従い、そのもとで安らかに生きることを喩えた四字熟語である。
甕裡醯鶏とは、甕の中にいる小さな蠅のことで、狭い世界しか知らず、広い世間を知らないことを喩えた言葉です。『荘子』田子方篇に由来し、見識が狭く、大局を見通せない様子を表します。
牝鶏牡鳴とは、雌鶏が雄鶏のように時を告げるという意味から、本来の立場や分を越えて権力を振るうこと、特に女性が男性のように振る舞い、社会や家庭で主導権を握ることを喩えた四字熟語である。後漢書の故事に由来し、秩序の乱れや身分の逆転を批判する表現として用いられる。
『後漢書』橋玄伝に由来する故事成語で、曹操が橋玄の墓前で捧げた薄い酒と一羽の鶏を指す。転じて、故人を偲ぶための質素な供え物や、心のこもった粗末なもてなしを意味する。