「三昧」は、もともと仏教用語で心を一つの対象に集中させ、雑念を払う修行の境地を指す。そこから転じて、特定の物事に熱中し、他のことを顧みない状態を表すようになり、「読書三昧」などの表現で用いられる。また、「三昧場」の略語として、墓地や火葬場の意味も持つ。語源は梵語の音訳に由来する。
「昧死」とは、死を覚悟の上で君主に対して真実を率直に述べることを意味する。中国において、臣下が君主に上奏する文書の中で用いられた語である。
夜が明けようとする頃、まだ薄暗い時間帯を指す。特に、夜明け前から日の出までの間を表し、未明や早朝とほぼ同義である。
草昧とは、世の中がまだ開けず、秩序や文化が整わない未開の状態を指す。特に「草昧の世」などと用い、道理が明らかでなく混沌とした時代を表す。
爽昧とは、夜が明けようとする頃合いを指す語で、あかつきの時分を表す。構成する「爽」は明るさを、「昧」は暗さを意味し、両者が交じり合う微妙な時間帯を示している。
愚かさゆえに物事の道理を弁えず、判断力や見識に欠ける様子を指す。また、そのような状態にある人を指すこともある。
物事の意味や内容がはっきりせず、確かでない様子を指す。返事や態度などが明確さを欠き、ぼんやりしている状態を表す。
蒙昧とは、知識や教養が欠如しており、物事の道理を理解できない状態を指す。また、愚かで道理に暗い様子も表し、「曚昧」と書くこともある。
「濛濛」と同じく、霧や霞などが深く立ち込めて、物の輪郭がはっきりと見えないさまを表す。
曚昧とは、光が遮られて薄暗く、物の輪郭がはっきりと見えない状態を指す。また転じて、知識や道理に暗く、物事の本質を理解していない様子を表すこともある。「蒙昧」と表記される場合もある。
檮昧とは、物事の道理を理解する能力に欠け、愚かで見識のない様子を指す。知識や分別が足りず、物事の本質を見通せない状態を表し、蒙昧や愚昧と同様の意味を持つ。
開闢草昧とは、天地が創造されたばかりで、世界がまだ混沌とし、秩序や文明が整っていない未開の状態を指す。また、国家や社会が発展の初期段階にあり、文化や制度が未熟である様子も表す。
「一行三昧」は仏教用語で、一つの行いに心を集中し、ひたすら仏道の修行に励む境地を指す。特に念仏を唱えることに専心する念仏三昧のことをいう。『文殊説般若経』に由来する四字熟語である。
物事の本質や実体がぼんやりとしてはっきりせず、明確に捉えられない様子を表す四字熟語である。「曖昧」と「模糊」はいずれも不明瞭なことを意味し、二語を重ねることでその状態を強く強調している。
遊戯三昧とは、仏教用語に由来し、世俗の煩わしさから離れて自由な境地に遊び、何ものにもとらわれない心の状態を指す。転じて、物事に深く熱中しながらも、あくまで遊び心を忘れず、自由闊達に振る舞う様を表す。
野蛮草昧とは、文明が未発達で人々の振る舞いが粗野で無教養な状態を指す。また、文化や道徳が十分に整わず、世の中が乱れている様子も表す。
法華経の教えに専心して行じる修行法を指し、経典を読誦しその深遠な真理を体得しようとする瞑想法である。
風流三昧とは、詩歌や文芸など風雅な事柄に深く没頭し、他の俗事を顧みない境地を指す。風流は優雅な趣を、三昧は一つのことに心を集中させることを意味し、文人が自然に親しみながら芸術の世界に遊ぶ様を表す。
念仏三昧とは、仏教において一心に念仏を唱えることに専心する様を指す。「三昧」は梵語に由来し、一つの対象に精神を集中させる境地を意味し、ここでは「南無阿弥陀仏」と称える念仏に全ての心を注ぎ込むことを表す。