去就とは、去ることと留まることを指し、転じて事態に直面した際の態度や行動の選択を意味する。特に将来の方向性や立場を決める際の振る舞いを表し、進退に関わる判断を示す言葉として用いられる。
去声とは漢字音韻学における四声の一つであり、仄声に分類される。平水韻では「送」「宋」など三十韻がこれに属し、すべて仄字である。現代中国語の発音では最初が強く後が弱い下降調を示す。なお、「キョセイ」とも読まれる。
去来とは、去ることと来ること、すなわち行き来を意味する。また、心の中に思いが浮かんでは消え、消えてはまた浮かぶように繰り返し現れる様子を指して用いられる。
去嫌とは、連歌や俳諧において、同季の語や同字、類似した表現を一定の句数以上隔てて用いることで変化を図る、一種の禁制を指す。また、転じて、物事に対する好き嫌いや選り好みを意味する場合もある。
如去は、仏教において如来の別称として用いられる語である。過去に去った者、すなわち真理を体得してこの世から去った覚者を意味し、如来と同様に仏の尊称の一つとされる。
卒去とは、身分の高い人の死去を指す語である。特に律令制下においては、四位・五位の官人の死を表す場合に用いられた。読みは「そっきょ」が慣用であり、「しゅっきょ」とも読まれる。
消し去ること。また、消えてなくなること。記録されたデータや記憶などを取り除く場合や、数学において特定の変数を排除する解法などに用いられる。
人の死を敬って言う語。特に目上の人や敬意を払うべき人の死に対して用いられる。
不要なものや邪魔なものを取り除き、なくすことを指す。例えば、道路の障害物を取り除く場合などに用いられる。
建物や設備など、設置されていたものを取り除き、その場所から完全に無くすことを指す。
皇族や三位以上の位にある者が亡くなることを指す古い表現である。四位・五位の貴人の死去には「卒去」を用いるのに対し、より高位の者に用いられる尊厳を含んだ語である。
神去月は神無月と同じく、陰暦十月の異称である。この月には全国の神々が出雲大社に集まるため、各地の神社には神がいなくなるとされ、そのことを「神が去る月」と表現したことに由来する。
帰去来とは、官職を辞して故郷へ帰るため、その地を去ることを指す。中国の詩人・陶潜の「帰去来辞」に由来し、「かえりなん、いざ」と訓読される。世俗のしがらみから離れ、自然に囲まれた故郷での生活を望む心情を表す語である。
燕去月は陰暦八月の異称で、秋の季節を表す。この名称は、燕が南方へ去る時期と重なることに由来し、秋の深まりを感じさせる風情ある表現である。
陶潜帰去は、東晋の詩人である陶潜(淵明)が官職を辞して故郷に帰り、その心境を詠んだ「帰去来辞」に由来する四字熟語である。わずかな俸禄のために世俗に屈することを潔しとせず、自然を愛する田園生活を選んだ故事を表し、俗世間の煩わしさを離れて隠遁する心境や、そうした生き方を指す。
「晨去暮来」は、早朝に立ち去り夕暮れに戻ってくることを意味する四字熟語である。野鳥が餌を求めて朝に巣を離れ、日暮れに帰ってくる習性に由来する。ここでの「晨」は夜明けや早朝を指し、故事は『漢書』「朱博伝」に典拠を持つ。
去就進退とは、官職や地位に就くことと退くこと、また進むことと退くことを指し、人生における重要な決断や行動の選択を意味する。特に、組織や社会における個人の立場や処遇に関わる重大な判断や態度を表す際に用いられる。