父兄とは、本来は父と兄を指す語であるが、転じて学校に通う児童・生徒の保護者を総称する旧称として用いられる。特に学校行事や連絡の場面で、父母や後見人を指して呼ぶ言い方である。
父系とは、父方の血統や系統に属することを指す。父を起点とする家系や血縁関係を表し、母系と対比される概念である。
父事とは、相手を父のように敬い、その人に仕えることを指す。
父祖とは、父や祖父を指す語であり、より広くは祖先や先祖を意味する。代々受け継がれてきたものや、家系の歴史を語る文脈で用いられる。
父母とは、父と母を指す語であり、両親を意味する。古くは「かぞいろ」とも読み、また「ふぼ」と読む場合もある。
王父とは、亡くなった祖父を敬って言う語であり、また王の父を指すこともある。
伯父とは、父または母の兄を指す語である。また、父母の姉の夫に対しても用いられる。対義語は伯母に当たる。
叔父とは、父母の弟を指す語である。また、父母の妹の夫に対しても用いられる。対して、父母の兄や父母の姉の夫は「伯父」と書いて区別することがある。漢字音読みでは「シュクフ」と読む場合もある。
妻の父親を指す語で、しゅうとともいう。岳母と対になる表現である。
神父とは、キリスト教のカトリック教会において、聖職者として信徒の指導や典礼を司る者に対する敬称である。司祭と同義であり、プロテスタントの牧師に相当する役職を指す。
相手の父親を敬って指す語で、主に書簡などの改まった文面で用いられる。
慈父とは、深い愛情をもって子を慈しみ育てる父親を指す。また、他者の父親を敬っていう呼称としても用いられる。慈母と対をなす語である。
「むらぎみ」は漁民の長を指し、近代においては網主や漁業の指導者を意味する。表記は「村君」とも書く。なお、「漁父」を「ギョフ」と読む場合は別の意味となる。
厳格な態度で接する父親を指す。また、他人の父親を敬っていう語としても用いられる。
親父とは、まず自分の父親を親しみを込めて呼ぶ語である。また、中年以上の男性に対して親しみや、場合によっては軽蔑の意を込めて用いられることもある。さらに、飲食店などの主人や職場の上司など、ある集団の長を親しみを込めて呼ぶ際にも使われる。
「乃父」とは、父親が自分の子に対して用いる一人称で、「お前の父」という意味を表す。主に古い文章や格式ばった表現で用いられ、現代の日常会話ではほとんど使われない。
父方および母方の両方の父母を指し、すなわち祖父と祖母の総称である。直系尊属のうち、父母の上の世代に当たる二人を一組として捉えた呼び方である。
従祖父とは、祖父母の兄弟を指す語で、両親から見ておじにあたる。祖父母より年長の場合は「大伯父」、年少の場合は「大叔父」と書き分けることもある。対になる女性の呼称は従祖母(おおおば)である。
曽祖父とは、祖父の父にあたる人物を指す語で、ひいじじとも呼ばれる。
父を敬って呼ぶ語で、主に宮中や公家社会で用いられた。その由来は、寝殿造りにおいて父が「母屋(おもや)」に居住したことにあるとされる。対になる語として「御母様(おたあさま)」がある。
古代中国の神話に登場する巨人・夸父が太陽を追いかける物語に由来する四字熟語で、『列子』湯問篇などに記される。不可能な目標に無謀にも挑むこと、あるいは自然の偉大さに抗う人間の意志の象徴として用いられる。
渭浜漁父とは、中国の故事に登場する太公望のことを指す四字熟語である。渭水のほとりで釣りをしていた隠者であり、後に周の文王に迎えられてその覇業を助けたという『史記』の記述に由来する。
渭川漁父とは、渭水のほとりで釣りをする老人を指す。転じて、俗世間を離れて自然に親しみ、悠々自適な生活を送る人を意味する。
「哀哀父母」は、子を生み育てるために苦労を重ねた父母、特にその恩に報いることなく亡くしてしまった父母を深く悲しみ、慕う心情を表す四字熟語である。「哀哀」は嘆き悲しむ様子を指し、『詩経』「小雅・蓼莪」に由来する。
父から子へと、学問や技芸の奥義を代々伝え継いでいくことを意味する。特に武術や芸道などの分野において、血縁による継承のあり方を表す表現である。
「父為子隠」は、『論語』子路篇に見える故事に由来する四字熟語で、父が子の過ちを隠すことを指す。これは、儒家の思想において、父子の情愛に基づく自然な行為として捉えられ、直ちに非難すべきものではないとする考え方を示している。
田父之功とは、『戦国策』斉策に由来する故事成語で、一見無益に見える行為が、結果として大きな利益をもたらすことを意味する。田舎の老人が偶然に敵軍を退けた故事に基づき、目立たぬ働きや思わぬ助力が重要な役割を果たすことを指す。
『論語』子路篇に由来する四字熟語で、正直な息子が父親の罪を証言するという意味である。ここでは、親子の情よりも法や正義を優先する厳格な姿勢を表すが、同時にそのような行為が人倫に反する面も含意している。
子為父隠は、『論語』子路篇に由来する四字熟語で、子が父の過ちを隠すことを指す。これは儒教の思想に基づき、家族内の情愛や孝行を重んじ、血縁関係における相互の庇護を理想とする倫理観を表している。