丈六は、一丈六尺(約五メートル)の高さを指し、特にその大きさの仏像を表す。これは、釈迦の身長が人間の八尺の倍であったとする信仰に由来する。また、仏像が結跏趺坐(あぐらをかく姿勢)をとることから、転じて「あぐらをかく」という動作をも意味する。
六曜とは、暦に記載される吉凶判断の基準となる六種の暦注を指し、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の総称である。これは六輝とも呼ばれ、日々の運勢や行動の適否を占うために用いられる。
「六方」は、まず東西南北と天地を合わせた六つの方向を指す。また、六つの平面で構成される立体を意味する場合もある。さらに歌舞伎では、役者が花道から揚げ幕へ入る際の独特の歩き方を表し、手を大きく振り足を高く上げる様式化された動作を特徴とする。この歌舞伎における用法は「六法」と表記されることもある。
六法とは、日本の主要な六つの法典、すなわち憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法を総称する語である。また、これらを収録した「六法全書」を略して指す場合や、歌舞伎の「六方」の古い表記として用いられることもある。
双六は、紙や盤上に描かれた区画をさいころの目の数だけ駒を進め、先に上がりや敵地へ到達することを競う遊戯である。主に二つの形態があり、一つは紙面に振り出しから上がりまでの道筋を設けたもの、もう一つは盤を用いて二組の駒を敵地へ入れることを目指すものである。
四六とは、四と六という二つの数字を指し、またそれらの積である二十四を意味する。さらに、書籍の判型の一つである四六判の略称としても用いられ、その寸法は縦約一八・八センチメートル、横約一二・七センチメートルを基準とする。
甚六とは、穏やかでのんびりとした性格で、人を疑うことを知らない善良な人物を指す。特に長男がこのような性質を持つ場合に「総領の甚六」と表現されることがある。
妻が夫を、親しみややや軽んじる気持ちを込めて呼ぶ語。
六合とは、天地と東西南北の四方を合わせた六つの方位を指し、転じて宇宙全体や世界を意味する語である。
贅六とは、江戸時代に江戸の住民が上方(主に京都・大坂方面)の人々を蔑んで用いた呼称である。その由来は上方風の呼び名「才六」が江戸なまりで訛ったものとされ、「ゼエロク」とも発音された。
十六夜(いざよい)とは、陰暦十六日の夜、またはその夜の月を指す。特に陰暦八月十六日の夜をいう。満月である十五夜の月に比べて月の出が遅れる様子を、人がためらう(いざよう)姿にたとえた名称である。
千六本とは、大根などの野菜を細長く刻む技法、あるいはそのように刻んだものを指す。表記は「繊六本」ともされる。語源は中国語の「繊蘿蔔(センロフ)」の字音「センロウポ」が転じたものとされ、「蘿蔔」は大根を意味する。
六分儀は、天球上の二点間の角度を測定するための携帯型の測角器であり、主に航海や航空において天体観測から位置を決定する際に用いられる。セクスタントとも呼ばれる。
六月雪はアカネ科に属する常緑の小低木で、白丁花(はくちょうげ)とも呼ばれる。その名は漢名に由来し、六月に雪のように白い小花を咲かせることにちなむ。
六地蔵とは、地蔵菩薩が六道のそれぞれに姿を現し、その世界に生きる衆生の苦しみを救済するとされる六種の地蔵を指す。
四六文とは、四字と六字の句を基本単位として対句を重ね、華麗な修辞を特徴とする漢文の文体である。中国六朝時代に盛行した四六駢儷文の略称で、韻律の整った対句表現を多用する点に特色がある。
兵六玉は、愚かで間の抜けた人物を罵る言葉である。兵六ともいい、表記としては「表六玉」と書くこともある。
「表六玉」は愚かな人を罵る言葉で、「表六」とも言う。漢字では「兵六玉」と書くこともある。
六十歳を指す語。また、その年齢に達した人をいうこともある。
六根清浄とは、仏教において人間の迷いの根源とされる六つの感覚器官、すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識)から生じるすべての煩悩や執着を離れ、心身が清らかで穢れのない境地に至ることを意味する四字熟語である。
仏教の教義に基づく概念で、衆生が迷いの状態にある限り、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界を生死を繰り返しながら巡り続けるという思想を指す。業の結果によって次の生まれ変わる世界が定まり、この循環から解脱することが悟りの目標とされる。
六十耳順とは、六十歳に至って他人の意見を素直に聞き入れられる境地に達することを指す四字熟語である。『論語』為政篇に記される孔子の言葉「六十而耳順」に由来し、学問や人格の修養を積んだ者が、自説と異なる意見にも道理があれば抵抗なく受け容れられるようになる様を表す。後に六十歳そのものを指す語としても用いられる。
六尺之孤とは、『論語』泰伯篇に由来する四字熟語で、身長が六尺(約140センチ)程度の幼い孤児を指す。これは主に十四、五歳前後の、保護者を失い世話を必要とする未成年者を意味し、転じて頼りなき幼君や、庇護を要する若き後継者を喩える場合にも用いられる。
「六菖十菊」は、時期を逸して役に立たないことのたとえである。端午の節句に用いる菖蒲を六月に、重陽の節句に用いる菊を十月に用意するように、必要な時機を過ぎてしまい、もはや価値が失われている様子を表す。
『論語』陽貨篇に見える語で、六つの徳目とそれに伴う六つの弊害を指す。仁・知・信・直・勇・剛という六つの美徳も、学ばずに偏って執着すれば、それぞれ愚・蕩・賊・絞・乱・狂という欠点を生じるという教えである。