才覚とは、物事に素早く対応する機転や頭の働きを指す。また、金品などを苦心して調達することを意味する場合もある。
不覚とは、意識や感覚を失う状態を指す。また、思わずそうしてしまう様子、例えば涙が自然とこぼれるような場合にも用いられる。さらに、油断や不注意から失敗を招くことを意味し、試合などでうっかり負けるような場面で使われる。
正覚とは、仏教において一切の迷いや妄執を断ち切り、真理を完全に悟りきった境地を指す。仏陀が成道によって到達した、この上ない真実の智慧と覚りそのものであり、悟りの究極の完成を意味する。
物事の成り行きや道理を他の者より早く見通し、悟ることを指す。また、そのような優れた見識を持つ人物を意味する。学問の分野においては、先達として後進を導く立場にある者をいうこともある。
悪事や隠していた事柄が外部に知られること。特に、秘密にしていた不正や陰謀などが明るみに出る状態を指す。
臭覚とは、においを感じ取る感覚機能を指す。嗅覚と同義であり、空気中に漂う化学物質を鼻の嗅細胞が感知し、その情報を脳に伝達することで生じる知覚である。
視覚とは、光の刺激を目が受容し、それが脳に伝達されることで生じる感覚を指す。外界の形や色、動きなどを認識する働きであり、五感のうち最も情報量の多い感覚とされる。
仏教において、真理を悟りに至るための道筋を指す。悟りを開くための修行や実践の過程を意味する。
覚弥とは、細かく刻んだ漬物を指し、塩や醬油をかけて食したものである。その由来には諸説あり、江戸時代の料理人である岩下覚弥が創始したとも、あるいは高野山において隔夜堂を守る歯の弱い老僧のために作られたものとも伝えられている。
覚書とは、忘れないように要点を書き留めた記録を指す。また、外交上の用語として、条約や協定の補足事項などを簡略な形式で記した文書のこともいう。
覚悟とは、困難や危険を予期し、それに立ち向かう心の準備を整えることである。また、仏教においては迷いを断ち切り、真理を悟る境地を指すこともある。
眠りから目が覚めることを指す。また、迷いや無知の状態から脱し、真実や道理に目覚めることの比喩としても用いられる。
嗅覚とは、においを感知する感覚機能を指す。視覚、聴覚、味覚、触覚と並ぶ五感の一つであり、空気中に漂う化学物質を鼻腔内の受容体が捉え、脳に信号を伝達することで生じる。動物によってその鋭敏さは大きく異なり、例えば犬は人間よりもはるかに優れた嗅覚を持つことで知られる。
触覚とは、皮膚や粘膜を通じて外部からの接触や圧力、温度などを感知する感覚機能を指す。物体に触れた際の手触りや温冷感、痛覚など、多様な皮膚感覚を含む人間の五感の一つである。
錯覚とは、実際の事物の形や色、音などを異なって知覚する現象を指す。また、現実とは異なる状況を本当のことのように感じ取る、思い違いや勘違いの状態も含まれる。
視覚と聴覚を総称した表現であり、光の刺激によって生じる感覚と音の刺激によって生じる感覚の両方を指す。特に教育やメディアの分野において、両者を併用した方法や教材を指して用いられることが多い。
平衡感覚とは、物事を偏りなく捉え、安定した判断や感覚を保つことを指す。天秤が釣り合って水平になる状態を表す「平衡」から転じ、思考や物事の受け止め方において、過不足なく整った状態を意味する。
「先知先覚」とは、一般の人々よりも先に物事の道理を理解し、悟ることを指す四字熟語である。『孟子』に由来し、「覚」は気づき理解することを意味する。この語は、時代や状況をいち早く見通す洞察力を持つ者、あるいはそのような能力そのものを表す。
前後不覚とは、意識が混濁して前後の区別がつかなくなるほど正体を失い、物事の判断や記憶がまったくできなくなる状態を指す。