合唱とは、複数の人が声を合わせて歌うことを指す。また、二つ以上の声部に分かれ、それぞれ異なる旋律を同時に歌い合わせる演奏形態も意味する。
詩歌に節をつけて声に出して歌うことを指す。特に漢詩などを独特の調子で詠み上げる行為を意味し、「吟誦」の異表記として用いられる。
朗唱とは、声を張り上げて歌うことを指す。また、詩や文章を声に出して読み上げる朗誦と同義として用いられることもある。
歌を声に出してうたう行為、またその歌そのものを指す。かつては旧制小学校における音楽教育の科目名としても用いられ、そこで教えられた歌曲を指す場合もある。
歌曲を声に出して歌うことを指し、またその歌曲そのものを意味する。特に声楽曲を歌う行為や、歌われる曲を指す語である。
唱導とは、仏法を説き聞かせて人々を仏道へと導くことを指す。また、より広く、自らの意見や主張をもって他者を先導する意味でも用いられる。後者の意味では「倡導」と表記することもある。
唱名とは、仏の名号を口に出して唱えることを指す。特に「南無阿弥陀仏」のように、仏の名を称える行為をいう。念仏と同義であり、「称名」とも表記される。
提唱とは、ある意見や主義、主張などを示し、広く人々に呼びかけて賛同を求めることを指す。また、禅宗においては、教えの要旨を示し、それを説き明かして衆生を導く説法の行いをも意味する。
絶唱とは、比類なく優れた詩歌や歌曲を指し、またそれを心を込めて歌い上げることを意味する。特に詩歌においては、後世にまで伝わるような傑作を称える表現として用いられ、歌唱においては感情を極限まで込めた熱のこもった歌唱を表す。
愛唱とは、好んで歌うこと、特に気に入った歌を折に触れて口ずさむことを指す。
暗唱とは、記憶している詩歌や文章などを、何も見ずに声に出して言うことを指す。暗誦と同義であり、そらんじることとほぼ同じ意味で用いられる。
口唱とは、主に仏教の念仏行において、阿弥陀仏の名号を声に出して唱えることを指す。特に浄土教系の修行で重視される実践で、口称念仏とも呼ばれる。
復唱とは、命令や指示、注意などを確実に理解したことを示すため、あるいは内容を確認するために、相手から言われた言葉をそのまま繰り返して口に出す行為を指す。
文章絶唱とは、詩歌や文章の中で特に優れた作品を指す四字熟語である。「絶唱」は他に比類ないほど優れた詩歌を意味し、宋代の随筆『鶴林玉露』では司馬遷の「伯夷伝」や蘇軾の「赤壁賦」がその例として挙げられている。
低唱微吟とは、しんみりとした調子で低い声で歌い、また小声で詩を吟じることを指す四字熟語である。「低唱」も「微吟」も、ともに声を抑えて詩歌を詠むことを意味し、同義の語を重ねることで、静かに情感を込めて詩歌を口ずさむ様子を強調している。
低唱浅斟とは、声をひそめて詩歌を吟じ、少量の酒をゆっくりと味わいながら楽しむ風流な趣向を指す。静かな雰囲気の中で詩情と酒興をともに楽しむ、文人の雅やかな遊びの境地を表す四字熟語である。
浅斟低唱とは、酒を深く酌まずに控えめに味わいながら、声を潜めて詩歌などを詠じ、風流な趣を楽しむことを指す。
浅酌低唱とは、少量の酒を味わいながらほろ酔いの心地よさに浸り、気ままに詩歌を口ずさむ風流な楽しみを指す。また、そのような趣向の酒宴そのものを表すこともある。