必修とは、ある課程や教育プログラムにおいて、必ず履修し修得しなければならない科目や内容を指す。選択科目に対置される概念であり、学習の基礎をなす必須の要素として位置づけられる。
改修とは、主に土木構造物や建築物などに対して、その機能を維持・向上させるために手直しや修繕を施すことを指す。例えば、老朽化した堤防や建物の一部を補強したり、不具合を直したりする作業がこれに当たる。
特定の分野や事柄に特化して学問や技術を修めること。また、そのような教育を行うこと。
独修とは、師匠や指導者につかずに、自らの力で学問や技術を習得することを指す。独学や自修と同義であり、個人の努力と工夫によって知識や技能を身につける学習形態を表す。
逆修とは、生前に死後の安楽を祈って仏事を行うことを指す。また、生前に戒名を受け、墓石に朱で名を記すことも含まれる。転じて、年長者が若くして亡くなった者の冥福を祈る行為をも意味する。
誤りや不十分な点を改め、正しい状態にすること。また、そのようにして内容を整えることを指す。
修整とは、不十分な部分を手直しして整えることを指し、特に写真や印刷の分野において、原版やネガフィルムなどに修正を加えることを意味する。
学問を修め身につけることを指し、特に学校の教育課程の一環として行われる実地学習や旅行などの活動を指して用いられる。
修竹とは、すらりと伸びた美しい竹、あるいはそのような竹が群生する竹林を指す。漢字表記としては「脩竹」とも書かれる。
建物や構造物を修理し、元の状態に戻すこと。また、改築や増築を含めて、より良い状態に整えることも指す。
学問や技芸を修め、道徳を身につけること。また、宗教上の教えに従って修行を積むことを指す。
学問や技芸などを習い修め、自らのものとして身につけることを指す。
修養とは、学問や技芸を習得し、自らの人格を高め、精神を鍛え上げることを指す。日々の学習や実践を通じて内面を磨き、より優れた人間性を養う営みである。
壊れたり傷んだりした箇所を直し、元の使用可能な状態に戻すこと。機械や道具、建物などに対して用いられる。
修行とは、仏道において教えを実践し悟りを目指す営みを指す。また、広く精神や技芸を鍛え高めるための鍛錬や努力の過程をも意味する。
修羅とは、元来はインド神話に登場する阿修羅の略称であり、常に闘争を繰り返す鬼神を指す。そこから転じて、激しい争いや戦乱の状態、特に「修羅の巷」のように凄まじい闘争が行われる場所を喩える表現としても用いられる。また、大木や巨石を運搬するための車、修羅車を略した呼称としても使われる。
不足している部分を補ったり、壊れた部分を直したりすること。特に、道路や建物などの構造物に対して行われる工事や手入れを指すことが多い。
履修とは、学校などで定められた教育課程や科目を、所定の期間内に学び終えることを指す。特に、卒業や資格取得に必要な単位を取得するために、特定の科目を学習し、その成果を認められる過程を意味する。
書籍や出版物の編集・著述において、その内容の正確性や品質を監督し責任を負うことを指す。また、その職務を担当する人物を指す場合もある。
資料を収集し整理して、書物としてまとめ上げることを指す。特に歴史書や学術書など、一定の体系を持つ著作をまとめる場合に用いられる。
文章や原稿において不要な語句を削除し、内容を整えてより良くすること。特に師匠や先人の遺稿を整理する際に用いられる。
書物や文書をまとめ上げ、形を整えて作り上げることを指す。特に、資料を収集し、整理し、編集して一つの完成された著作物を生み出す行為を意味する。
修羅場とは、激しい争いや悲惨な状況が展開される場面を指す。元来は演劇や講談などで、修羅のごとく凄惨な闘いの情景を描写する語であったが、転じて、現実の厳しい対立や苦難に満ちた局面を喩えるようになった。過酷な試練を経験することを「修羅場を踏む」などと表現する。
修験道を実践する行者を指す。山伏とも呼ばれ、霊山を巡り厳しい修行を行うことで霊験を得ようとする。独特の装束を身にまとい、山野を跋渉しながら呪術や祈祷などを行うことを特徴とする。
修理職は、平安時代以降に設置された令外の官職であり、主に皇居などの修理や造営を担当した。すりしきとも呼ばれる。
辺幅修飾とは、外見や体裁を飾り立てて、実際の内面よりも見かけを良く見せようとすることを指す。布地の縁を飾るという原義から転じて、うわべを取り繕い、見栄を張る行為を意味する四字熟語である。『後漢書』「馬援伝」に由来する。
修己治人は、自己の修養を積み徳を高めることで、その徳によって人々を感化し世の中を治めるという儒教の根本理念を表す四字熟語である。己を修めて人を治むと訓読され、『大学章句序』において朱熹が示したように、内なる修養と外なる治世とが一体となるべき道を示している。