自然科学の一分野であり、物質の構成や性質、それらの変化や反応の法則を探求する学問を指す。
学問に心を向け、それを志して励むこと。学ぶことへの強い意欲や関心を指す。
同じ学校で学ぶこと、あるいは同じ師に師事することを指し、そのような関係にある人々を意味する。また、同じ学問分野を研究する者を指して用いられることもある。
学問を好み、熱心に学ぶこと。また、そのような性質や態度を指す。
学問や技芸などを初めて習い始めることを指し、またそのような学習段階にある人を指す語。
志学とは十五歳の異称である。この語は『論語』為政篇にある「吾十有五而志于学」に由来し、学問に志を立てる年齢として、古来、男子の十五歳を指す言葉として用いられてきた。
私立の学校を指す語で、国や地方公共団体が設置・運営する官立学校に対し、民間の個人や法人によって設立・経営される教育機関を意味する。
学問を通じて培われた知識と見識を指し、単なる知識の蓄積にとどまらず、それに基づく深い理解や判断力を含む概念である。特に、豊かな学識を持つ人物を評する際に用いられることが多い。
「学生」は「ガクショウ」と読み、律令制のもとで大学寮や国学、あるいは寺院などにおいて学問を修める者のことを指します。また、仏道を学ぶ僧侶を意味する場合もあります。一方、「ガクセイ」と読む場合は、広く学業に励む者を指す語となります。
学童とは、主に小学校に通う児童を指す語である。学校教育の場において初等教育を受ける年齢の子供を総称する表現として用いられ、例えば放課後の保育や戦時中の地方への避難といった文脈で「学童保育」「学童疎開」などの複合語としても使われる。
学監とは、学校や教育機関において学務全般を統括し、学長を補佐するとともに学生の指導監督を担う役職、またその職にある者を指す。
学問上の理論や研究方法において独自の立場や特徴を持つ集団や系統を指す。特定の学者の思想を受け継ぐグループや、新たに確立された研究の流れを意味する。
学問の研究に専心することを指し、転じてそのような態度を持つ人や、学問一筋に生きる人を意味する。時に実生活から遊離した、理論偏重の姿勢を帯びることもある。
学問を修める人々が集い、教育と研究が行われる場所を指し、特に高等教育機関や学校を意味する。
学齢とは、義務教育を受けるべき年齢を指し、満六歳から満十五歳までの期間をいう。また、小学校への入学が可能となる年齢を指すこともある。
学問上の友人を敬って呼ぶ語で、主に手紙などの文面で男性同士が用いる表現である。
「学割」とは、学生や生徒を対象として、交通機関の運賃や施設の入場料などを通常より安く提供する制度、またはその割引額そのものを指す言葉である。「学生割引」の略語として用いられる。
苦労しながら学問に励むこと。特に、働きながら学資を稼ぎ、その収入で学業を続けることを指す。
勉学とは、学問や知識を身につけるために努め励むことを指す。主に学業に専心する行為や態度を表し、学生の本分とされる。
後学とは、先達に比べて後に学問を始めた者を指す。また、将来の自身の修養や知識の向上に資する学問や教えを意味する場合もある。
学問や知識が十分に深まっておらず、未熟であることを指す。また、自身の学識を謙遜して言う場合にも用いられる。
学問を学び、知識や技芸を身につけることを指す。特に学校の教育課程の一環として行われる実地学習や旅行などの活動を指して用いられることが多い。
兼学とは、二つ以上の異なる学問分野や宗派の教えを同時に学び修めることを指す。
学校が校規違反をした学生に対して課す懲戒処分の一つで、一定期間の登校を禁止することを指す。
旧教育制度において、学校教育の実情を視察し指導を行う地方官を指す。また、その役職に就いていた者をいう。
進学とは、より上級の学校に入学し、引き続き学業を続けることを指す。例えば、高等学校から大学へと進む場合などに用いられる。
広範な学問に通じ、多くの知識を備えている様子。また、そのような人を指す。
就学とは、教育を受けるために学校に通うことを指し、特に義務教育の始まりとして小学校に入学することを意味する。
遊学とは、自国を離れて他の土地や外国に赴き、学問を修めたり知識を深めたりすることを指す。特に、異なる文化や環境の中で学びながら見聞を広める行為を意味し、「游学」と表記することもある。
督学とは、かつて学校や教育行政を監督・指導する役職を指す語である。
学問に熱心に励む様子を指し、またそのような態度を持つ人を指すこともある。
学問や知識をひけらかすこと。また、そのような態度や振る舞いを指す。
この学問。今話題にしている特定の学問分野を指し、主に「この分野の学問」という意味で用いられる。例えば「斯学の権威」のように、その分野における専門家や権威者を言い表す際に使われる表現である。
学問が広く深く、豊かな知識を備えていること。また、そのような優れた学識を持つ人を指す。特に特定の分野で卓越した知識や見識を有する大学者をいう。
学問に深く通暁していること。また、そのような広範な知識と深い見識を備えた人を指す。
邯鄲学歩とは、他人の真似をし過ぎて、かえって自分本来の持ち味を失ってしまう愚かさを喩えた故事成語である。中国の邯鄲という土地で、独特の美しい歩き方に憧れた者がその歩き方を学ぼうとしたが、結局うまく真似できず、元の歩き方さえ忘れてしまったという故事に由来する。
寡聞浅学とは、見聞が狭く学識の浅いことを意味する四字熟語である。「寡聞」は聞くことが少なく知識が乏しい状態を指し、「浅学」は学問が浅く深い教養に欠ける様子を表す。これらを合わせて、広く深い知識や経験を持たないことを謙遜して述べる際に用いられる。
下学之功とは、身近な事柄から学問を始め、基礎を固めることで、やがて高い道理を理解するに至る修養の過程を指す。
下学上達とは、身近な日常の事柄から学び始め、次第に高い道理や真理に通じるに至るという修学のあり方を示す四字熟語である。『論語』憲問篇に由来する孔子の言葉で、訓読では「下学して上達す」と読む。
阿世曲学とは、世の中の風潮に迎合し、自らの学問や信念を曲げてまで権力者にへつらうことを指す四字熟語である。『史記』「儒林伝」に由来し、真の学問の道を外れ、時流や権威に盲従する姿勢を批判する意味で用いられる。
書道の修練に励むことを意味する四字熟語。池のほとりで書を学んだという王羲之の故事に由来し、書道に精進する姿勢を表す。
無学文盲とは、学問や知識を身につけておらず、文字を読むこともできない状態を指す。また、そのような状態にある人や様子を表す語である。
無学無識とは、学問を修めていないために知識や教養が欠如している状態を指す。学問の基礎がなく、物事に対する理解や判断力が乏しいことを意味する。