小雨とは、細かく静かに降る雨のことを指す。雨粒が小さく、降り方が穏やかで、しとしとと降り続けるような様子を表す。霧雨に近いが、よりはっきりと雨粒が認識できる程度のものをいう。
山のあたりから降り始める雨を指し、また山中で降りかかる雨そのものをも意味する。
氷雨は、冬に降るみぞれやあられのような冷たい雨を指す語である。また、夏のひょうを意味する場合もある。
冷たい雨を指す語で、特に晩秋から初冬にかけて降る肌寒さを感じさせる雨をいう。氷雨と同義に用いられることもある。
私雨とは、特定の地域に限って突然降り出す雨を指し、山の麓は晴れているのに山頂付近だけに降る現象を特にいう。箱根や鈴鹿、丹波などで観察されることが知られている。
雨脚とは、雨が降る様子を表す語で、特に雨が移動していく様や、降る雨が線のように見えるさまを指す。雨が遠ざかっていく状態を「雨脚が遠のく」と表現したり、激しく降る雨が白い線を引くように見える様子を「雨脚が白く激しい」と描写したりする。また、「あめあし」と読む場合もある。
雨虎はアメフラシ科に属する軟体動物で、主に磯に生息する。体形はナメクジに似ているがより大きく、体長は約三十センチメートルに達する。刺激を受けると紫色の液を分泌するが、これは無毒である。
一年のうちで特に雨の多い季節を指し、降水量が集中する期間をいう。乾期と対になる概念で、気候帯によってその時期や長さは異なる。
雨が降りやんだ後の時を指し、空気が清々しく澄み渡った状態を表す。特に雨上がりの空や景色に用いられる表現である。
雨滴とは、空から降る雨の粒、あるいは雨が物に当たって跳ねる小さな水滴を指す。雨のしずくそのものを表し、時にその落下する様子や音を連想させる語である。
雨露とは、文字通り雨と露を指す。自然の恵みとしての雨や露は、草木を潤し育てるものであり、そこから転じて、広く自然や他者から受ける恵みや恩恵を意味するようになった。
雨打(ゆた)は、日本の伝統建築において、屋根の軒先の下に設けられる庇状の部分を指す。雨や雪、あるいは強い日差しから建物の壁面や開口部を保護する役割を果たす。裳階(もこし)とも呼ばれ、表記は「雪打」と書かれることもある。
春雨は、春にしとしとと降る細かい雨を指す。また、緑豆のでんぷんを原料として作られる、透明で糸状の乾麺のこともいう。
「甚雨」は激しく降り注ぐ雨を指し、大雨や豪雨と同義である。漢字表記としては「大雨」とも書かれるが、読み方は「ひさめ」と訓読みされる。
梅雨は、六月頃に長く続く雨、またその時期を指す。梅の実が熟す時期に降ることからこの名があり、黴雨とも書く。五月雨とも呼ばれる。
宿雨とは、連日降り続く長雨を指す語であり、霖雨とも呼ばれる。また、前の夜から降り続き、朝になってもやまない雨のこともいう。
長く降り続き、止みそうにない雨を指す。特に農作物に悪影響を及ぼすような、日照りが続かずに続く雨を意味する。
液雨は、立冬の後およそ十日目を入液、小雪の日を出液とする期間、すなわち十一月の中旬頃に降る雨を指し、時雨の一種とされる。
暗い曇り空から降る雨を指し、また、陰鬱な気分を伴うように長く降り続ける雨のこともいう。
晴雨とは、天候の状態を表す言葉で、晴れと雨の両方を指します。天気の如何を問わず物事を行う場合などに用いられ、例えば「運動会は晴雨にかかわらず実施する」といった形で使われます。
慈雨とは、草木や作物の成長を助けるために、適度な時に降る恵みの雨を指す。長く続いた日照りの後に降る、まさに待ち望まれた雨のことで、甘雨とも呼ばれる。
煙雨とは、霧のように細かく立ち込める雨のことで、遠くの景色がぼんやりと霞んで見えるような情景を指す。
群雨は、特定の地域に限って急に激しく降り出し、短時間で止む雨を指す。通り雨やにわか雨と同様の気象現象を表し、「叢雨」や「村雨」とも表記される。
雷雨とは、雷鳴や稲妻を伴って激しく降る雨のことで、特に大気の状態が不安定な夏に多く発生する。
零雨とは、静かにしとしとと降る細やかな雨のことを指し、微雨やこぬか雨とも呼ばれる。
穀雨は二十四節気の一つで、春の終わりを告げる時期を指す。太陽の黄経が30度に達する時で、新暦では4月20日頃にあたる。この時期は、春の柔らかな雨が降り、田畑を潤して穀物の成長を促すことから名付けられた。
霊雨とは、人々が雨を待ち望む時期に降り注ぎ、農作物の成長を助け、恵みをもたらす雨を指す。慈雨とも呼ばれ、単なる自然現象を超えて、人々の祈りに応えるような恵み深い雨を意味する。
雨に打たれて髪を洗う意から転じて、雨に身をさらすことを指す。主に「櫛風沐雨」の形で用いられ、風に髪を梳(と)かし雨に髪を洗うという原義から、外を奔走して風雨にさらされる苦労を喩える表現となる。
アマガエル科に属するカエルの一種で、体長は約四センチメートル程度である。四肢の指先には吸盤があり、樹木に登ることができる。体色は通常緑色をしているが、周囲の環境に応じて茶褐色などに変化する性質を持つ。夏季に雨が降りそうな前兆として鳴く習性があることからこの名が付けられた。
雨の降る際に頭部を濡らさぬよう用いる笠のことで、主に竹や藁などで編まれており、雨具として古くから用いられてきた。
屋根に降った雨水を軒先で受け止め、地面へと導くための樋状の装置を指す。
雨疏とは、雨水が滞ることなく滑らかに流れ去る状態を指す。また、そのような排水が良好に整えられた場所を意味する。
急に降り出して短時間で止む雨のことで、夕立や驟雨に同じ。
瑞雨とは、農作物の成長を促し、人々に恵みをもたらす喜ばしい雨を指す。慈雨と同義で、特に草木を潤し、豊作を約束するような恵みの雨を意味する。
青葉の茂る季節に降る雨を指す。新緑に映えて清涼感のある雨の様子を表し、緑雨とも呼ばれる。
霧のようにたちこめる細かい雨を指し、しとしとと降り続く小雨やぬか雨の状態を表す。
霖雨とは、長く降り続く雨のことを指し、しとしとと降り続く長雨を意味する。また、草木を潤し育てるように、人々に恵みをもたらすもののたとえとしても用いられる。
糠雨とは、非常に細かい雨粒が静かに降る雨のことで、霧雨や小雨と同様の現象を指す。まるで米ぬかのように微細な水滴が漂うように降ることからこの名がついた。
黴雨は、主に六月頃(陰暦では五月)に長く降り続く雨を指し、五月雨とも呼ばれる。この時期は湿度が高く、物に黴が生えやすい気候であることからこの名がある。また、その雨期を指して「つゆどき」ともいう。表記としては「梅雨」とも書かれ、読み方としては「バイウ」とも読まれる。
急に降り出して短時間で止む雨のこと。特に夏の午後に多く、雷を伴う激しい雨を指す場合がある。夕立やにわか雨と同義で、天候の急変を特徴とする。
陰暦五月頃に降り続く長雨のことで、梅雨(つゆ)を指す。夏の季語としても用いられる。
如雨露は、草花などに水を注ぎかける際に用いる道具を指す。語源はポルトガル語に由来するとされ、「如露」とも書き、「ジョロ」とも読まれる。
梅雨の時期に雨が少なく、日照りが続く気象状態を指す。降水量が平年に比べて著しく少なく、農作物の生育などに影響を及ぼすことがある。
雨合羽とは、雨天時に衣服の上から羽織って着用する、マントのような形状をした防水性の外衣を指します。
雨波貝はバカガイ科に属する二枚貝で、姥貝(うばがい)とも呼ばれる。殻はやや丸みを帯びた三角形で、表面には細かな成長線が放射状に走っている。内湾の砂泥底に生息し、食用としても知られる。
ミズアオイ科の一年草で、沼地などに自生する。葉は心臓形をしており、夏から秋にかけて花茎を伸ばし、紫色の六弁花を咲かせる。「雨久花」という表記は漢名に由来するが、これは誤用とされる。別表記として「水葵」や「浮薔」とも書く。
時雨煮とは、蛤などの貝のむき身に生姜や山椒などの薬味を加えて甘辛く煮詰めた佃煮の一種である。名称は、晩秋から初冬にかけて降る通り雨「時雨」のように、食材に薬味が散らばっている様子に由来する。
催花雨とは、春に降る雨のことで、花の開花を促すように降ることからこの名がある。
米ぬかのように細かく、霧のように見える雨を指す。雨粒が非常に小さく、地面に落ちても跳ね返らず、しとしとと静かに降り続ける様子を表す。
ひじがさあめとは、急に降り出してすぐに止むような通り雨のことで、ひじを傘代わりにしてしのげる程度の小雨を指す。
旧雨今雨は、古くからの友人と新しく知り合った友人を併せて指す四字熟語である。中国の詩人杜甫の詩文に由来し、漢字の「雨」と「友」が音の上で通じることから、友人を洒落た表現で表したものである。
「揮汗成雨」は、汗を振るい落とすと雨のように降りかかるほどであるという意味から、非常に多くの人が集まり、にぎわっている様子を誇張して表現する四字熟語である。『戦国策』の「斉策」に由来し、人口の密集や繁華な光景を形容する際に用いられる。
磑風舂雨は、羽蟻の群れが石臼の周囲を回るように飛べば風が起こり、上下に飛べば雨が降るという古い言い伝えに由来する四字熟語で、自然現象の前兆を指す。転じて、物事が起こる前の兆候や前触れを意味する。
雲翻雨覆は、人の心や態度が雲や雨のようにめまぐるしく変わり、誠実さに欠け、移ろいやすい様子を表す四字熟語である。杜甫の詩「貧交行」に由来し、翻雲覆雨ともいう。
雲行雨施とは、空に雲が流れ雨が降り注ぎ、万物を潤す様子を表す四字熟語である。転じて、天子の恩恵が広く行き渡り、天下が太平であることの喩えとして用いられる。『易経』乾卦に由来し、「雲行き雨施す」と訓読する。
男女の情事を意味する四字熟語。中国戦国時代の楚の懐王が、夢の中で巫山の神女と契りを結んだという故事に由来する。別れ際に神女が「朝は雲となり、夕べは雨となって巫山に立ち込めましょう」と語ったと伝えられ、これに基づき「雲雨」は情交の隠喩として用いられるようになった。
雨霖鈴曲は、中国唐代の皇帝玄宗が楊貴妃を失った悲しみを詠んだとされる楽曲の題名である。『明皇雑録補遺』などの文献に記録される四字熟語で、雨の音や鈴の音を連想させる曲調から、深い哀愁や物悲しい情感を表現する際に用いられる。