微塵とは、極めて細かい塵や埃を指す。転じて、非常に小さなものやわずかな分量を表し、また微塵切りという調理法の略称としても用いられる。
生塵とは、台所から排出される野菜くずや食べ残しなど、水分を多く含む有機性の廃棄物を指す。
余塵とは、車馬や人の往来によって巻き上げられる土埃のことを指す。また、転じて先人たちが残した業績や影響、その遺風を意味し、後世の人々がそれに触れる様子を表す際にも用いられる。
風などによって舞い上がる細かい砂や土の粒子。また、それらが空中に立ち込めて視界を遮る現象を指す。車両の通行などによって巻き上げられる様子を「砂塵を巻き起こす」などと表現する。表記としては「砂塵」を用いることもある。
ちりやほこりが侵入したり堆積したりするのを防ぐこと。また、そのための対策や機能を指す。
俗世間のわずらわしい雑事や煩わしい人間関係を、塵にたとえていう語。世俗の煩累から離れられない状態を「俗塵にまみれる」などと表現する。
後塵とは、車馬が通った後に立ち上る土煙を指す。転じて、他者に先んじられて後れを取ることを意味し、先行する者に追従する様子を表す。
炭坑内の空気中に浮遊する微細な石炭の粉塵を指す。採掘や石炭の取り扱いの過程で発生し、坑内の空気を汚染するほか、場合によっては爆発の危険性も伴う。
砂塵とは、風によって巻き上げられた砂や細かい土埃のことを指す。空気中に舞い上がり、視界を遮ることもある。漢字では「沙塵」と表記する場合もある。
風塵とは、風に吹かれて舞い上がる塵や砂埃を指す。転じて、煩わしい世俗の雑事や、世間の騒がしい営みを喩える表現としても用いられる。また、極めて小さく軽いものの例えとして、例えば「身を風塵よりも軽んずる」といった言い回しにも見られる。さらに、戦乱や世の中が乱れた状態を意味することもある。
粉塵とは、粉のように細かく舞い上がる塵のことであり、特に石や石炭などが砕けて生じた微粒子が空気中に浮遊している状態を指す。この浮遊粉塵は大気汚染の原因となり、健康被害や環境問題を引き起こすことがある。
梁塵とは、屋根裏の梁に積もった塵のことを指す。また、優れた歌声や音楽の喩えとしても用いられ、その美しい響きが梁の塵を震わせて落とすほどであるという故事に由来する。
黄塵とは、風によって巻き上げられた黄色い土埃のことであり、空が霞んで見えるほどの広がりを指す。また、春先に中国大陸から飛来する黄砂と同義で用いられることもある。
戦場に立ち上る砂塵や土煙を指し、転じて戦場そのものや戦乱の騒がしい様子を表す。戦いの場を避けるという意味で「戦塵を避ける」などの表現に用いられる。
煙塵とは、煙と塵埃を指す語であり、特に煙突から立ち上る煙に混じる微細な塵や煤を意味する。また、兵馬の往来によって巻き上がる砂煙の意から転じて、戦乱の様相を喩える表現としても用いられる。
蒙塵とは、天子や国王などが戦乱や政変などの変事に際し、難を避けて都を離れ、他地に逃れることを指す。外界に出て塵をかぶるという原義に基づく表現である。
塵肺は、粉塵を長期間吸入することによって生じる職業性の肺疾患であり、肺組織に繊維性の変化が起こることで、息切れや呼吸困難などの症状を呈する。
塵紙は、鼻をかんだり拭いたりするために用いる紙や、便所で用いる紙を指す。また、楮の外皮の屑などで作られた粗末な紙を指すこともある。
俗世間の煩わしさから遠く離れた、清らかで静かな境地を指す。
塵とあかという意味から転じて、世俗の煩わしさやけがれを指す。また「じんく」とも読む。
ミジンコ科に属する微小な甲殻類で、主に池や沼などの淡水に生息する。体は卵形で半透明、体長は約一から三ミリメートル程度である。魚類の重要な餌料となることから水産上でも知られ、「水蚤」の表記も用いられる。
浮塵子はウンカ科の昆虫の総称で、体長約五ミリメートルと小さく、セミに似た姿をしている。大群をなして飛び、その様子が秋の雲霞のように見えることからこの名がついた。イネやムギなどの農作物を食害する害虫として知られる。
塵芥虫はゴミムシ科に属する甲虫の総称で、体は長楕円形をしており、多くは光沢のある黒色をしています。その名の通り、ごみの下などに生息することからこの呼び名がつきました。また、「歩行虫」や「芥虫」と表記されることもあります。
塵手水とは、手を清める水がない場合に、空中の塵をこねるような仕草で手を洗う真似をすることを指す。また、相撲の作法の一つとして、土俵上で力士が取組前に蹲踞の姿勢で両手をすり合わせ、拍手を一度打った後、手のひらを返しながら左右に広げる動作を意味する。
遠塵離垢とは、仏教用語で煩悩や迷いの世界から離れ、清浄な悟りの境地に至ることを意味する。文字通りには「塵(ちり)を遠ざけ垢(あか)を離れる」と解され、心身のけがれを払い、真理を体得した状態を表す。
一塵不染は、わずかな塵一つもつかないほど清らかな様子を表す。仏教では世俗の煩悩や欲望にまったく染まらない清浄な心境を喩え、転じて、官吏などが私欲なく清廉潔白であることを指す。
鏤塵吹影は、塵を刻み影を吹くという意味の四字熟語で、『関尹子』に由来する。実体のないものや実現不可能なことに労力を費やす愚かさを喩え、無駄な努力や空しい行為を指して用いられる。
奔逸絶塵は、『荘子』田子方篇に由来する四字熟語で、奔馬が疾走して塵を絶つ様子から、他者の追随を許さぬほどに抜きん出て優れていること、あるいは物事が急速に進展して止められないことを意味する。
「望塵之拝」は、晋書の藩岳伝に由来する四字熟語で、権力者や目上の人に対して、その車の通った後に立つ塵を拝むように、ひれ伏して敬意を表すことを意味します。転じて、権勢のある者にへつらい従う卑屈な態度を指すこともあります。
東海揚塵とは、東海が干上がって塵が舞うほどに、世の中が大きく変わることを意味する。『神仙伝』に登場する麻姑が、自分は三度も東海が桑田に変わるのを見たと語った故事に由来し、長い年月を経て世の中が激しく移り変わる様子を表す四字熟語である。