肉眼で直接見ることができる状態や性質を指す。光線や物体などが視覚によって認識可能であることを表し、不可視の対義語として用いられる。
正面からまっすぐに見ること。また、物事をありのままに直視することを指す。
上方を見上げること。特に、空や高い所にあるものを見る場合に用いる。
角膜や水晶体の屈折面が歪んでいるために、外界からの光線が網膜上で一点に集束せず、物の輪郭がぼやけたり二重に見えたりする状態を指す。また、そのような状態にある目のこともいう。
明視とは、物体がはっきりと見える状態を指し、特に眼が焦点を合わせられる最短距離である明視距離を表す際に用いられる。通常、成人の明視距離は約25センチメートルとされる。
注視とは、対象をじっと見つめることを指す。視線を一点に集中させて注意深く観察する行為であり、周囲の注目を集める状況下で行われることも多い。
他人に気づかれないように、ひそかに様子をうかがったり見たりすることを指す。
ある物事を特に大切なものとして扱い、それに重点を置いて考えること。また、その価値や重要性を認めて、注意を向ける態度を指す。対義語は「軽視」である。
座視とは、目の前で起こっている事態をただ見ているだけで、何の手も打たずに放置することを指す。特に、介入すべき状況であるにもかかわらず、傍観者の立場をとる様子をいう。「坐視」と書くこともある。
弱視とは、眼鏡やコンタクトレンズによる矯正では十分な視力が得られない状態を指し、そのような視覚機能の低下した目のこともいう。
憎しみや敵意を込めて鋭く見つめること。相手を睨みつけるような強い視線を意味する。
斜視とは、眼筋の不均衡や神経の障害などにより、片方の目の視線が目標物からずれている状態を指す。両眼が同じ方向を向かず、ものが二重に見えたり、立体感の把握が困難になったりすることがある。俗に「やぶにらみ」とも呼ばれる。
視学とは、かつての教育制度において、学校の教育状況を視察し指導する役割を担った地方官、あるいはその職務に就く者を指す。
物事を認識し考察する際の立場や姿勢を指し、どのような角度から対象を捉えるかを示す概念である。視点や観点と類似するが、より基盤となる思考の枠組みや価値観に重きを置く傾向がある。
実際に現地へ赴き、状況や様子を直接見て確かめること。特に、行政機関や企業の担当者が業務の実態を把握するために行うものを指す。
視点とは、物事を見たり考えたりする際の立場や角度を指す。また、視線が向けられている場所や、絵画における遠近法で視線が収束する仮想の一点を意味することもある。
視角とは、目と見ている物体の両端を結ぶ二本の線が成す角度を指す。また、物事を見る立場や考え方という意味でも用いられ、視点や視座と同様に、観察や思考の方向性を示す表現として使われる。
視覚とは、光の刺激を受けて外界の事物を認識する感覚機能を指す。眼球を通して得られた情報が神経を経由して脳に伝達され、形や色、動きなどを知覚する働きである。
検視とは、事件や事故などの現場において、状況を詳細に観察し、事実関係を明らかにするために行われる調査を指す。特に、死体の状況を調べて死因や身元を確認する「検屍」と同義として用いられることもある。
軽視とは、物事や人物を重要でないものとみなし、軽く扱うことを指す。その価値や影響力を過小評価し、十分な注意や配慮を払わない態度を表す。
他人の優れた点や幸せを妬み、敵意や憎しみを込めて見つめることを指す。
熟視とは、対象をじっと見つめることを指す。視線をそらさずに注意深く観察する様子を表し、相手の表情や物事の細部まで凝視する行為をいう。
監視とは、対象となる人物や状況を注意深く観察し、その動向や変化を見守る行為を指す。特に、不審な行動や危険な兆候を見逃さないよう警戒しながら見張ることを意味し、必要に応じて監視を行う者そのものを指す場合もある。
黙って見ていることを指し、特に何らかの行動を起こさずに傍観する様子を表す。他人の困難や問題を目の当たりにしながらも、敢えて介入したり手助けしたりしない態度を示す。
凝視とは、一点をじっと見つめることを指し、対象を注意深く観察する様子を表す。視線を動かさずに集中して見る行為であり、熟視に近い意味を持つ。
国会において、議場内の警備や秩序維持、監視などの職務に従事する職員を指す。
周囲を取り囲むように多くの人々が見つめている状況を指し、大勢の注目が集まっている状態を表す。
聴視とは、音を聞くことと物を見ることを併せた行為を指す。特にテレビ番組などにおいて、視聴者が内容を聞きかつ見ることを意味し、「聴視者参加番組」などの表現で用いられる。
目を細めて物事を見つめる様子を指し、あるいはちらりと横目で見ることを意味する。
高い所から見下ろすように眺めることを指し、特に広い範囲を一望するような視点を表す。
相手を軽んじて見下すことを意味し、その価値や能力を認めずに侮る態度を指します。
目を上げて見ること。また、そのような目つきを指す。
視覚と聴覚の両方を指し、光の刺激によって生じる感覚と音の刺激によって生じる感覚を総称する。特に教育や教材において、両方の感覚を活用する方法や分野を表す際に用いられる。
煙視媚行は、目を細めてゆっくりと歩く様子を表す四字熟語で、特に新婦を迎える新郎の喜びに満ちた姿を形容する。『呂氏春秋』に典拠があり、「煙視」は煙の中でものを見るように目を細めること、「媚行」は優美に緩やかに歩くことを意味する。
一視同仁とは、人を差別することなく、すべての人を平等に見て、同じ慈しみの心をもって接することを意味する四字熟語である。「仁」は思いやりの心を表し、唐代の韓愈の「原人」に由来する。
狼貪虎視は、狼のように貪欲で虎のように鋭い目つきで狙う様子を表す四字熟語である。強い野心を持ち、機会をうかがいながら利益や権力を貪ろうとする態度を指す。
竜驤虎視は、竜が天に昇るように勢いよく躍り上がり、虎が獲物を狙うように鋭く見据える様子を表す。天下に権威を振るい、覇権を狙う強大な勢力や人物の威容を形容する四字熟語である。典拠は『三国志』蜀志の諸葛亮伝に求められる。
等量斉視とは、すべての人を差別することなく平等に扱うことを意味する四字熟語である。「等」も「斉」も等しいことを表し、人々を公平に量り、公平に見るという考え方を示している。
同仁一視とは、すべての人を差別することなく平等に扱うことを意味する四字熟語である。唐代の文人・韓愈の「原人」に由来し、人々を分け隔てなく同じ目で見るべきであるという思想を表している。
順逆一視とは、順境と逆境を区別せずに同じように見なすことを意味する四字熟語である。物事が思い通りに進む順境も、困難に直面する逆境も、ともに人生の一部として等しく受け止め、一つの視点から冷静に観察する態度を表す。この考え方は、『菜根譚』に示されるような、変転する境遇に動じない達観した心境を指す。