久離とは、江戸時代において、連帯責任を負う親族に迷惑をかける素行不良の子弟との縁を絶つことを指す。勘当に相当する行為であり、「久離を切る」のように用いられる。表記は「旧離」と書くこともある。
久遠とは、時間の流れが果てしなく続き、その始まりも終わりも見極めがたいほど長遠な様を指す。永遠や永久と同義に用いられ、限りない時間の広がりを表現する語である。
長い間隔を置いている様子を表し、何かが久しぶりに起こったり経験されたりすることを示す。
永久とは、時間の経過に限りがなく、いつまでも続き変わらないことを指す。例えば「永久の眠り」のように、永遠や永劫、悠久といった語と同様の概念を表し、「とわ」や「とこしえ」とも読まれる。
永久(とわ)とは、時間の経過によっても変化せず、いつまでも続く状態を指す。主に「永久の誓い」「永久の別れ」などの表現で用いられ、永遠やとこしえと同義である。また、この語は「えいきゅう」とも読まれる。
長く久しいさま。物事が変わることなく、いつまでも続くことを指す。
恒久とは、長い時間にわたって変わらず続く様子を指す。時間の経過にもかかわらず状態や性質が持続し、永続性を帯びていることを表す。
長期間にわたり使用や負荷に耐え、その機能や状態を維持すること。特に機械や構造物、あるいは人体などが時間の経過や繰り返しの使用にも耐える性質を指す。
悠久とは、果てしなく長い時間が連なり続ける様を表す。歴史や伝統が途切れることなく続いてきたことを示し、特に古い都や文化に対して用いられることが多い。
長い年月にわたって続くさまを表す。特に「曠日弥久」という成句で、無為に長い時間を費やすことを指す。
久闊とは、長い間互いに会わずにいること、あるいは長らく音信が途絶えている状態を指す。「闊」は隔たりや間が空いていることを意味し、久しい時間の隔たりを表す語である。
ミズアオイ科の一年草で、沼地などに自生する。葉は心臓形をしており、夏から秋にかけて花茎を伸ばし、紫色の六弁花を咲かせる。漢名の「雨久花」は誤って用いられた表記であり、「水葵」や「浮薔」とも書かれる。
永久不変とは、いつまでも変わらないこと、あるいは永遠に変化しない状態を指す四字熟語である。
武運長久とは、戦場における幸運が末永く続くことを願う言葉である。武運は戦いの行方を左右する運勢、あるいは武人としての命運を指し、これが長く持続することを意味する。主に出征する兵士や武者に対して、その無事と勝利を祈念して用いられる。
長生久視とは、長く生き永らえることを意味する四字熟語である。『老子』に由来し、「長生」は長命を指し、「久視」は長くこの世を見つめる、すなわち長く生存することを表す。ここでの「視」は生きることと同義と解されることもある。
耐久之朋とは、長い年月を経ても変わらぬ友情を表す四字熟語である。『旧唐書』魏玄同伝に由来し、時間の試練に耐えうる堅固な親交を指す。
多くの月日を無駄に費やし、事態が長引くことを指す。時間を空費して物事がなかなか進まず、徒に時が過ぎていく様子を表す。
長い年月をかけて物事を引き延ばし、長く持ちこたえることを意味する。特に戦争や交渉などにおいて、無益に時間を費やして長引かせる様子を指す。『戦国策』趙策に由来する四字熟語である。