支弁とは、金銭を支払うことを指す。特に、費用や報酬などを立て替えたり、負担したりする場合に用いられる表現である。
代弁とは、ある人物に代わって意見や主張を述べることを指す。また、その人物に代わって金銭の弁償や支払いを行う意味や、代わりに物事を取り扱い処理するという意味でも用いられる。
弁士とは、弁舌に優れた人物を指す。特に演壇に立って演説や講演を行う者をいう。また、無声映画の興行において、画面の展開を説明し、登場人物の台詞を語る役割を担った活動弁士(活弁)のことも指す。
弁明とは、自分の言動や立場について説明を加え、その正当性や真意を相手に理解させようとする行為を指す。また、物事の内容や理由を明らかにして説明するという意味も含まれる。
弁理とは、物事の本質や差異を見極め、適切に処理することを指す。
物事の理非や善悪を明らかにし、筋道を立てて説明すること。また、その説明の内容を指すこともある。
自分の言動や立場について、その正当性や理由を説明して理解を求めること。特に、非難や誤解を受けた際に、自身の意図や事情を述べて釈明する行為を指す。
弁巧とは、言葉遣いが巧みで、話しぶりが上手な様子を指す。口先が達者で、相手を巧みに説得したり、その気にさせたりするような話術に長けていることを表す。
弁難とは、相手の言動や主張に対し、様々な観点から理屈を立てて非難し、論破しようとする行為を指す。議論の場において、論敵の矛盾点や欠点を指摘し、言い詰めることを意味する。
弁才とは、弁舌の才知を指し、物事を巧みに説き明かす能力をいう。時に、その巧みな話術を用いて人を惑わすような場合にも用いられる。
複数の出資者が資本を拠出し、共同で事業を経営する形態を指す。特に、異なる国や企業が資金や技術を持ち寄って設立する会社などに用いられる。
多弁とは、口数が多くよくしゃべる様子を指す。話すことが多く、饒舌な性質を表し、対義語として寡黙が挙げられる。
自弁とは、自分自身で費用を負担することを指す。特に、食事や交通費など、通常は他者が負担する可能性のある経費を、個人が支払う場合に用いられる表現である。
抗弁とは、相手の主張に対して反論を述べることである。一般には、相手の意見や批判に対抗して自説を主張する行為を指す。また、法律用語としては、民事訴訟において被告が原告の訴えを退けるために提出する反対の主張を意味し、権利として行使される。
花弁は、花びらを指す言葉で、特に花冠を構成する一枚一枚の部分を表します。植物学においては、花の主要な器官の一つであり、その色や形は種によって多様で、昆虫などを引き寄せる役割を果たします。
武弁とは、武士や武官を指す語である。その由来は、武官が用いた冠(かんむり)にあり、そこから転じて武士そのものや武家を意味するようになった。
活弁とは、無声映画の時代に活動写真弁士を略した言葉で、スクリーンに映し出される映像に合わせて台詞を代弁したり、場面の説明を加えたりする役割を担った人を指します。
話し方が巧みで、流暢に物事を述べることができる様子。また、そのような話しぶりの人を指すこともある。
勘弁とは、相手の過ちや不当な要求などを大目に見て許すことを意味する。漢字の「弁」は物事の道理をわきまえる意を含み、そこから寛大な心で許容する態度を表す。
道理に合わないことを無理に正当化しようとして、こじつけた理屈を述べること。
陳弁とは、自身の行動や立場について説明を加え、理解を求める行為を指す。特に、非難や疑いを受けた際に、その正当性を主張する弁明や言い訳の意を含む。
買弁とは、かつて中国において外国との貿易取引を仲介した業者を指す。転じて、外国資本の利益を代弁し、私利を図る行為や、そのような人物を意味するようになった。
達弁とは、言葉が流暢で淀みなく、弁舌に優れた様を指す。話し方が達者で、巧みに議論を展開する能力を表し、時に雄弁と対比される。
雄弁とは、言葉を流暢に操り、理路整然と堂々と話す能力を指す。単に話し上手であるだけでなく、その内容に説得力があり、聞く者を納得させる力を持つ表現をいう。時に「雄弁は銀、沈黙は金」と対比され、言葉の力と共に沈黙の価値をも示唆する表現として用いられる。
腰に弁当を提げて出勤することを指し、転じてそのような弁当自体や、毎日弁当を持参して働く低賃金の勤め人を意味する。
駄弁とは、取るに足らない内容の会話や、無益なおしゃべりのことを指す。生産性や深みに欠け、単に時間を浪費するような言説を意味し、しばしば「駄弁を弄する」などの形で用いられる。
熱のこもった弁舌を奮うことで、激しい情熱や強い信念を込めて語る様子を指す。
花弁とは、花冠を構成する個々の部分を指す。萼の内側に位置し、通常は目立つ色や形をしており、雌しべや雄しべを保護する役割を果たすとともに、受粉を助ける昆虫などを引き寄せる働きもある。
弁疏とは、自身の行動や立場について説明を加え、誤解や非難を解こうとする言葉を指す。言い訳や弁明と同様の意味を持つが、特に事態を釈明し理解を求める際に用いられる表現である。
道理をわきまえた知恵や思慮分別を備えていることを指し、また弁舌に優れ、機転の利く様子を表す。
佞弁とは、口先が巧みで道理に合わないことを言い、人に媚びへつらうような弁舌を指す。また、そのような言葉そのものも意味する。
訥弁とは、言葉が滑らかに出ず、つかえがちな話し方を指す。口下手で、弁舌が巧みでない様子を表し、時に実直な人柄を連想させる表現として用いられる。
家の中では威勢がよく強い態度を取るが、外に出ると気弱でおとなしくなる性質、またそのような人を指す。家庭内と外部での態度の対照が特徴である。
弁財天は音楽や知恵、財福を司る女神で、琵琶を弾く姿で表される。七福神の一尊として広く信仰されており、弁天とも呼ばれる。その起源はインドの河川の神にあり、後に日本において吉祥天と習合したとされる。
弁理士とは、特許や実用新案、意匠、商標などの産業財産権に関して、特許庁への出願手続きの代理や、それらに関する鑑定業務を職業とする国家資格者を指す。
合弁花とは、花弁が互いに合着して一つの構造を形成している花を指す。アサガオやキクなどがその例であり、花冠が筒状や唇形になる特徴を持つ。これに対し、花弁が独立しているものは離弁花と呼ばれる。
陰弁慶とは、家庭内や身内に対しては威勢がよく強がりを見せるものの、外の世界や他人の前では極端に弱気で意気地のない様を指す。内弁慶と同義である。
花弁が基部から互いに離れて独立している花を指す。サクラやツバキ、アブラナなどがその例であり、花冠の形態によって分類される植物学用語である。対義語は合弁花。
米塩博弁とは、米や塩のように細かな事柄まで広く詳しく論じることを指す。議論が多方面に及び、詳細を極める様を表し、時に些末な事をくどくどと述べるという含みも持つ。『韓非子』「説難」に由来する四字熟語である。
蘇張之弁とは、『史記』の「孟子伝」に由来する四字熟語で、戦国時代の縦横家である蘇秦と張儀の弁舌を指します。この二人はその優れた話術と論理で諸国を説き、時代を動かしたことから、非常に巧みで人を納得させる弁論や交渉術のたとえとして用いられます。
「嗇夫口弁」は、『史記』「張釈之伝」に見える四字熟語で、下級役人である嗇夫が弁舌に長け、口先だけで事を処理する様を指す。転じて、実質を伴わず口先だけが巧みなこと、またはそのような人物を意味する。
饒舌多弁とは、口数が多く、よくしゃべる様子を表す四字熟語である。「饒舌」はおしゃべりなこと、「多弁」は言葉数が多いことを意味し、合わせて過剰に喋り立てるさまを指す。
弁舌が優れて素早く、物事の機微を鋭く捉える様子を指す。『史記』殷本紀に由来する四字熟語で、才知に富み機転が利く人物の弁舌の冴えを形容する表現である。
自己弁護とは、自らの言動や立場を正当化するために行う弁明や主張を指す。特に、他者からの批判や非難に対して、自己の正当性を主張する際に用いられる表現である。
高談雄弁とは、気勢をあげて盛んに議論をたたかわせる様子を指す。高い調子で意気盛んに論じ、雄々しく弁舌をふるうことを意味し、主に学識や見識に裏打ちされた力強い談論を形容する際に用いられる。
懸河の弁とは、流れ落ちる滝のように淀みなく滑らかで、勢いよく流れる弁舌の様子を表す四字熟語である。立て板に水を流すが如き雄弁さを形容し、議論や説明が極めて流暢で、途切れることなく続く様を指す。