下問とは、目上の者が目下の者に質問することを指す。また、他人から受けた質問を謙遜して言う場合にも用いられ、この際には「御下問」の形をとることが多い。
不問とは、ある事柄を特に問題視せず、取り立てて追求しないことを意味する。例えば、採用条件において特定の要素を考慮しない場合や、過去の経歴を追及しない場合などに用いられる表現である。
死者を悼み、遺族を慰めるために、その家を訪れることを指す。
人の安否を尋ね、労わることを指す。特に病気や災難に遭った人を訪ねて、様子を伺い、慰めの言葉をかける行為をいう。
事件や問題に関わる者を呼び出し、事情を詳しく尋ねて真相を明らかにしようとする手続きを指す。
罪状や過失について厳しく問いただし、取り調べることを指す。特に、裁判や尋問の場面において、責任を追及する行為を意味する。
禅宗の寺院において、説法を行う者に対して参禅者が発する質問を指す。
問屋とは、生産者や製造業者から商品を一括して仕入れ、それを小売店や他の販売業者に対して販売することを業とする商人、またはその営業組織を指す。卸売業者とも呼ばれ、商品流通の中間段階を担う。
罪を問いただすことを意味する。特に、他国の罪状を追及して責め立てる場合や、軍事力を背景に制裁を加えるような文脈で用いられる。
解答を必要とする問いや課題を指す。また、解決すべき事柄や、議論や関心を集める事態、さらには面倒な出来事や争いの種となるような事件を意味する。
問うことと答えること、またそのやりとりを指す。特に禅宗において師匠と弟子が公案について交わす対話を意味し、より広くはある問題について議論し合うことも含む。
人をたずねてその家や場所を訪れること。特に、敬意や儀礼を伴って人に会いに行く場合に用いられる。
試験や調査などにおいて解答を求めるために提示される問題のこと。また、そのような問題を作成する行為も指す。
愚問とは、考えが浅く無意味な質問を指す。物事の本質を捉えられていないため、答える価値に乏しいか、あるいは愚かな回答を招くような類の問いをいう。
厳しく問いただして責めること。相手の過失や不明な点について、強い調子で追及する様子を指す。
試問とは、学力や知識を試すために行われる試験の一種であり、特に口頭で質問を投げかけ、それに対する答えを通じて能力を評価する方法を指す。
疑いを抱く事柄、あるいは理解が不十分で明確でない事柄を指す。物事の真偽や内容について確信が持てず、問いを生じさせるような対象を表す。
審問とは、事実関係を明らかにするために詳しく問いただすことを指す。特に裁判手続きにおいては、裁判所が当事者や証人などに対し、事件に関する事情を厳密に尋ねる審理行為を意味する。
病人や被災者など、困難な状況にある人々を訪ね、励ましやいたわりの気持ちを伝えることを指す。例えば、老人ホームや病院を訪問して、安否を気遣い、慰めの言葉をかける行為をいう。
不明な点や疑問に思うことを相手に尋ねる行為を指す。また、その内容自体を指すこともある。
解決が困難な質問や問題を指す。特に学問や実務において、複雑な要素が絡み合い容易に答えの出せない事柄に用いられる。
借問とは、試みに尋ねてみること、あるいは軽く質問を投げかけることを指す。相手に問いかける際の控えめな姿勢を表す表現であり、また「シャクモン」と読まれることもある。
尋問と同義で、裁判官や警察官などが取り調べの際に相手に質問を発し、事情を聞き出すことを指す。
問訊とは、尋ねて明らかにすることを指し、特に取り調べや詮議の意味で用いられる。また、行き詰まってどうしようもなくなり、降参する様子を表すこともある。
聘問とは、古代中国において諸侯が使者を他国に派遣し、礼儀として贈り物を携えて訪問する外交儀礼を指す。
鞠問とは、罪状を厳しく問いただすことを指す。特に取り調べの過程で、被疑者に対して詳細に尋ね、事実関係を明らかにしようとする行為をいう。
禅問答とは、禅宗において修行僧と師家が問答を通じて仏法の真髄を究める修行法を指す。転じて、日常会話において互いの意図が噛み合わず、理解しがたい難解なやりとりを喩える表現としても用いられる。
記問之学とは、書物の文句を暗記するだけで深い理解や応用に至らない学問のあり方を指す。『礼記』学記篇に由来し、自らの思索を伴わず知識を蓄えるのみの学びを批判する言葉である。
一問一答とは、一人が質問を発し、それに対して相手が答えるという形式を繰り返すことを指す四字熟語である。主に問答が交互に行われる対話の様式や、そのような形式による議論・教授法などを表す。古典では『春秋左氏伝』の序の疏に由来する。
「問柳尋花」は、春の景色を楽しみながら花や柳をめぐり歩く風流な遊びを指す。転じて、遊里に通って遊興にふけることを意味する。杜甫の詩に由来する四字熟語である。
問答無益とは、議論や問答をしても何の益もなく、無駄であることを意味する。物事の本質が既に明らかで、これ以上話し合う必要がない場合や、議論しても解決に至らない状況を指して用いられる。
『春秋左氏伝』宣公三年に由来する故事成語で、周王室の権威を象徴する九鼎の重さを尋ねるという行為から、権力や地位を奪おうとする野心を露わにすることを意味する。転じて、ある分野で頂点を極めようとする意図や、他者の地位を脅かすような言動を指す。
迷者不問とは、道に迷う者は人に道を尋ねようとしないという意味から、物事が分からない時には進んで人に教えを請うべきであるという教訓を表す四字熟語である。『荀子』大略篇に由来し、迷える者は自ら進んで道を問わないという故事を略した表現である。