血清とは、血液が凝固した際に上澄みとして分離する、黄色味を帯びた透明な液体成分を指す。この液体には抗体やタンパク質が含まれており、医療分野では血清療法などの治療に用いられる。
清器は持ち運び可能な便器を指し、おまるとも呼ばれる。主に幼児や病人の用便に用いられる。「御厠」とも表記する。
清箱(しのはこ)は、主に便器やおまるを指す語で、特に大きな壺状のものを意味する。古くは「尿の箱」とも表記された。
地下から湧き出る清らかで澄んだ水を指す。特に夏の季語として用いられる。また、「せいすい」と読む場合もある。
清白(すずしろ)はダイコンの古称であり、春の七草の一つとして知られる。新年の七草粥に用いられ、「蘿蔔」と表記されることもある。
清汁(すましじる)は、澄んだだし汁に醬油や塩で薄味に調え、透明感を保った吸い物を指す。主に懐石料理などで提供され、「おすまし」とも呼ばれる。漢字では「澄まし汁」と表記することもある。
清く栄えることを意味し、主に書簡において相手の健康と繁栄を喜び祝う挨拶の言葉として用いられる。
清祥は、主に書簡において相手の安寧や幸福を喜び祝う挨拶の言葉として用いられる。相手が健やかで幸せに過ごされている様子を推察し、それを慶ぶ気持ちを表す表現であり、「ご清祥のことと存じます」などの形で使われる。
世俗の煩わしさから離れ、静かでのんびりとしている様子。また、そのような状態や場所を指す。
清勝は、主に手紙や挨拶状において、相手が健康で安らかに過ごされている様子を喜び祝う挨拶の言葉として用いられます。相手の健やかな暮らしぶりを推察し、敬意を込めて言い表す表現です。
清らかで風変わりな趣があること。また、そのさま。普通とは異なる新鮮さや珍しさを感じさせる様子を指す。
清らかで混じり気のない状態を指し、特に心に私欲や邪念がなく澄み渡っている様子を表す。
清らかでさわやかな様子を表し、特に空気や風、気分などがすがすがしく心地よい状態を指す。
清らかで汚れがなく、飾り気のない様子を指す。特に若い女性の純真で無垢な心のありようや、それに伴う可憐な印象を表す際に用いられる。
下書きや習字の練習など、一度書かれたものを、改めて整った字で丁寧に書き直すことを指す。また、そのようにして仕上げられた書き物そのものもいう。
清らかで澄み切っているさまを指し、特に空気や水、光などが混じりけなく透明である状態を表す。心や雰囲気が穢れなく明るく晴れやかな様子にも用いられる。
清覧は、手紙や文書において、相手が目を通されることを敬って言う語で、「ご清覧を仰ぐ」などの形で用いられる。高覧と同様の敬意を表す表現である。
清聴とは、自分の話を相手が聞いてくれることを敬って言う言葉で、講演や挨拶などの場面で用いられます。例えば、話の終わりに感謝の意を込めて「ご清聴ありがとうございました」と述べるように、聴衆の注意深い傾聴に対して敬意を表する表現です。
清適とは、心身が清らかで爽やかであり、安らかな状態を指す。主に手紙文において、相手の無事や健康を喜び祝う挨拶として用いられる表現である。
清福とは、心が清らかで安らかな幸福を指す。また、手紙などで相手の安泰と幸せを丁寧に祈る挨拶語としても用いられ、「ご清福をお祈り申し上げます」などの形で使われる。
空気や天候が澄み渡り、さわやかで心地よい様子を指す。特に空がよく晴れて明るく、すがすがしい気分をもたらす状態を表す。
清らかに晴れ渡った夜を指し、空気が澄みわたり、涼やかな風が心地よい静かな夜の情景を表す。
これまでに蓄積された不正や有害な要素を除去し、状態を清浄なものにすること。特に組織や社会から不要なものを一掃することを指し、粛清と同義で用いられる。漢字表記としては「廓清」とも書く。
清らかで明るい日の光を指す。特に澄み渡った空に満ちるような、穏やかで美しい光の様子を表す。
清らかで澄み渡った朝の様子を指し、空気が爽やかで心地よい早朝の時間帯を表す。
清らかで心地よい音を指し、特に風が木々の間を吹き抜ける際に生じる、さわやかな響きを表す。深山幽谷など自然の静寂の中で耳にする、澄み切った風の音を形容する語である。
清冽とは、水や空気などが冷たく澄み切って清らかな様子を表す。特に、厳しい冷たさを伴いながらも清澄であることを示し、湧き水や冬の大気などに用いられる。
清らかでおだやかなさまを表す。また、手紙において相手の安寧や幸福を丁寧に祝う挨拶語として用いられる。
清遊とは、世俗の雑事を離れて自然の風趣を楽しむ風流な遊びを指す。また、書簡においては相手の旅行や行楽を敬って用いる表現でもある。
不正や汚れを取り除き、清らかな状態にすること。特に組織や社会における腐敗を一掃して健全化することを指す。「郭清」とも書く。
岩の間から湧き出る清らかな水を指し、特に夏の時期に冷たく感じられるものをいう。
山の険しい崖や岩場から湧き出て流れる清らかな水を指し、特に夏の情景を連想させる表現である。
六根清浄とは、仏教において人間が迷いを生じさせる根源とされる六つの感覚器官、すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意のすべてから煩悩が離れ、清らかで穢れのない境地に至ることを意味する四字熟語である。
「揚清激濁」は、清らかな水を湧き上がらせて濁った水を打ち砕くという原義から転じて、善人や善行を表彰し、悪人や悪事を厳しく取り締まって排除することを意味する四字熟語である。『抱朴子』外篇に典拠を持つ。
明月清樽は、澄み渡った月と清らかな酒を意味する四字熟語で、風雅な宴や詩情豊かな情景を表します。唐代の詩人皇甫冉の「曽山送別」に由来し、清らかな月明かりの下で酒杯を交わす風流な雰囲気を詠んだものです。
百年河清とは、黄河の濁った水が澄むのを待つように、いくら長く待っても実現する見込みのないことを指す。『春秋左氏伝』に由来する「百年河清を俟つ」の略で、到底成就しがたい望みを抱き続ける愚かさや、はかない期待を長く抱くことを喩える表現である。
「内清外濁」とは、心の内側は清らかな高潔さを保ちつつ、外面は世間の濁りに合わせて振る舞うことを指す。乱世など危険な状況において、身を守りながら生き延びるための処世術として用いられる表現である。
雪裏清香は梅の異称で、雪が降り積もる中でも他の花が姿を隠す時期に、ただ梅だけが清らかな香りを漂わせる様子を表す。
清廉潔白とは、心や行いが清らかで正しく、私利私欲や不正な行いなど、後ろ暗いところが一切ない様子を指す。清廉は心が清く正しく、利欲に動かされないことを意味し、潔白は心や行為が清く汚れのないことを表す。