赤貧とは、極度に貧しい状態を指し、生活に必要な最低限のものすら欠くような困窮の境遇を表す。
血液中の赤血球数やヘモグロビン濃度が正常値以下に減少した状態を指し、全身の組織への酸素供給が不足することで、めまいや倦怠感、蒼白などの症状を呈することがある。
内容や中身が十分でなく、必要とされるものが備わっていない様子を指す。また、見た目が頼りなく、力強さに欠ける様子についても用いられる。
極貧とは、貧しさの極みに達した状態を指し、生活に必要な最低限のものすら満足に得られないほど困窮している様を表す。赤貧とも言い換えられる。
貧窶とは、貧しさのために心身が疲れ果て、やつれ衰える様子を指す。
素寒貧とは、極めて貧しく、所持金が全くない状態を指す。また、そのような境遇にある人を表すこともある。「素寒貧」という表記は当て字であり、無一文であることを強調する表現として用いられる。
貴賤貧富とは、身分の高い者と低い者、貧しい者と富める者という、社会における人々の地位や経済状態の違いを総称する四字熟語である。
貧しい家庭に育った子供は、親の苦労を身近に感じるためか、自然と孝行心が育まれやすいという意味の故事成語。
一貧一富とは、貧しい状態と富んだ状態が交互に訪れることを意味する四字熟語である。『史記』「汲鄭伝」に由来し、人の境遇や財産が安定せず、浮き沈みの激しい様を表す。
貧しい者が真心を込めて仏前に捧げる一つの灯明は、富める者が捧げる多くの灯明よりも尊いという意味で、真心の尊さを説くたとえ。出典は『阿闍世王受決経』にある。
貧窮福田とは、仏教用語で、貧しい人々に施しを行うことが大きな功徳を積むことにつながるという考え方を表す四字熟語です。『優婆塞戒経』に説かれるように、困窮している者を助ける行為そのものが、福徳を生み出す田(はたけ)のようなものであるとされています。
赤貧如洗とは、極度に貧しく、洗い流されたように何も所有していない状態を表す四字熟語である。文字通り、赤貧とは全くの無一物を意味し、如洗は洗い清めたように何も残っていない様子を喩えている。
器用貧乏とは、多芸多才であるがゆえに、かえって一つのことに専念できず、他人から様々な仕事を頼まれて利用され、結局は自身のためにならず、不利益を被る状態を指す。