商店において客を装い、隙を見て商品を盗む行為を指す。また、そのような行為を行う者を指すこともある。
友引とは、六曜の一つで、勝負がつかない日とされる。この日は、もともと陰陽道で凶事が友人に及ぶとされる方角の意味と混同され、さらに「友を引く」という俗解から、葬儀などを避ける習慣が生じた。
仏教において、人々を仏の教えへと導くことを指す。また、葬儀の際に僧侶が死者の成仏を願って経文を唱え、その魂を浄土へと導く儀式を意味する。
引喩とは、故事やことわざ、古人の言葉などを引き合いに出して、自らの主張や表現に深みや説得力を持たせる修辞法のことを指します。
他人の文章や言葉を、自分の著作や発言の中に取り入れて用いることを指す。出典を明示しつつ、他者の表現や考え方を借りて自らの論を補強したり、権威づけたりする行為をいう。
手引とは、物事のやり方を教えたり、道案内をしたりする行為を指す。また、そのような指導を行うための入門書や説明書の意味でも用いられる。さらに、人と人との間を取り持つ縁故やつてという意味も持つ。
水引は、こよりに糊を付けて乾燥させ固めたもので、中央から染め分けてあり、贈答品の包み紙を結ぶのに用いられる。慶事には紅白や金銀、弔事には黒白の色を用いる慣習がある。また、タデ科の多年草を指すこともあり、林野に自生し、秋に鞭のような細長い花穂をつける。花弁はなく、四つの萼のうち上部三つが赤く下部一つが白いため、上から見ると赤く、下から見ると白く見えるその様子を、飾り結びの水引に見立ててこの名が付いた。
字引とは、漢字や言葉を一定の順序に配列し、その意味や読み方、用法などを解説した書物を指します。漢字を中心に扱う字典と、言葉全般を扱う辞書の両方の意味を含み、学習や参照に用いられるものです。
近親者が亡くなった際に、その喪に服するために勤務先や学校を休むことを指し、またそのために認められる休暇のこともいう。
取引とは、商品や証券などの売買を中心とした経済行為を指す。また、互いに条件を提示し合い、交渉や駆け引きを行うことも意味する。
宝引は、新年の縁起物として行われる福引きの一種である。数本の綱を束ね、そのうちの一本にダイダイの実や直接品物・金銭などを結びつけておき、参加者が綱を引く。その結果、結びつけられた綱を引いた者が商品を得るという仕組みであった。
言葉巧みに人を誘い出し、ある場所へ連れ去ることを指す。特に悪意をもって人をだまし、連れ去る行為を意味し、誘拐と同義で用いられる。
承引とは、他者からの依頼や申し出を理解し、受け入れて引き受けることを指す。単に承諾するだけでなく、その内容を納得した上で責任をもって受けるという含みを持つ表現である。
他人の意向や状況を考慮せず、無理やりに物事を進めるさま。また、そのような行為を指す。
自らの主張を補強するために、他の文献や事例などを引き合いに出して引用することを指す。
商店が客寄せのために行う、くじ引きで景品を贈る催し、またはそのくじそのものを指す。語源は、かつて正月に二人で一つの餅を引き合い、その取り分の多少で一年の吉凶を占った風習に由来する。
人や物事を引き寄せるように仕向け、ある状態や場所へと導くことを指す。特に、興味や関心を喚起して相手を引き込む場合に用いられる。
仏教において、仏や菩薩が衆生を導き、救済して極楽浄土へと迎え入れることを意味する。
引板は、田畑に張り渡して鳥などを追い払う仕掛けの一種である。細い竹の管を板にぶら下げ、引くと鳴るようにしたもので、鳴子とも呼ばれる。語源は「ひきいた」が変化したものとされる。
股引とは、両脚を覆う筒状の衣服で、主に下着として用いられるほか、作業着としても着用される。ズボンに似た形状で、肌に密着するように作られているのが特徴である。
達引とは、互いに意地を張って譲らずに争うことを指し、特に恋愛関係における駆け引きや言い争いの場面で用いられる。また、義理や体面を重んじて行動するという意味もあり、この場合は「立引」と表記されることもある。
ゴマノハグサ科の半寄生性の一年草で、ヨモギに寄生することが多いことからこの名がある。別名を陰行草(いんぎょうそう)ともいう。
恋愛関係にある男女が人目を避けて密かに会うことを指す。特に公にできない関係や、周囲に知られないように計画された会合を意味し、漢字では「逢曳」と書くこともある。
猿引とは、猿に芸を仕込んで街角や門付けで披露し、見物料を得る大道芸のことで、猿回しとも呼ばれる。特に正月の縁起物として家々を訪れて芸を見せる風習があった。
江戸時代において、天災により耕作が不可能となった田畑に対し、その年貢を免除する措置を指す。
夜興引とは、冬の夜明け頃に猟犬を連れて狩猟を行うことを指し、またその猟師を指す語である。
救経引足とは、助けようとしてかえって害を及ぼす愚かな行為を指す。経とは縄のことで、首を吊った人を助ける際に縄を引っ張って足を引っ張るという矛盾した行動から、事態を悪化させる逆効果のたとえとして用いられる。
つまらない前例や比喩を引き合いに出すことで、物事の本来の意義や正しい道理を見失ってしまうことを意味する。また、悪しき先例に倣うことで正道から外れるという意味でも用いられる。
引足救経とは、足を引っ張って首吊りを救おうとするという意味から、誤った方法で問題を解決しようとして、かえって事態を悪化させる愚かな行為を指す。『荀子』「仲尼篇」に見える故事に由来する四字熟語である。
「引錐刺股」は、戦国時代の蘇秦が学問に励んだ故事に由来する四字熟語である。彼は深夜に読書をしていて眠気に襲われると、錐で自分の腿を刺して痛みで目を覚まし、学業を続けたという。この故事から、苦難を厭わずに自らを奮い立たせて学問や仕事に打ち込む、強い意志と努力を表す表現として用いられる。
来迎引接とは、仏教において阿弥陀仏が臨終の際に二十五菩薩を従えて現れ、往生を願う者を極楽浄土へと導き迎え入れることを指す。
仏教用語で、衆生を導き教えに引き入れることを意味する。『法華経』方便品に由来し、仏が様々な方便を用いて人々を仏道へと導き、真理を悟らせるための教えを説くことを指す。