寺院において信仰の中心として安置される仏像や菩薩像を指す。転じて、ある物事の中心となる人物や、当の本人を、やや軽妙な調子で言い表す場合にも用いられる。
自尊とは、自らを尊び品位を保つことを指す。また、自らを誇り高く思う気持ちを意味し、時に過剰な自信や驕りとして捉えられることもある。
釈尊とは、仏教の開祖である釈迦牟尼(しゃかむに)に対する尊称である。釈迦族の聖者を意味し、仏教徒がその教えの師として深い敬意を込めて用いる呼び名である。
相手の写真や肖像を敬って言う語で、主に手紙文などで用いられる。
相手の家や家族を敬って言う語で、主に手紙文など改まった場面で用いられる。貴家や尊宅と同様の意味を持つ。
相手からの手紙を敬って言う語で、尊書や貴簡と同様の意味を持つ。主に書簡文において、目上の人や敬意を払うべき相手が送ってきた手紙を丁寧に指し示す際に用いられる表現である。
他人の顔を敬って言う語。特に目上の人や尊敬すべき人物の顔つきやお顔を指し、尊容とも言う。
他人の人格や行いを優れたものとして認め、それにふさわしい態度で接することを指す。
男性が同等または目下の男性に対して用いる敬称で、相手を敬いながらも親しみを込めて呼びかける語。主に書簡や改まった場面で用いられ、貴公や尊君などと同様の用法を持つ。
敬意を表すために用いる呼称を指す。また、特定の人物を顕彰するために用いられる称号も含まれる。
自分を偉いものと思い込み、相手を見下すような態度をとること。威張り散らすような振る舞いを指し、横柄や傲慢に近い意味を持つ。
相手の人格や意見、価値観などを、価値あるものとして重んじ、大切に扱う態度や行為を指す。例えば、他者の考えを真摯に受け止めたり、生命の尊厳を認めたりする際に用いられる。
「尊堂」は、相手の家や家族を敬って言う語で、主に手紙などの書き言葉として用いられます。相手の家そのものを指すほか、転じて相手自身を敬う呼称としても使われることがあります。
尊王とは、天子すなわち天皇および皇室を敬い尊ぶことを指す。特に江戸時代末期の政治思想において、幕府を批判し天皇の権威を高めようとする立場を表し、「尊王の志士」や「尊王論」などの表現に用いられる。勤王とほぼ同義である。
相手の父親を敬って言う語で、主に書簡などの改まった場面で用いられる。
相手の名前や名声を敬って言う語。特に手紙や改まった場面で、相手の氏名を丁寧に指す際に用いられる。
「尊慮」とは、相手の考えや意見を敬って言う表現で、主に目上の人に対して用いられます。相手の意向やお考えを丁重に指す語であり、書簡や改まった場面での使用に適しています。
尊俎とは、酒を注ぐ器である尊と、食物を載せる台である俎を指し、転じて宴席や饗応の場を意味する。また、「樽俎」と表記されることもある。
官尊民卑とは、政府や役人を尊び、一般の民衆を卑しむ考え方や風潮を指す四字熟語である。官権を重んじる一方で、民間の事柄を軽視する態度や社会の気風をいう。
独立自尊とは、他者に依存せず自らの力で事を成し、自己の尊厳を保つことを指す。自らの人格を重んじ、何事も自力で行おうとする精神を表す四字熟語である。