自若とは、何かが起こっても動揺せず、落ち着きを保っている様子を表す。心にゆとりがあり、物事に動じない態度を指す。
若輩とは、年齢が若いことや経験が浅いことを指す。また、そのような未熟な者を指して用いられることもあり、謙遜の意を込めて「若輩者」などの形で使われる。表記としては「弱輩」と書くこともある。
数量や程度がそれほど多くないさまを表す。わずか、少しといった意味で、ある物事の量や度合いが少ないことを示す際に用いられる。
若朽とは、本来は働き盛りの年齢でありながら、意欲や活力に乏しく、十分な働きができない状態を指す。また、そのような状態にある人を指すこともある。「老朽」をもじって作られた造語である。
若宮とは、幼い皇子や皇族の世継ぎを指すほか、神社においては本宮の祭神の子孫を祀る神社、あるいは本宮から祭神を分祀した新たな宮を意味する。
「そこばく」は「若干(じゃっかん)」と同じ意味で、不特定の数量や程度を表す語である。また、多くの場合「たくさん」や「たいそう」「多数」といった意味でも用いられる。表記としては「幾許」と書くこともあり、「そくばく」と読む場合もある。
若気とは、若い頃に特有の、血気盛んで思慮に欠ける気性を指す。経験不足からくる軽率な行動や判断を伴うことが多く、後悔を招くこともあるが、年齢を重ねて振り返ることで初めて自覚できる性質である。
若僧とは、年齢が若く経験の浅い者を、やや軽蔑のニュアンスを込めて指す言葉である。主に、未熟さや力量不足を揶揄したり、侮るような文脈で用いられる。
般若は、仏教において真理を洞察する究極の智慧を指す。また、能楽で用いられる面の名称でもあり、角を生やし、激しい怒りや深い苦悩を表現した鬼女の形相を特徴とする。
練若とは、僧侶が修行を行うのに適した静寂な場所を指し、転じて修行僧が住む質素な庵や寺院をも意味する。阿蘭若(あらんにゃ)と同義であり、俗世間から離れて精神修養に専念するための清浄な環境を表す語である。
杜若はアヤメ科の多年草で、湿地に自生する。アヤメに似るが、葉は幅広く脈が目立たない特徴を持つ。初夏に濃紫色の美しい花を咲かせ、別名をカオヨバナともいう。表記としては「燕子花」とも書かれるが、「杜若」の名は漢名からの誤用に由来するとされる。
若菰は、春に新芽を吹き出して間もない若々しいマコモのことを指す。
若鷺はキュウリウオ科に属する小型の淡水魚で、公魚とも表記される。体は細長く透明感があり、主に湖や河川に生息する。食用としても親しまれ、特に塩焼きや天ぷらなどで賞味される。
驚きや呆れのあまり、目を見開いて凝視する様子を表す。あまりの出来事に言葉を失い、ただ茫然と見つめるさまを指し、周囲をあっと言わせるような際立った事態に対して用いられる。
若狭塗とは、福井県小浜地方で生産される漆器の一種である。卵殻の粉末や籾殻などを用いて色漆を塗り重ね、金銀箔を施した後、研ぎ出すことで独特の文様を表す技法、またその製品を指す。
般若湯は僧侶の間で用いられる酒の隠語である。梵語で智慧を意味する「般若」と「湯」を組み合わせた表現で、酒を茶や湯に見立てて婉曲に指したもの。
鷹揚自若とは、ゆったりと落ち着き、何事にも動じない様子を表す四字熟語である。鷹揚は穏やかで余裕のある態度を、自若は緊迫した状況でも平常心を保つことを意味し、両者が合わさって、重厚で泰然とした人物の風格を示す。
泰然自若とは、何か重大な事態や緊迫した状況に直面しても、心を乱さず、落ち着き払って平然としている様子を表す。泰然は落ち着きのあるさま、自若は動揺せず平常心を保つさまを意味し、両者が結びついて、内面の安定と外見の平静さが一体となった態度を示す。
大巧若拙とは、真に優れた技量を持つ者は、外見上はむしろ拙く見えることを意味する。『老子』に由来するこの言葉は、最高の境地に達したものは飾り気がなく素朴であるという思想を表しており、技術や芸道における深遠な悟りの境地を指す。
「神色自若」は、何か重大な事態や緊迫した状況に直面しても、心の動揺が顔色や態度に全く表れず、平然と落ち着き払っている様子を表す四字熟語である。「神色」は心の状態と顔つきを、「自若」は何事にも動じず悠然としていることを指し、合わせて内面の冷静さが外見にもそのまま表れている状態を意味する。
言笑自若とは、いかなる状況においても平然と談笑し、動じることのない様子を表す四字熟語である。故事は中国三国時代の蜀の武将・関羽に由来し、彼が治療のため骨を削られる激痛の中でも酒を飲み談笑していたという逸話に基づく。ここから、苦痛や困難に直面しても泰然自若とした態度を保つことを意味するようになった。