自浄とは、外部からの介入を必要とせず、自らの働きによって汚れや不純物を取り除き、清浄な状態を回復する作用を指す。特に自然環境において、河川や土壌などが持つ汚染物質を分解・除去する能力をいう。
浄福とは、清らかで穢れのない幸福を指す。特に仏教においては、仏の教えを信じ、実践することによって得られる清浄な心の安らぎや、来世における幸せを意味する。
浄界とは、清浄で穢れのない世界を指し、特に仏教においては仏や菩薩が住まう清らかな国土、すなわち浄土を意味する。また、転じて、現世において神聖視される寺院や神社など、清浄な場所のことをもいう。
浄書とは、下書きや草稿などの仮の書き物を、誤字や乱れを正し、整った形で改めて書き写すことを指す。特に文書や書画を清浄に仕上げる過程を意味し、清書や浄写と同義に用いられる。
仏教において仏が住まうとされる清らかで苦しみのない理想世界を指し、特に阿弥陀仏の西方極楽浄土を意味する。また、浄土宗の略称としても用いられ、念仏による極楽往生を宗旨とする宗派を表す。
汚れや不純物を取り除くために水や薬液などで洗い清めることを指す。特に医療分野では胃の内容物を洗い流す処置を「胃洗浄」と呼び、工業分野では配管などの内部を清掃する工程を指す場合もある。「洗滌」の書き換え語として用いられる。
西浄は禅宗寺院における便所を指す語で、特に法要の際に仏殿の西側に並ぶ学徳の高い僧侶(西序)が使用したことに由来する。唐音で「チン」と読むことから、「セイジン」あるいは「セイジョウ」とも発音される。
東浄は禅宗寺院における便所を指す語で、東司とも呼ばれる。この語は唐音の読み方に由来し、清浄を保つ場所としての意味合いを持つ。
浄机とは、塵や汚れがなく清潔に保たれた机を指す。特に書斎において整然と片付き、落ち着いて学問に励むのに相応しい清浄な環境をいう。
浄海坊は甲虫の一種で、ジョウカイボン科に属する昆虫の総称である。体形は細長く、カミキリムシに似ているが、より小型である。体色は黄色、赤色、黒色など多様な色彩を示す。
浄玻璃とは、清らかに澄み渡った水晶やガラスのことを指す。また、地獄の閻魔大王の前にあり、死者の生前の行いをすべて映し出す鏡「浄玻璃の鏡」の略称としても用いられ、そこから転じて、偽りを見抜く鋭い眼識の喩えともなる。
「乾乾浄浄」は、一切の汚れや曇りがなく、非常に清潔で清らかな様子を表す四字熟語である。特に、物が清潔に保たれている状態や、心にわだかまりや後ろ暗いところが全くない潔白な心境を指して用いられる。『醒世恒言』などの古典にも見られる表現である。
六根清浄とは、仏教において人間が迷いを生じさせる根源とされる六つの感覚器官、すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意のすべてから煩悩が離れ、清らかで穢れのない境地に至ることを意味する。比叡山などの霊山で唱えられる掛け声「六根清浄」は、この境地を求めて修行に励む祈りの言葉として用いられる。
明窓浄几とは、窓が明るく机が清らかに整えられている様子を表す四字熟語で、読書や学問にふさわしい清潔で整った環境を指します。中国宋代の文人、欧陽脩の『試筆』に由来し、心を落ち着けて物事に取り組むべき好ましい状況を形容する際に用いられます。
清浄寂滅とは、清浄無為を理想とする老子の道家の教えと、寂滅を以て楽となす仏教の教えを併せた語で、両者の思想を総称するものである。唐代の韓愈の「原人」に用例が見られる。
純潔清浄とは、心や行いがまったくけがれがなく、清らかで澄みきっているさまを表す四字熟語である。
寂光浄土とは、仏教において仏が常住する清浄な世界を指す。一切の煩悩や汚れがなく、寂静の真理と智慧の光明に満ちた境地であり、仏の悟りの本質がそのまま顕現している国土を意味する。