大河とは、水量が豊かで長大な川を指す。その壮大なイメージから、規模の大きな長編小説を「大河小説」と称することもある。
氷河とは、高緯度地域や高山に堆積した万年雪が圧縮されて氷となり、重力の作用によってゆっくりと下方へ流動する巨大な氷の塊を指す。主に大陸を覆う大陸氷河と、山岳地帯に発達する山岳氷河に分類される。
河川の流れが海や湖などの水域に合流する地点を指す。河川の末端部に位置し、淡水と海水が混ざり合うことも多い。
河港とは、河川の河口や沿岸部に設けられた港湾施設を指し、主に河川を通じた船舶の接岸や荷役、旅客の乗降に用いられる。海港に対比される内陸水運の拠点としての性格を持つ。
河原とは、川の流れに沿って形成される、小石や砂が堆積した平坦な土地を指す。通常は水が流れていないか、あるいは水量の少ない時期に現れる地形であり、河川敷の一部を成す。表記としては「川原」とも書かれる。
河骨はスイレン科の多年草で、沼や小川などに自生する。夏になると茎の先端に黄色い花を一輪咲かせる。太くて白い地下茎が骨のように見え、川辺に生えることからこの名がついた。別表記として「川骨」とも書く。
河鹿はカジカガエルの略称で、アオガエル科に属するカエルである。清らかな渓流に生息し、初夏の頃に雄が美しい声で鳴くことで知られる。
河床とは、川の水が流れる底面の部分を指す。河川の地形を構成する要素の一つであり、通常は砂利や砂、岩などで覆われている。
河豚はフグ科の海魚の総称で、日本近海には約四十種が分布する。体は長い卵形で腹部が膨らみ、卵巣や肝臓に猛毒を持つ種が多いが、身は美味とされる。漢名に由来し、豚のように美味であることからこの字が当てられた。別表記として「鰒」とも書く。
河童は日本の民間伝承に登場する水辺の妖怪で、子供ほどの体に甲羅を背負い、頭頂には水をたたえた皿があるとされる。転じて、泳ぎが非常に上手な人を指すこともあり、また河童の好物とされることに由来し、キュウリを意味する場合もある。語源は「河に住む童(わっぱ)」、すなわち川で暴れ回る子供に由来するとされる。
カバ科に属する哺乳類で、アフリカの河川や湖沼に生息する。大きな口と丸みを帯びた胴体、短く太い四肢が特徴であり、体長は最大で約四メートル、体重は四トンに達する個体もいる。夜間に陸上へ上がり草を食む。名称は漢名「河馬」に由来する。
川の流れに沿った土地のことを指し、水辺に接する一帯を表す。特に河川の周辺に広がる平坦な地形を指して用いられ、散策や憩いの場として親しまれる場所を連想させる表現である。
追河はコイ科の淡水魚で、川の中流から上流に生息する。背中は暗緑色、腹部は銀白色を呈し、産卵期の雄は体側に赤や青などの婚姻色が現れる。釣りの対象として親しまれ、ハヤやハエとも呼ばれ、夏の季語としても用いられる。
黄河は中国を流れる大河で、青海省に源を発し渤海へ注ぐ。その水は黄土を含むため黄色く濁っており、この特徴が名称の由来となっている。流域は古代中国文明の発祥地として知られ、「黄河文明」と呼ばれる。また「江河」と表記する場合は長江と黄河を併せた総称となる。
夜空に帯状に広がって見える無数の星の集まり。天の川とも呼ばれ、特に秋の夜空に明瞭に観察される。
懸河とは、傾斜の急な地形を勢いよく流れ下る川のことで、急流を指す。また、弁舌が途切れることなく流れるように巧みな様子を「懸河の弁」と表現する際にも用いられる。
河鵜はウ科に属する水鳥の一種で、河川や湖沼など淡水域に生息する鵜を指す。川鵜とも呼ばれ、主に魚を捕食する習性を持つ。
徒歩で大河を渡るという原義から転じて、無謀な行動や危険を顧みない行為を指す。『論語』に由来し、「暴虎馮河」の形で用いられることが多い。
河川敷とは、河川法において河川区域の一部として定められた、河岸の土地を指す。通常、堤防や水際に隣接する平坦な空間であり、レクリエーションやスポーツなどに利用されることが多い。「かせんしき」とも読む。
魚介類を競り売りする市場を指し、特に東京都中央区にある中央卸売市場を指すことが多い。河岸という言葉は、江戸時代に魚市場が河川の岸辺に立地していたことに由来する。
少女の髪型の一種で、前髪は眉の上で切り揃え、後ろ髪は耳の下あたりで揃えた短いスタイルを指す。その名称は、河童の頭髪に似ていることに由来する。
河太郎は河童の別称で、主に西日本で用いられる呼び名である。表記としては「川太郎」と書くこともあり、「かわタロウ」と読む場合もある。
恒河沙は、数が極めて多いことの喩えとして用いられる語である。これは、梵語でガンジス川を意味する「恒河」の砂のように無数であるという仏教の観念に由来し、無限に近いほどの膨大な数量を表現する。
河梁之別とは、河の橋のほとりで行われる別れを意味する。古代中国の詩人李陵が蘇武との別れを詠んだ詩句「携手上河梁、遊子暮何之」に由来し、親しい友人や知人が遠くへ旅立つ際の別れの情景を指す。特に再会の見込みが薄い永遠の別れを暗示する表現として用いられる。
河図洛書は、中国古代の伝説に登場する「河図」と「洛書」を指す四字熟語である。河図は黄河から現れた竜馬の背の模様を写した図で、易の八卦の起源とされ、洛書は洛水から現れた神亀の背の文を写した図で、書経洪範篇の基になったと伝えられる。これらは得難い貴重な図書の喩えとして用いられ、一般に「図書」という語の語源ともなっている。
河山帯礪は、黄河が帯のように細くなり、泰山が砥石のように平らになることがあっても決して変わらないという意味から、永久に変わらない堅固な誓いや、国家が永遠に安泰であることのたとえとして用いられる四字熟語である。
河魚腹疾とは、川の魚が腹を病むことを指す四字熟語で、内部から腐敗が始まる様子を表す。転じて、国家や組織が内部から崩壊していく喩えとして用いられる。出典は『春秋左氏伝』宣公十二年にある。
河漢之言とは、『荘子』逍遥遊に由来する四字熟語で、天の川がはるか遠く果てしない様子に喩え、現実離れしていてとりとめのない言葉、あるいは途方もない大言を指す。
偃鼠飲河は、『荘子』逍遥遊篇に由来する四字熟語である。河の水を飲む偃鼠(やまねずみ)が、その腹一杯に飲める量はたかが知れているという故事に基づき、人間の能力や欲求にはおのずと限界があること、あるいは取るに足りないわずかなものに満足する様子を喩えた表現である。
飲河満腹とは、自分の分をわきまえ、それに満足して生きる様子を表す四字熟語である。『荘子』逍遥遊篇に由来し、溝鼠が黄河の水を飲んでも腹いっぱいになる以上の量は要らないという喩えから、人はそれぞれに定まった分限を知り、それに安んじるべきであるという教えを示している。
飲河之願とは、自分の分をわきまえ、わずかな望みしか持たないことを表す四字熟語である。『荘子』逍遥遊篇に由来し、もぐらが黄河の水を飲んでも、腹いっぱいになる程度しか飲めないという寓話に基づき、身の程を知り、小さな願いで満足する心境を指す。