硫酸カルシウムを主成分とする天然の鉱物。白色で、焼成して得られる焼石膏は水と反応して硬化する性質を持ち、塑像の制作や型取り、医療用ギプスなどに広く用いられる。また、白墨やセメントの原料ともなる。
膏血とは、人間の体を構成する脂と血を原義とし、転じて、苦労して働いて得た収益や財産を指す。特に「膏血を絞る」のように用いて、過酷な搾取や収奪の対象となる貴重な労苦の結晶を意味する。
膏肓は人体の心臓と横隔膜の間を指し、最も深奥に位置するため薬や鍼も届かず治療が困難な部位とされる。転じて、深刻で手の施しようのない状態を喩える表現として用いられ、「病膏肓に入る」などの成句で使われる。読みは「コウコウ」であり、「コウモウ」は誤読である。
膏沢とは、豊かな恵みや恩恵を指す。また、土地が肥沃で潤い豊かな状態を表すこともある。
膏薬は、油性の基剤に薬効成分を練り混ぜて作られた外用薬を指す。通常は紙や布の上に薄く延ばし、患部に貼り付けて用いる。打撲や捻挫、筋肉痛などの際に患部に直接貼付し、消炎や鎮痛などの効果を期待するもので、「あぶらぐすり」とも呼ばれる。
土地が豊かに肥えていることを指し、特に農作物の生育に適した肥沃な土地を意味する。
膏沃とは、土地が豊かに肥え、作物の生育に極めて適した状態を指す。特に土壌が潤いと養分に富み、農耕に恵まれた肥沃さを表す語で、同義の「膏腴」や「肥沃」とほぼ同じ意味を持つ。
苦痛や激しい努力を伴う状況で、皮膚から滲み出る脂っこい汗を指す。
モウセンゴケ科に属する多年草で、別名を石持草(いしもちそう)ともいう。湿地や貧栄養の土地に生育し、粘着性のある腺毛を持つ葉で小さな昆虫を捕らえる食虫植物として知られる。
傷口を保護したり、ガーゼなどの包帯材を固定したりするために用いられる、粘着性のある布や紙の製品。
内股膏薬とは、自分の意見や態度が定まらず、どちらにもつかずにふらつく人のことを指す四字熟語である。内股に貼った膏薬がどちらの足にもくっついてしまい、動きにくくなる様子から転じて、物事に一貫した立場を取れない優柔不断な人物を喩えた表現である。読み方は「うちまたこうやく」のほか、「うちまたごうやく」とも読まれる。
二股膏薬は、定見がなく節操のない態度を指す四字熟語である。内股に貼った膏薬が両方の肌に付着しやすいことに由来し、どちらにもつくような優柔不断な様子を表す。読みは「ふたまたこうやく」のほか「ふたまたごうやく」ともされる。
病入膏肓とは、病気が極めて重篤で、もはや治療の施しようがない状態を指す四字熟語である。その由来は『春秋左氏伝』成公十年にあり、膏(心臓の下の脂肪)と肓(横隔膜の上の薄膜)という薬の効かない部位まで病が深く達したという故事に基づく。転じて、物事が手遅れになり、挽回が不可能な深刻な状況を喩える表現としても用いられる。
水が深く澄み、青く静かなたたずまいを形容する語。特に、深い淵や湖などが青く美しく見える様子を表す。
黛蓄膏渟は、柳宗元の「遊黄渓記」に由来する四字熟語で、深くたたえられた水が豊かで濃厚な様子を表します。水が深く澄み、まるで膏のように濃厚で静かにとどまっている美しい景観を描写する表現です。
泉石膏肓とは、山水の風趣を愛でる心が極めて深く、俗世間を離れて自然の中に生きたいという思いが病膏肓に入ったかのように強く、もはや治しようがないほどであることを表す四字熟語である。泉石は山水の景観を、膏肓は薬の届かぬ身体の奥深くを指し、『旧唐書』田游巌伝に由来する。
膏粱子弟とは、富貴な家に生まれ育ち、美食に慣れ親しんだ子弟を指す四字熟語である。「膏」は脂の乗った肉、「粱」は美味しい穀物を意味し、ともに美食の喩えとして用いられる。これが転じて、豊かな家柄の者、特に世間知らずで贅沢に育った若者を表現する語となった。
膏肓之疾とは、心臓の下にある膏(こめかみの脂肪)と横隔膜の上にある肓(心臓と横隔膜の間の薄膜)を指し、薬の効かない体の奥深い部分を意味します。転じて、手の施しようがない深刻な病気や、解決が極めて困難な問題の喩えとして用いられます。故事は『春秋左氏伝』成公十年に由来します。
膏火自煎とは、自らの才能や能力がかえって災いを招くことを喩えた四字熟語である。灯明の油(膏)が自らを燃やして尽きてしまうように、優れた才覚が他者からの妬みや争いの原因となり、身を滅ぼす結果を招くという意である。この語は『荘子』「人間世」に由来する。