下愚とは、極めて愚かなこと、あるいはそのような人のことを指す。知性や分別が著しく欠如している状態や人物を表し、上知と対照される概念である。
凡愚とは、知恵や才能に乏しく、ごく普通の水準に留まることを指す。また、そのような性質を持つ人や、その様子を表す。
平凡で愚かなこと。また、そのような性質を持つ人や、そのような人を指す。特に、君主や為政者など、高い地位にありながら才能や見識に欠ける場合に用いられる。
愚かしく思慮の足りない行いや企てを指す。判断を誤ったり、深く考えずに行ったために、結果として無意味であったり、かえって状況を悪化させたりするような行為をいう。
愚かな意見や考えを指す言葉であり、また自分の意見をへりくだって言う謙譲表現としても用いられる。
愚考とは、愚かな考えや浅はかな思いつきを指す。また、謙遜の意を込めて、自分の考えや意見をへりくだって表現する際にも用いられる。
自分の妻をへりくだって言う語で、愚かな妻という意味合いを含む。主に男性が自らの妻を謙遜して指す場合に用いられる表現である。
愚かさや分別のなさを特徴とする者を指し、物事の道理をわきまえず、賢明さに欠ける人物を意味する。
愚かで物事の道理を弁えず、見識に欠けるさまを指す。また、そのような性質を持つ人をいう。
愚図とは、動作や判断が鈍く、物事の進行が遅い様子を指す。また、そのような性質を持つ人を指すこともある。当て字として用いられる語で、のろまやぐずと同様の意味を持つ。
愚民とは、物事を正しく判断する能力に欠け、知識や見識が乏しい民衆を指す。為政者が情報を操作したり教育を制限したりする「愚民政策」の対象となる人々をいう。
愚問とは、知性や思慮を欠いた愚かな質問、あるいは取るに足らないつまらない質問を指す。相手を困惑させたり、議論の本質から外れたりするような内容であり、「愚問を発する」などの形で用いられる。
愚生は、主に男性が手紙などの文面において自分自身をへりくだって指す一人称の表現である。愚かさを意味する「愚」の字を用いて、未熟さや能力の足りなさを暗示し、相手に対する敬意を示す謙譲語として機能する。小生や拙生などと同様の用法を持つが、より古風で改まった響きを伴う。
愚かで劣っているさま。また、道理に外れていて取るに足らないことを指す。
自分の息子をへりくだって言う語。主に他人に対して自分の子を謙遜して指す場合に用いる。
愚痴とは、取り返しのつかないことやどうにもならない事柄について、くどくどと嘆き言を並べることを指す。また、そのような不平や不満の言葉そのものも意味する。転じて、物事の道理を理解する能力に欠けている状態を表すこともある。
愚論とは、道理に合わない浅はかな議論や、取るに足らない論説を指す。また、自らの意見を謙遜して述べる際にも用いられる表現である。
愚直とは、愚かしいほどに正直で、状況に応じて柔軟に対応することができない様子を指す。いわゆる「ばか正直」とも言い、その純粋さや誠実さが評価される一方で、融通の利かなさも併せ持つ性質である。
愚弟とは、愚かな弟を指す語である。また、自分の弟をへりくだって言う場合にも用いられる。対となる語に「愚兄」がある。
愚物とは、知恵や思慮に欠け、物事の道理を弁えない者を指す。愚かさが顕著で、分別のない人物をいう。
暗愚とは、道理を弁えず愚かな様、あるいはそのような人物を指す。特に判断力や知性に欠け、物事の本質を理解できない状態をいう。
頑愚とは、頑固で愚かな性質を指し、物事に融通がきかず道理をわきまえない様を表す。特に、かたくなな態度によって道理に反する愚かさを強調する表現である。
賢愚とは、知恵や才覚に優れた賢い性質と、知恵が足りず愚かな性質を指す。また、転じて、賢い人と愚かな人という、人間の知性や能力による区別をも意味する。
世事に疎く、物事の道理をわきまえない愚かなさまを指す。特に、年齢を重ねても世間の常識や人情の機微に通じず、判断力や分別に欠ける状態をいう。
道理をわきまえず愚かなこと。物事の本質を見通す知性に欠け、判断力が鈍っている様子を指す。
愚禿とは、愚かな僧侶を意味する語から転じて、僧侶が自らをへりくだって言う謙称である。特に浄土真宗の開祖である親鸞が自らを指して用いた自称として知られる。ここでの「禿」は、頭髪のない状態、すなわち出家者の姿を表している。
愚かで道理に暗く、物事の判断がつかない様子を指す。また、そのような性質を持つ人を指すこともある。
盛り場などを徘徊し、ゆすりやたかりなどの非行に及ぶ不良集団を指す。語源は「ぐれる(正道から外れる意)」と集団を表す「連隊」を組み合わせたもので、「愚連」は当て字である。
頑陋至愚とは、頑固で視野が狭く、愚かさが極まっている様子を表す四字熟語である。物事に固執して道理をわきまえず、見識が浅く、愚かな性質が甚だしいことを意味する。
大智如愚とは、真に優れた知恵を持つ者は、外見は愚かに見えるものだという意味を表す四字熟語である。蘇軾の文章に由来し、深遠な英知を内に秘めながら、それを誇示せず、むしろ謙虚で素朴な態度をとる様を指す。
固陋蠢愚とは、頑なに古い考え方にこだわり、新しいものを受け入れようとしない愚かさを表す四字熟語である。物事の道理に疎く、視野が狭くて融通が利かず、愚鈍な様子を指す。
愚問愚答とは、愚かな質問とそれに伴う愚かな回答、すなわち内容の乏しく取るに足らない問答のことを指す四字熟語である。
愚痴無知とは、愚かで道理に暗く、物事の本質を理解できない様を表す四字熟語である。愚かな言動を繰り返し、道理を弁えず、物事の真実や道理を理解する能力に欠けている状態を指す。
愚か者であっても、時には優れた考えを思いつくことがあるという意味の四字熟語。愚かな者の意見にも耳を傾けるべきだという教訓を含み、自らの意見を述べる際に謙遜して用いることもある。出典は『史記』淮陰侯伝。
愚公移山は、根気強く努力を続ければ、いかなる困難も克服できるという教訓を表す故事成語である。『列子』湯問篇に由来し、愚公という老人が家の前の山を移すため、子孫代々にわたる不断の努力を誓った逸話に基づく。この語は、たゆまぬ勤勉さと不屈の精神によって、壮大な事業も成し遂げられるという比喩として用いられる。